2019年11月01日

はや、11月!

 本文に入る前に、首里城焼失ニュースには驚きました。最初、「なんてことをしたんだ」と放火の疑いも持ったほどです。しかしどうやら火の不始末の疑いが濃いようです。30年もかけた修復工事がやっと終わったと思ったら、たった一日で焼失です。莫大な経済的損失も当然ですが、長年携わってきた人たちの労苦が無駄になりました。早くも「再建に向ける」と政府や野党側からの声が出ているようですが、そんな簡単に進めるような話ではないでしょう。まずは原因を徹底的に究明して、二度と繰り返さないような万全対策を作りあげてからでしょう。そもそも巨額税金を投入しては再建を繰り返すほどの余裕が借金大国日本にあるのか、疑問だ。今は、悲しみや喪失感の気持ちが大きく、再建への感情に流されやすい。しかしその前に最近の自然災害による甚大な被害をどうやって解決するのか、いまはこちらの復旧の方が優先課題だと思う。

 それにしても色々なことが起きすぎる日本だなあ。


 さて、今年も残り2ヶ月です。何という時の経つ速さでしょう。

 人生の残り時間が段々削られていくようで、いかにのんびり屋の私でも、ふっと焦りを覚えることがあります。何をやっても、「時間が足りない」と強く思うからです。

 若い時は幾らでも時間があるように錯覚していましたね。だから大切な時間を無駄なことばかりに浪費した。浪費した時間は取り戻せない。慌てて、今になって有意義なことに時間を使おうとしても、その肝心の時間が少なくなっている。「後悔先に立たず」と昔の人は言ったけど、今になって良く分かりますわ(悲)。

 ここの所、やけに昔の仲間と集まることが多くなっている。今月に入ってもその流れが続く。これも、残された時間内に懐かしい友と出来るだけ会っておこう、という意識の現れかも知れません。

 それにしても不思議だ。例えば、高校を卒業してから50年以上も会うことがなかった仲間と昨年一度集まったことがきっかけになり、急速に結束が強くなった。そして近々、妻同伴で集まる食事会にまで話が進んでいる。

 他には、ライブ、美術鑑賞もある。ライブは津軽三味線の吉田兄弟によるもの。私はあまり関心がないのだけど、妻が「一度聴いてみたい」と言うので、渋々チケット購入した。

 美術は今話題の「正倉院の世界」展です。ただしあくまでも予定です。まだチケットを手に入れてないからで、購入できればの話です。めったにないチャンスなので是非行きたい。

 自治会主催による「ウォークラリー」もある。役員から参加と協力を頼まれた。たまには周辺住民と親睦を取ろうと、参加することにしたものだ。地元の約6kmほどのコースを歩く。当地には結構色々な史跡が点在している。しかも自治会員には博学な方が多く、お勉強になる(?)ウォークラリーになりそうだ。



posted by Boo! at 23:57| 東京 ☀| Comment(7) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月19日

「受信できません」

 半月ほど前からテレビの映像にブロックノイズが出始めた。しばらくすると正常に戻る。

 我家は光テレビと契約しているので、テレビアンテナは設置してない。2台のテレビとも同じ症状がでることから、光通信会社に原因があると考え、「その内正常に戻すだろう」と放っといた。以前にも落雷などで一時的に映らなくなったことは何度かあったが、すぐに復帰した。

 だが段々ブロックノイズ発生頻度が増え、しまいには全く映らなくなった。最初はBS放送のみだったが、やがて地デジも映らなくなり、テレビのない静かな日常になった。

 私は余りテレビを観ないので、映らなくてもどうでもいいようだけど、故障となると話は違ってくる。それにテニス中継や下らないドラマにはまっている妻はご機嫌斜めだ(笑)。

 タイミングも悪かった。丁度プロ野球のクライマックス・シリーズが始まったし、更には、日本チームが快進撃するラグビー・ワールドカップ試合を観れない。この時ばかりは役立たずのテレビが恨めしかった。

 いつまでも改善しないので、「これは回線業者側のトラブルではないのかも」と思い直し、テレビ周辺、モデム機器との接続状況などをチェックした。このモデムはNTTから貸与されたもので、インターネット、電話、それに光テレビ回線が繋がっている。

 インターネットや電話は全く問題ない。テレビだけがおかしい。ケーブルの接続端子が緩んでないかを真っ先に調べた。しかし、しっかり取り付けられていて、問題ない。配線にも誤りはないし、手の打ちようがない。

 モデムのマニュアルを出し、機器の各ランプの点灯状態を確認した。

 モデムには「映像出力」ランプがある。勿論テレビに送り出す信号が正常かどうかを判断するものだ。このランプが緑点灯であれば正常だ。だが当該モデムは赤点灯になっていた。マニュアルにはモデムの故障が疑われるとあった。

 「なんだ、モデムの故障か」と原因を決めつけた。

 契約会社に連絡し、それまでの受信状況を細かく説明し、最後にモデムの「映像出力」が赤点灯と伝えた。


 私は、モデムの交換すれば解決するのだろうと簡単に考えていたら、モデムに届く光回線の利得が充分でないと同じように赤点灯するとのこと。その原因次第で交換を決めるということになった。

 何だか良く分からないけど、とにかく早く直してほしい。「最短で来て欲しい」と希望すると、「大変混んでまして、早くても17日です」「えー、10日も先?」「申し訳ございません」

 駄目なものは仕方ない。17日に決めた。クライマックスシリーズ、ラグビー視聴はあきらめた。

 そして一昨日、サービスマンが二人やってきた。しかもクレーンのついたトラック2台で来たので、「たかがモデムの故障で、大げさだな」と苦笑した。早速上がってもらい、これまでのいきさつを簡単に説明した。すると専用の機材を取り出し、ケーブルを差し込み、チェックし始めた。二人でぼそぼそと専門用語を駆使しながら原因を探っているようだった。やがて「あ、電信柱*番の接続状態が悪いね」と確認しあっている。

 「ここから160m離れた電信柱に光回線の中継器がありますが、そこが原因のようです」と言いながら出て行った。電信柱に昇るためにクレーン車で来たのだ。

 1時間近くも経ってから戻ってきた。「8本ほどの回線が束ねてあるのですが、その内1本が損傷していて、電波状態が不安定になっていました」「正常の1/10くらいまで利得が落ちてました」

 モデムにケーブルを差し込み、回線状態のチェックをした。私にも見せてくれたが、確かに数値は先ほどより10倍も改善していた。モデムの「映像出力ランプ」も緑点灯に変わった。「これだけの数値が出ていれば充分です」と言いながらテレビの電源を入れた。

 鮮やかな映像が広がった。

 それにしても原因箇所が自宅から160mも離れた電信柱にあったとは驚きだった。てっきり自宅前の電信柱かと思った。

 テレビを観れない日々が続き、いささかおかんむりだった妻はすっかり上機嫌だし、今日から始まったプロ野球日本シリーズとラグビー・ワールドカップの決勝トーナメントにも間に合った。

 我が家に平穏が戻った(笑)。
posted by Boo! at 23:20| 東京 ☔| Comment(4) | 元ラジオ少年のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月13日

台風

 台風一過といえば、真っ青な空、清々しい空気が定番だ。危機が去って、やれやれの安堵感もある。

 しかし朝から晩まで流されるテレビの映像は悲惨な光景ばかり、一体どこの国のことかと思ってしまう。

 台風が近づくにつれ、気象庁の注意喚起は危機感を増幅させた。いつもであれば、へそ曲がりの私は「またオーバーなことを言ってるなあ」と冷笑するのだけど、今回はさすがに無視できなかった。

 天気図を見ても、明らかに超大型だし、気圧の低さもただ事ではない。先日千葉に大災害をもたらした15号よりも3倍ほどもスケールが大きい。日本列島がすっぽりと入るような大きさだ。

 しかも最悪なことに、東海や関東を直撃するようなコースだ。「関東上陸は避けられないな」と覚悟した。気圧は依然低いままだし、そのままの勢いで上陸されたらどんな災害になるのか、見当もつかない。

 私の人生でこれまで、「怖い」と実感した台風は4,5回しかないと思う。

 最初はあの有名な「狩野川台風」だ。当時、東京都内の杉並区に住んでいたが、それは恐ろしかった。確か親父が前日に、窓ガラスの上から板を打ち付けて補強していた。いつもと違う父であり、私はそれを見て、「なんだか大変なことになる」と不安になったものだ。

 夜を通して吹き荒れる風雨は凄まじく、二階の部屋に寝ていた私は暴風で揺れる建物に怯えた。とても寝られるものではなかった。

 やっと台風が去り、朝方明るくなった。だが、いつもの明るさとなんだか違う。隣の家が半二階のような建物なので、ちょうどその屋根が私の部屋の窓から目に入る。

 窓を開けた。「あれ?」・・・しばし隣家を眺めた。「ない!」のだ。そう、屋根部分がそっくりと無くなり、目を片方に向けると50メールほど離れた家にまで飛んでいた。

 我が家に被害は無かった。しかし1kmほど離れた所に川が流れている。そこは実家から大分下がった低地で、川を挟んで両側には田んぼが広がっていた。杉並区といえど、当時は東京の田舎だったのだ。気になって見に行くと、坂道の上から、すでに浸水された家々が見えた。川が氾濫、決壊し、坂の途中まで水が上がっていた。周辺には私の出た小学校があるし、当時の仲間たちも沢山暮らしていた場所だ。呆然とした。

  静岡県を中心に多数の死者、建物流失など甚大な被害がでた台風だった。

 他には多摩川が決壊した台風も生々しい。グランドピアノが流される映像にはショックを受けた。

 初めて家を購入(中古だけど)した年の台風も怖かった。川岸から至近の場所で、営業マンに「氾濫したら怖いね」と躊躇したら、「いや、いままでそんなことは一度もありません」「それに南側が川ですから、日当たり満点。最高ですよ」と調子の良いことを言われ、つい決めてしまった。

 所が強力な台風が来た。普段は小川のような細い流れで、実にのどかな景色。結構気に入った。しかし猛烈な激しい雨が続くと、川の流れが一気に変貌した。普段の「さらさら」から「ゴー」という不気味な音に変わった。

 夜、不安になったので窓から川を眺めると、なんと水面が土手の上近くまで上がっている。まるで庭先すれすれをすごい勢いで流れていた。さすがに「これはやばい」と思った。その内、自治会の役員が、「もしかすると避難命令がでるかもしれません。いつでも出られるように準備してください」と伝えに来た。

「あの営業マンめ、騙しやがったな!」と恨んでも遅い。

一睡もできず、朝を待った。結局避難命令は出なかったが、起きて窓から川に目をやると、大分水位が下がっていた。「あー、良かった」と安心し、庭に出て川の上流下流の両方向に目を向けた。その川は下流方向200メートルほど先がほぼ直角にクランクしている。その曲がった土手の向こうにはアパートが建っていた。

 だがいくら目を凝らしてもなにもない。遠くの方まで良く見える。一瞬、自分の勘違いかと思い、妻に「確かあそこにはアパートがあったよね?」と訊くと、「あ、本当だ。流されたんだ」とビックリ。

 これはニュースでも報道され、映像が流れた。

「こんな怖い思いはもう沢山」と、5年ほど住んでから引っ越した。以来、新しい場所に移る時は絶対に、川のそば、崖の下、低地、元田んぼ、元河川敷の土地は避けてきた。現在の場所は高い平地にあり、まず水の心配はない。周辺には川もあるけど、かなり低いから決壊したとしても心配ないはずだ。

 記憶に残る台風は他にもあったけど、直接的な被害は受けなかったことは幸いだ。

 そして今回の台風。あれだけの大型台風であったにも拘わらず、私の街に限ってはまるでコースを避けてくれたかのように無事だった。風にしても雨にしても、予報ほどのすごさでは無かった。だから朝まで熟睡できたほどだ。むしろ昨年の台風による強風の方が恐ろしかった。

 しかし入ってくるニュースはどれも激甚災害ばかりで、正直ピンと来なかった。だが隣の市町村では大変な水害に見舞われていたことが判明し、「え、あの川が・・・?」と驚いた。

 災害が広範囲に広がり、しかも、氾濫した川がいくつもあり、さらに台風が去ってから新たに決壊している。やはり滅多にない超大型台風だったと実感させられた。

 たまたまわが家には被害がなかっただけのことで、これから先、いつどんな災害に遭うかは分からない。極端な異常気象による災害が増えている日本はこれからどうなるのだろうと気にかかる。

 毎年のように災害の復旧に追われていたら、日本は崩壊するのではないか。バラまき外交ばかりに金を使っている場合じゃないぞ!

posted by Boo! at 22:39| 東京 ☁| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月09日

一寸先は闇?

 先日、高校時代の仲間3人と食事会をした。

 実に久しぶりの再会で、尽きぬ思い出話に大盛り上がりだった。それぞれが当時の記憶を掘り起こしては話題に出してくる。共通の想い出もあれば、「そんなことあったか?」とまったく想い出せない話も出てくる。

 すっかり高齢者になり、世間からは爺さん扱いされる年代だ。しかし、話が進むにつれて「やはり昔と変わらないなあ」と、人間いくつになっても当時の性格のままと実感した。

 皆元気そうに振舞っていた。しかし話が進むにつれ、それぞれ大病を患ったことが分かった。

 一人は「悪性リンパ腫」で約10か月間も入院したという。無事に生還できるかどうかは「神のみぞ知る」で、死も覚悟もしたらしい。とりわけ最初の6か月間は禁食状態で、栄養剤の点滴のみだったことは辛かったと話していた。

 しかし今では体重も大分戻ったし、普通に食事ができる。お酒も少量であれば飲める。

 もう一人は「前立腺がん」だ。最近これにかかるものが多いと感じる。かなりひどい数値が出て、緊急入院し、手術したそうだ。術後の経過は順調で、すっかり元気を取り戻した。

 もう一人は目を患っている。聞いたこともないような難しい病名だった。完治することはないらしく、薬でなんとか 抑えている状態だとか。


 「お前だってなにかあるだろう?」と目を向けられたが、正直言って、ない!(笑)。

 白内障で両目を手術したことはあったけど、こんなものは彼らの病歴に比べれば大したことはない。そうしたら彼らも全員、白内障手術したそうだ。


 某ホテル内にあるレストランでバイキング料理を楽しんだ。一人が極端な偏食家なので、自分で好きなものを選べるバイキングにしたのだ。肉はだめ、鳥も魚もだめでは普通のレストランでは無理だ。一体何を食べて生きているのか心配になるけど、もう70年以上も生きているのだから、人間なにか口にできれば生きられるということか?

 3時間ほど飲み食いしてホテルを出た。

 近くの駅までプラプラと歩いた。アルコールが入っているからいささか足元がふらつく者もいた。坂があるし、突起も目に付く。「足元に気を付けて歩こう。転んで骨折でもしたら大変だ。高齢者になったら転んではいけないから」

 「うん、分かっている」と言いながら先頭を歩いていた一人が、よろめいた。「危ない!」と思わず彼の背中に手をやった。しかし年よりは一度バランスを崩すと修正が利かない。そのまま私のほうに倒れかかってきた。少しでも彼を守ろうと抱きかかえたが、そのまま私を下にして倒れた。

 私がクッションになったのか、かれは大したことがなかった。しかし私はと言えば、右の肩を強く打ち、背中も打った。激痛が走った。

 倒れた彼が心配そうに「ごめん。大丈夫?」と声をかけてきた。かえって心配をかけてはいけないと、痛みを我慢しながら「いや、大したことないよ」と見栄を張った。

 駅で別れたが、それからが大変。肩よりも背中が痛く、深呼吸すると痛みが走る。とにかく骨折が心配だから、首、肩、腰、両腕を回してみた。多少痛むけど問題なく回る。

 翌朝一番に近くの整形外科に飛び込んだ。自己判断で骨折の有無を決めてはいけないからだ。甘く考えて放置したら変な後遺症が残るかもしれない。

 レントゲン検査をし、その結果が出るまで不安だった。幸いにも「骨折はありませんね」と言われ、ホッとした。「この痛みはどのくらいで取れますか?」と訊くと、「2週間くらいで収まるでしょう」とのことで、次回の受診も必要ないし、薬もくれなかった。

 すごく安心したのだけど、その夜は寝返りを打つたびに激痛が走り、ほとんど眠れなかった。
 
 現在でもまだ痛みがあり、「本当に2週間で治るのか」と疑心暗鬼になるけど、まだ3日では仕方ないか。

 毎日元気に走り、痛みに悩まされることもない日常だったのに、こんなことで突然暗転する。

 次にまた誰か倒れかかったら、「勝手に転べ!」と突き放そう(笑)。


 自分の身は自分で守る!
posted by Boo! at 23:40| 東京 ☁| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月01日

はや、10月!

 秋らしくなってはきましたが、日中はまだまだ暑く、冷房を入れたくなることもあります。

 最近は気候変動が大きく、予測もつかない被害が発生する。先日の台風15号による千葉県の被害は大変なことになってますね。

 台風被害と言えば、雨による水害が浮かびますが、今回は風による被害が甚大のようです。まさに「台風」です。あそこまでの被害を見せられると、風の力の凄まじさを思い知らされる。早い復旧を願うばかりです。

 しかし、天災はどこにでも起きうることなので、何か対策を考えなければいけないのでしょうが、一般市民が取れる対策には限界があるでしょう。時間はかかっても、やはり災害に強いインフラ対策を取ってもらうしかありません。予算の無駄遣いするヒマがあったら、こういう所に惜しみなく投入して欲しいものだ。


 気候も良くなってきたせいか、今月は旧友と集う予定が重なる。

 一つは、小学校時代の親友による合唱演奏会に招かれたので出かける。正直いって、合唱にはあまり関心がないのだけど(笑)、お付き合いと思って毎年聴きに行く。この数日後にはクラス会があるから、親友とは2度も会うことになる。毎回欠かさず顔を出す恩師が今回どうしても連絡がつかず、欠席となりそうだ。ハガキも出したが、その返事も来ない。高齢だし、気がかりだ。

 高校の仲間との食事会もある。それも2つのグループ別々に集まる。一緒でも良いのだけど、話題も違うから、別々の方が盛り上がる。

 一つは先日亡くなった友のいたグループで、彼を偲ぼうと急遽集まることになった。もう一つはボンクラ・グループだ。つまり、当時勉強嫌い仲間として結束の強かったグループのこと。やはり、こちらの方が私には性が合う(笑)。4人の内、3人が理数系、私だけが文系の大学に進んだ。いずれも化学を専攻し、それぞれメーカーの研究部門で働いた。化学の話になると私は頭が痛くなるので、できるだけ別の話題に振り向ける(笑)。当時の担任が化学の先生だったので、もしかすると影響されたのかもしれない。

 大学の仲間とも集まる。一つは同じ学部のクラス仲間だ。私が永久幹事みたいに押し付けられているので、毎年計画を立てる。ピーク時は20名近くが集まったこともあったけど、最近は10〜12名がやっとだ。顔ぶれもほとんど変わらない。最近は本人だけでなく、連れ合いが亡くなったり体調を崩したりで、出席できないケースも出てきた。そんな年齢だから仕方ない。

 もう一つは大学サークル仲間との飲み会だ。OB会ではなく、後輩たちの集まりに私が招かれ、ノコノコ出ていくことにした。OB会ではやはり先輩達に気を遣うので、自分たちだけで集まりたいようだ。それでも私に声をかけるのはきっと尊敬、崇拝できる先輩と認めているからに違いない・・・と思いたいが、どうも先輩として扱わなくてもいいと舐めているフシがある(悲)。いつも、最初こそ先輩に対する態度で接してくれるけど、やがて酔いが回ってくるにつれ、やけに馴れ馴れしくなる。「無礼者!近寄るな!」と叫んでも、聴こえないふりをしている(悲)。それでも楽しい集まりだから、ま、いいか!
posted by Boo! at 22:40| 東京 ☀| Comment(3) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月23日

段々身近な人が・・・。

 ちょっと遠方(?)まで出かけておりました。

 これが楽しい旅行なら良いのですが、葬儀関係が3件も集中し、気持ちが暗くなっています(悲)。

 ま、人間、年齢を重ねるごとにこのような機会が増えてくるのは避けられないのでしょう。

 10年くらい前までは、親の世代が次から次に亡くなりました。やがて一回り上のいとこたちが欠け始め、最近は幼馴染、元学友の訃報が来るようになっています。

 昨年、高校の同期生から飲み会のお誘いがあり、久しぶりに再会した話を書いたことがありました。久しぶりなんてものではなく、高校を卒業して以来初めてでしたから約半世紀ぶりです。

 私を入れて4名が同席しましたが、私を除く3人は時々集まっていたようで、なにかの拍子に「**(私)はどうしているのかな?」という話になったらしい。普通はそこでうわさ程度の話で終わってしまう。しかし、一人が私と同じクラスだったため、突然メールをくれた。

ごちゃごちゃと色々書いてきたが、「私のことはお忘れかもしれませんが、私は貴兄のことをよく覚えています」とあった。名前を見ただけですぐに分かったけど、古い卒業アルバムを開き、一応顔を確認した(笑)。記憶に間違いはなかった。

 私と違って3人は学業優秀で、特に一人はずば抜けていた。当時の全国学力テストで一位を取ったほどだ。楽々とT大に進み、官僚になった。こういう頭の良いやつは苦手だから、私の方がいつも距離を取っていたと思う。どうせ話なんかしてもクソ面白くないだろう、と勝手に判断していたからだ(笑)。他の二人とはバカ話もできたし、それなりに付き合っていた。

 すぐに返信したら、「今度一緒に我々の飲み会に参加しませんか」と誘ってきた。行きたい気持ちはあったものの、なにしろアホみたいに優秀な奴がいる。なんとなく盛り上がらないような気がした。返事を保留しているとなんとそのアホから(笑)メールが届いた。官僚出身らしいお堅い文章で、お誘いの言葉が羅列してあった。ユーモアは一切ないのだけど、しかし非常に誠実であることは伝わってきた。

 「一度顔をだして、やはり彼とは気が合いそうもなかったら、その後の参加は見送ればいいか」と考え直し、都内の居酒屋に集合した。

 期待を裏切る楽しさだった。無口な印象しかなかった元官僚は、しゃべる、しゃべる。挙句に、カラオケ大好きだというから、「えー、神童みたいなお前さんが?」とのけぞってしまった。「唄は好きだよ。小椋佳って、知ってるでしょう?彼とは大学からの親友で、今でも彼のコンサートには必ず出かけるんだ。来年1月にもあるんだけど、一緒にどう?」とまで誘ってきた。

 意外な面を見せられるし、こんなに人懐っこいやつだとは想像もしなかった。今年正月早々、彼夫妻と我々夫婦の4人で鑑賞したのだけど、このようなシーンを誰が予想できただろう。いまでも不思議な思いがある。

 そんな訳で、次の飲み会を楽しみにしていた。4月ごろ、仲間の一人からメールで、「**君にメールを送ったのだけど、返事がない。いつもすぐ返信してくれるのに・・・。なにかご存知ですか?」ときた。私も試しにメールしたが、やはり彼からの返信は届かなかった。

 少々気になり始めた。やがて、「嚥下障害」を起こして入院したとの情報が入った。しかし間もなく退院し、自宅で療養していると聞いたので、まずまずホッとした。本当はどんな病名なのかは、本人が言わないので分からない。「元気になったら、自分から皆に知らせるから、そっとしておいて」との事だった。

 それでもなんとなく漏れてくるものだ。どうやら食道がんと診断され、抗がん剤治療を受けていた。しかしあまり芳しくなく、9月に免疫療法を受ける予定になっていたらしい。再入院の僅か4日前、体調が急変し、あっという間に逝ってしまった。

 一報が入り、「なんということだろう」と思わず絶句した。

 学校時代には彼のことなどなにも知らなかったのに、何十年も経ってから親しくお付き合いできそうだと次の飲み会を楽しみにしていた。「こんなことならもっと早くから仲良くなっておけば良かった」と悔いても、もう遅い。

 卒業してから初めて彼と飲み、小椋佳のコンサートにご一緒するほどにまで近しくなったのは、今となっては奇跡みたいだ。


 実はもう一人亡くなった方がいる。その世界では有名な方だったが、しかしご家族の意向もあり、名前は出せません。お通夜に行ってきたが、こじんまりとした空間に棺が静かに置かれていた。想い出はいろいろあり、故人を偲びながら手を合わせた。

 今心配なのは小学校の恩師だ。今年もクラス会を開く予定があり、先生の都合を確認しようと何度も電話をかけた。1週間毎日連絡を取ったが誰も電話口に出ない。こんなことは初めてで、いつもであれば大抵奥さんが出る。仕方ないので、ハガキに一筆書いて送った。誰かが読んでくれればきっと連絡をくれるだろうとの思いからだ。しかしもう数日過ぎたがまだ返事がない。

 明らかにおかしい。昨年正月に急性心不全で緊急入院したし、秋にはどこかの癌が見つかった。だが、今年の年賀状には「まずまず元気になりました」とあったので、安心していたのだ。

 先生も今年93歳のはずだから、普通であればかなり厳しい年齢だ。再入院したか、それとも老人ホームに入ったか、あるいは最悪のことも頭をよぎる。

 クラス会はともかく、連絡が欲しい。

 こうしてみると、元気なうちに会いたい人には会い、行きたい所にも出かけたい。体が弱ってからではなにもできなくなる。
posted by Boo! at 23:51| 東京 ☀| Comment(7) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする