2017年03月11日

あれから6年・・・。

 ここ連日のように、新聞、TV、ラジオなどで東日本大震災関連の特集が組まれている。

 忘れたくても忘れられないあの大震災から、今日で丸6年だ。ついこの間起きたように思うけど、時の経つ速さには全く驚く。

 どんなに大きな出来事であっても、時間の経過と共に記憶が薄れ、風化していくものだけど、この大震災だけはまだまだ記憶が生々しい。と言うか、これからの教訓に生かすためにも、忘れてはならない。そこで少し回想してみたい。

 地震国日本に住んでいる我々にとって、地震は珍しいことではないし、何度も経験している。大きな地震も味わっている。だから変な慣れもあって、いつも「すぐに収まるさ」と甘い判断をしがちだ。

 6年前のあの日、私は仕事で外出していた。打ち合わせ中の午後2:46、突然足元から地鳴りのような振動を感じた。「?…」と思った瞬間、揺れが始まった。

 しかしこの時の揺れは、それまで経験したことのないような激しい揺れで、一瞬パニックになりそうだった。1964年に起きた新潟地震以来の恐怖感だったが、それ以上の恐ろしさだった。

 それでも心のどこかに「すぐ収まる」と楽観する気持ちがあった。だが揺れはいつまでも続いた。下から突き上げるし、横揺れも大きく、建物が歪むようだった。壁に掛かっていた額縁が外れかかり、斜めになった。窓ガラスが激しく鳴り、割れそうだった。

 動くに動けず、じっとして揺れの収まるのを待ったが、果てしなく続く揺れは収まる気配もない。4,5分も続いただろうか、やっと揺れが小さくなったので、一緒にいた仲間に「外に逃げよう」と声を掛け、スリッパのまま近くの窓から飛び出した。大変古い建物内にいたので、倒壊したら命はない。

 建物の前は広い駐車場だった。車と車の間を歩いて中心部まで避難した。その間も断続的に揺れは続いた。船に乗っているような大きくゆったりとした揺れで、立っていても体が左右に泳ぐ。揺れる度に駐車している車が一斉にギーギーと鳴り、タイヤもバウンドし、不気味だった。周囲を見回すと、住宅屋根のTVアンテナや電線が大きく揺れていた。

 やっと揺れが収まると、周辺の民家からバラバラと住人が出てきた。出るに出られなかったのだろう。そして我々のいる場所に集まった。皆顔がひきつっていた。口々に、「怖かった」「凄かったね」と言いながら、携帯で誰かに連絡を取っていた。当然、家族が心配だ。しかし私もそうだったけど、その時点で携帯は不通状態になっていた。益々心配が膨らむ。

 恐怖を覚えるような揺れだったので、「きっとこれが懸念されていた関東大震災の再来なのかも…」と思い、「もしそうであれば、今後何十年かは大地震に見舞われなくて済むなあ」などと、変な考えが頭をよぎった。
 
 所が、震源地は東北であることを知り、驚いた。「震源地が東北なのに、関東がこんなに揺れたとなると、東北の被害が心配だな」と、秋田の従兄の顔が浮かんだ。

 しかしそんな私の心配を遥かに超える災害になったことはご存知の通りだ。あれから6年、一向に進まない復旧復興、故郷に帰れない地域の方々の心境はいかばかりかと心が痛む。

 なんの解決策も見いだせない原発事故、より大きい津波に対応しようと景観を台無しにする高い防潮堤、まだ生活環境に不備があるのに帰還を急がせる行政…。根本的な難問解決まで、まだまだ時間がかかりそうだ。

 皆さんもそれぞれの思いをお持ちでしょう。
posted by Boo! at 22:42| 東京 ☀| Comment(20) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする