2010年09月24日

フリー・ジャズは健在か?

 日本でも、一時期、フリージャズに注目が集まった時代があった。1960年代から70年代にかけてがピークだったように記憶している。

 今も現役で活躍しているピアノの山下洋輔が代表的だけど、その他にも何人かいた。Tpの沖至とか、ミジンコ研究でも有名な坂田明(As)、高柳昌行(Gt)、佐藤允彦(P)、富樫雅彦(Ds)といった名前がすぐ浮かぶ。

 当時、佐藤允彦の「がらん堂」というトリオで打楽器を担当していたH.Tは友人でもあった。変拍子リズムが得意で、5/4とか7/4,、あるいは11/4といった複雑なリズムを実に自然に叩いていた。あまりにも自然なので、うっかりすると普通の4/4拍子と思ってしまう。だがいつの間にかズレを感じて、「あっ、7/4だったか」と気が付くこともあった。

 そんな彼も、若くして亡くなった。まだ40代だったと思う。一度は手術が成功して仕事にも復帰し喜んでいたのだが、1年後くらいに訃報を知らされたときはびっくりした。通夜にも駆けつけたが、多くのミュージシャンが弔問に訪れていた。

 彼はアマチュア無線が趣味だった。当時はまだ携帯電話などなかったから、無線仲間とよく交信していたようだ。見舞いに行った時、私にも「一緒にやろうよ」と強く勧められ、参考書まで買ってくれた。そんな彼の期待に応えないうちに亡くなってしまい、いわば、形見になってしまった。

 私は、フリージャズが特に好き、というわけではない。ただ、若い時分はエネルギーが有り余っていたから、美しい音楽、静かな音楽を聴くだけでは飽き足らなくなっていた。「何か、既成の音楽をぶち壊してくれる」ものに惹かれていた。

 アルバート・アイラー、エリック・ドルフィー、セシル・テイラーといったプレーヤーのアルバムを買い込み、彼らの激しい音に身を委ねた。s.モンクなどもその延長線上にあったかもしれない。

 しかし、「フリー・ジャズとはなんぞや?」と問われても、きちんと理解しているわけでもないから、答えられない。ただただ、音の洪水に身を任せただけだ。それで充分だった。

 一つ確信していることは、フリー・ジャズは耳を凝らして、その演奏を理解しようとか、プレーヤーの意図をくみ取ろうとか、そんな姿勢で聴くようなものではないと考えている。無理やり理屈づける評論家もいたようだけど。

 体全体で受け止め、その音のうねりに没入できるか、だと思う。それによって、精神が解放されたり、気持ちがよくなればもう充分だ。「苦痛だ」「難解だ」「訳わからん」「理解しよう」などと、難しい顔をして聴く音楽ではない。なにを考えて演奏しているかなんて、プレーヤーにしかわからないことだ。本当はなにも考えていないのかもしれないのだ(笑)。

 だがある時からまったく聴かなくなった。それは某プレーヤーが水の入ったバケツに楽器を突っ込みながらぶくぶくと音を出し、滴の垂れた楽器を振り回しながらステージ上を歩き回る姿を見てから急に幻滅し、関心がなくなってしまったのだ。

 よくロックのステージでも、ギターを叩き壊したり、火をつけて燃やしたりするし、ピアニストがピアノの鍵盤を足で蹴飛ばしたり、弦をわざと切ったりすることがあったが、そういうばかばかしいパフォーマンスと一緒だと思った。

 彼らの命でもあるべき楽器を乱暴・粗雑に扱うこと自体、許せなかった。「フリーだから、何をやってもいいことにはならないだろう」と怒りすら覚えた。

 そんなわけで、以来、聴こうともしなくなったが、勿論、真剣にフリージャズを追及しているプレーヤーだっている。少ないだろうけど。

 最近はとんとフリージャズの話題を聞かないけど、まだ健在なのかしら?

 
posted by Boo! at 21:22| 東京 ☁| Comment(2) | JAZZはいかが? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
フリージャズにはまるっきり興味がありませんでした。

これからも聴くことはないでしょう。

好きな人だけが聴けばいいのじゃないでしょうか・・。
Posted by たぬき at 2010年09月24日 22:01
たぬきさん

>好きな人だけが聴けばいいのじゃないでしょうか

 もちろんです。ジャズに限らずです。

 フリージャズは今では全く関心の外になりました。エネルギーがなくなったなあ、と実感します(哀!)。

 うまい人のスチールギターの音でも聴いているほうがいいや?
Posted by Boo! at 2010年09月25日 00:07
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