2008年02月18日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 21

 バッキー・スタイルを追いかけた学生時代、私はバッキーさんの弾く一音たりとも聴き逃すまいと、当時、持っていたオープン・テープの録音機を繰り返し聴き返しては、コピーに務めた。だが、現在の機器のように、高音質、高機能ではない。

 レコードからダビングしたものはまだしも、AMラジオから収録した音はひどかった。何しろ、ラジオのスピーカーの前にマイクを置いて録音するという実に原始的なやり方だ。LINE録音なんてものはまだ無かった。それでも、夢中になって、音を聴き取ろうとした。

 一体、バッキーさんのどういう所に夢中になったのだろう?恐らく、バッキー・ファンであれば、同調してもらえると思うが、バッキーさんの演奏には独特のフレーズがある。これは、バッキー節ともいえるもので、随所に出てくる。

 それは、1弦から6弦まで、或いは、1弦から3弦や4弦まで真下に下りるフレーズだ。一気に下りる。親指と人差し指を交互にピックして、8分や16分音符のフレーズにする。これがタイミング良く、リズム感良くはまると、実に気持ちよいのだ。余りにも気持ちよい為、つい、多用しすぎになるキライがあるので、注意が必要だが・・・。

 このタイミング良く、リズム感良くが大変重要で、途中でもつれたり、ピッキングが中抜けになったりしては元も子もない。その為、真下に下りるピッキングをひたすら練習した。どうすればスムーズに、軽やかにピックできるか、色々、試行錯誤した。その結果、親指と人差し指は余り広げず、できるだけ最短距離でピックすることが、自分には弾きやすいことが分った。やがて、「Honolulu how do you do」も難なく弾けるようになった。

 所が、今回のスチールギター再開では、この奏法がネックになってしまった。J.アー・シーのように和音中心で弾こうとすると、かつての弾き方では大変、弾きづらいのだ。

 例えば、3本の弦を同時につかんでピックする時、親、人、中指をそれぞれ充分に広げないと、お互いの指が邪魔しあって都合が悪い。特に親指は重要で、できるだけ弦と平行に近いくらい広げ、サムピックが弦に直角に当たるようにする。この直角であることが大切で、人も中指も同様に弦に直角に当たるように、指全体の形を決める。

 一旦握った5本の指を開く時、人、中、薬指はそのままに、親指と小指を目一杯広げたような形だ。

 務めてこの形をキープしようと意識するのだが、すぐに、昔の形に戻ろうとする。こんなことばかりに気を取られ、しばらくボロボロ状態が続いた。
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2008年02月13日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 20

 まとまなバーの扱いやピッキングが上手くいかないのは道具に原因があるにちがいないと、己の未熟さには目を瞑り、新しいバーとピックを購入した。

 良い道具を揃えれば簡単に解決するものだろうか? ある面正しくて、ある面は正しくない。やはりというか、当然なことだが、現実は甘くは無かった(笑)。

 バーの重さが、それまでのものと比べて二倍近くにもなったことで、かえって、弾きづらさが増してしまった。また、寸法も長くなったことで、その扱いに苦慮することになった。

 上手く扱えないから、余計な所に力が入ってしまい、バーを持つ指は痛くなるし、腕も張ってくる。挙句、肩まで凝ってしまった(悲)。

 スチールギターも40年間の長いブランクがあったのだから、脳からは記憶がすっかり消え去ってしまっただろうと思っていたが、断片的にいくつか蘇ってくることがある。それが却って練習の邪魔になるから困る。

 当時の私は、8弦のダブルネックを所有していた。といっても、古道具屋から手に入れた、ボロボロの骨董品みたいなやつだ。最初こそ、8本の弦を張っていたが、間もなく、バッキー調に夢中になり、チューニングもバッキーさんに合わせて、Amチューニングに変更。弦数も8本では多いので、わざわざ2本はづして、6本弦仕様にしてしまった。もう一つのネックも6本にして、こちらはAメジャーにチューニングした。バッキーさんも確か、6弦のダブルだったから、格好だけは全く同じだ。40年ぶりに梱包を解いて出した楽器は、当時そのまま、6本弦仕様だった。

 再開するにあたって、今度はJ.アー・シー路線で行くことに決めていたので、8本弦仕様に戻すことにした。だが、6本から8本にしたことは、私には凄く大きな壁になった。40年前にほんの2年間だけ6弦スチールを弾いただけなのに、練習を始めてみると、当時の6弦弾きの癖がでてくるのだ。

 なにも今更、思い出すことはないのに、所々で6弦時の感覚が残っていて、8弦での弦幅がすごく広く感じられてならなかった。また、メロを弾いても、Amチューニングの癖が突然のように出てきて、真ん中のG線が邪魔でしかたなかった(AmチューニングにはG線がない)。こんなことなら、いっそのこと、昔の通りAmチューニングに戻そうかと思ったほどだった。

 課題は山ほどある。新しいチューニング、8本弦、弦幅、バーさばき、ピッキング等々、どれも大事であり、できるだけ早く慣れないといけない。どのように練習を進めるべきか、あれこれ無い知恵を絞った。

 これらをある程度、感覚として体で覚えこませないと、ただ漫然とメロだけを練習してもダメだろうなと痛感した。

 全ての楽器上達に通じる、基礎訓練が大切に違いない。
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2008年01月29日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 19

 40年ぶりに練習を再開したものの、想像以上の悲惨なていたらくに愕然としてしまった。何事も継続することがいかに大事であるか、ハッキリと突きつけられたような気がした。「継続は力なり」とはよく言ったものだ。

 失われた力をどうやって取り戻すか・・・といっても、元々、大した力など持っていなかったけど(笑)、とにかく考え込んでしまった。

 まずは、弾いていても不快な雑音(バーと弦のびりつき)をなんとかしたかった。バーで弦を押さえる力が弱くなっていたことが大きな原因だが、それに加えて、学生時代に使っていた超軽量のクローム製のバー(たったの75g)にも原因があった。

 この軽いバーは単音奏法や速いパッセージを弾く時には有利なのだ。学生時代はバッキースタイルを踏襲し6弦にしていたので、バーもそれにあわせて寸法が短い。短くて軽いのだ。

 所が今回、スチールギターを再開するキッカケを与えてくれたJ.アー・シーのスタイルだと、8弦で、しかも和音奏法が主だ。8弦スチールに対して短い6弦用バーはやはり適当ではない。

 更に、6弦から8弦になると、弦から伝わるバーへの圧力もかなり強くなり、軽いバーで複数弦を一気に押さえようとすると、相当に抵抗がある。その為、しっかりと押さえきれず、ビリついた音が出やすくなるのだ。だから、びびらせまいと腕にも余計に力が入るので、疲れる。

 未熟な己の腕は無視して(笑)、やはり道具が大事だと一人納得して、8弦用バーを手に入れることにした。

 前回、弦を購入したペダルスチール・メーカーのFさんの工房に足を運んだ。

 事情を説明すると、Fさんに「そんなバーじゃダメだよ」と云われてしまい、奥から何本かのバーを持ってきて、テーブルの上に並べた。それらを見ながら、無知な私は「バーにも色々なタイプがあるんだなあ・・・」と感心した。

 一つ一つ手に取り、感触を確かめた。いづれもずっしりと重い。6弦用もあったが、私の持っていた軽いバーに比べたら、倍も重く感じた。更に8弦用になると寸法も長くなるから私の小さな手では、「こんなに長くて重いバーを使いこなせるのだろうか」と、不安になった。

 Fさんが「使っていればすぐ慣れるから大丈夫だよ」と云ってくれたので、購入することにした。

 他にもう一本、10弦以上のスチールギターに対応したより長く太いバーもあった。これは迫力があった。まるで鉄の塊を持つような重さで(300gもある)、非力な私には到底無理だと全く検討の余地が無かった。だがその後、このとんでもなく重いバーを愛用することになるのだから、面白い。

 8弦用バーに加え、新しいピックもついでに購入した。
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2008年01月15日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 18

 40年ぶりに再開したスチールギターは思っていた以上に難しかった。学生時代には当たり前のように弾いていたのに、まるで歯が立たなかった。これでは60の手習いの如く、初めて楽器に触る初心者と同じレベルではないかと愕然とした。

 いくら当時のチューニングと異なっているとは云っても、上6本はAmとC6(Am7)の違いだし、真ん中にG線が入っているか入っていないかだけの違いだ。だから、G線を無視するように弾けば「Beyond the reef」くらいは弾けるだろうと甘く考えていたのだ。所が、惨憺たる有様。

 音の場所が全くつかめないので、あちこちにバーを移動させては目的の音を探した。特にサビ部分がひどかった。悔しいので、その部分だけを繰り返し練習し、何とか1コーラスを通して弾けるようにした。だが、弾けるようにしたと云っても、やたらにミス・トーンばかりで、一曲をノー・ミスで、しかもスムーズに弾けるようにするには、相当に練習しないとダメだと痛感した。

 他にも色々と問題点が出てきた。まず、バーの押さえ方が一定しないので、音程がふらつく。全弦を押さえてボローンと鳴らした時、しっかり押さえきれないのでやたらに音がビリつき、汚い。

 これはバーにも問題があった。40年前は6弦にして弾いていたから、長さの短い6弦用バーを使用。しかも、バッキー・スタイルで速いバーの動きに対応する為、クローム製の大変軽いバーだった。しかし、今回は8弦に張り替えたから、6弦用バーでは当然、寸法が足りない。しかも軽いから、4弦以上を同時に発音させるにはしっかりと力を入れて押さえないと、弦の張力に負けてしまうのだ。

 バー自体の重さで、ある程度弦を押さえられないと、却って、腕に負担をかけるのだ。実際、練習を終えたら、腕がパンパンになってしまった。

 それと、最大の問題点はやはり、ピッキングだった。40年のブランクでピッキング技術をすっかり失ってしまった。元々、大した技術など持っていなかったけど・・・。指が全く動かないのは勿論、正しい弦を思うようにピックできない。バーで押さえている弦とピックする弦が違ったりするのだ。余りのひどさに情けなくなった。

 私のスチールギター再開を一番に喜んでくれたのが、何を隠そう、我が美人妻だった。学生時代における私の名演奏(?)を聴いて一目惚れしたはずの彼女だから(本当かいな!)、再びあの頃の音が聴けるのかと期待したのだろう。しばらくの間、私の横にいたが、やがて、他の部屋に行ってしまった。それも一言、「汚い音ね。前途多難のようね!」との捨て台詞を残して・・・。

 その瞬間、負けず嫌いの私にメラメラとした闘争心が湧いてきた。

 
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2008年01月07日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 17

・・・このシリーズの記事を書くのも随分と久しぶりのような気がする。お陰で前回まで、一体、私は何を書いたのか、ほとんど忘れてしまった(笑)。最近は覚えることよりも、忘れる方が得意になっているから困ったものだ。「忘却とは忘れ去ることなり」の言葉そのままだ・・・。

 何十年ぶりかで古いスチールギターを押入れの奥から引っ張り出し、一応、オーバー・ホールの真似事をして、新しい弦に張り換えた。楽器本体の「ボロさ」はどんなに磨いても隠しようがなかった。しかし、新しく張った弦だけは、キラキラと金属特有の光で輝いており、何故か眩しかった。

 40年も前の学生時代はバッキー・スタイル一辺倒だったので、6弦のAmチューニングだった。今回、再びスチールを始めるにあたっては、そのバッキー・スタイルを完全に捨てることにした。本当は、昔の弾きかたで練習した方が、多分、抵抗が少ないだろうし、楽だったに違いない。勿論、今となっては弾けはしないが、音だけは頭の奥に残っている。その音を思い出しながら練習すればいいだけだからだ。

 しかし、スチールギター再開のキッカケを与えてくれたのが、何度も書くように、ジュールス・アー・シーの演奏だったから、今度はどうしてもアー・シーのサウンドを追い求めたかった。

 ペダル・スチール・メーカーのFさんから聞き出したチューニングに音を合わせた。高い音から、E・C・A・G・E・C・B♭・Cと合わせるのが、現在のハワイでは主流らしい。Fさんがわざわざ某人に問い合わせてくれたのだ。

 この音の配列を良く眺めてみると、別に何ということはない。Amチューニングと並んで、日本での主要なチューニングである6弦C6(Am7)と上6本が全く同じだからだ。その下に二つの音が加わっただけと考えればよい。7弦目に7thのB♭、最下弦の8弦目はオクターブ下のCだ。

 AmチューニングにはないG音が真ん中に入るが、上三本はAmチューニングと同じ配列だから、それほど違和感はないかもと考えた・・・舐めていたのだ。

 まずはありきたりの曲、それもゆっくりした曲から試し弾きすることにした。超スタンダードな「Beyond the reef」を選んだ。昔は、目をつぶっても弾けるくらい散々弾いた曲だ。出だしの歌詞「Beyond the reef・・・」までは問題なかった。次の「Where the sea・・」に入った所で音の場所が分らなくなった。バーをあちこち移動させて正しいポイントを探した。だが、右手のピッキングがまるで駄目で、一体、どの弦をピックしているのか、実感がない。その為、バーで押さえている弦とピックする弦が異なったりする。しかも、空振りまでする始末だ。

 「ヒャー!なんつーことだ!こんなはずでは・・・」と今更ながら、40年というブランクの長さを痛感した。
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2007年12月19日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 16

 新しく買ってきた弦を骨董品のように古いスチールギターに取り付けることにした。40年ぶりに分解し、汚れを取り、錆びの出た金属部分を磨いた。しかし、全然綺麗にならなかった。ボディはキズだらけだし、「HARD OFF」に持参したら、完全にジャンク品扱いだろう(笑)。

 ペグに異常はなかったものの、駒にあたる部品に問題があった。駒は二つのスクリューネジで前後に調節できるのだが、一つのネジが紛失していた。古い弦を全部取り外したため、グラグラと安定が悪かった。同じようなネジを探すのも困難だし、そのネジを支えるスプリングも見つからなかったから、そのままの状態で使うことにした。新しい弦を張れば、その力で安定するだろうと考えたのだ。もう片方のネックは問題なかった。

 教えてもらったチューニングに添って、下から取り付け始めた。最下弦のゲージは68という太い奴。弦と一緒に購入したグラインダーという道具で巻いたが、これは大変重宝だ。「ダブルネックの16本の弦全てを手で巻くのは大変だよ」とFさんが勧めてくれたのだ。確かに楽だった。それにきれいに巻くことができる。

 大雑把に弦を巻きながら、7弦、6弦・・・と順次、張弦していった。8本全部を一通り取り付けたら、次はチューニングだ。下からC・B♭・C・E・G・A・C・Eと合わせるのがハワイのスタンダードなチューニングだとアドバイスされた。よく見ると、上から6本は、いわゆる6弦のC6チューニングと全く同じだ。「なんだ、別に珍しくもないチューニングではないか」と思った。しかし、7弦目のB♭に意表を突かれた。普通であれば、Aにして8弦のC6チューニングにするのだろうが、7thのB♭にすることで、何か意味がありそうな気がした。

 最下弦のCはオクターブ下のCで、ベースのような役目をする。このオクターブ下のCに張弦する方法は、学生時代に先輩の一人がすでに実行していたので、意外ではなかった。但し、先輩は7弦目をB♭にではなく、Aにして8弦のC6チューニングにしていたが・・・。

 何とか音を合わせ、弾いてみることにした。といっても、弾けそうな曲が思い浮かばない。それでも、「ビヨン・ザ・リーフ」なら何とかなるだろうと、バーを弦上に置いた。
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2007年12月08日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 15

 「F」の工房は東京の郊外にあった。住宅街の狭い路地を入った所にその建物はあった。中々立派な、コンクリート造りの建物だったが、特に店を構えているわけではなかった。

 ドアを押して中に入ると、いきなり、数台並べられたペダルスチールギターが目に入った。ペダルを間近に見るのは、学生時代、一緒に行動した半プロのAさんのペダル以来で、40年ぶりのことだ。

 しかし、記憶にあるAさんのペダルとは大きく異なって、実に立派で、いかにも高級なイメージ。弦の数を数えてみると、何と10弦。中には12弦タイプもあり、「6弦スチール2台分じゃないか!」とビックリした。しかも、ダブルのペダルも置いてあり、「ほー、ペダルの世界は凄いことになっているのだな」と感心しきりだった。

 やがて奥から、のそのそと年配の男性が出てきた。「何か?」と聞いてきたので、「弦を買いに来ました」と言うと、「チューニングはなんですか?」と確認され、一瞬、言葉が詰まってしまった。

 そう、肝心のチューニングをどうするか、余り深く考えていなかったからだ。スチールギターを再開するに当たっては、昔、散々弾いたAmチューニングに戻ることは避けたかった。再開する動機を与えてくれたアー・シー路線で行く事だけは決めていたが、しかし、彼がどのようなチューニングで弾いているのかは全く知らない。

 私の持っていた楽器(テスコのダブル8弦)のこと、ハワイアンを弾くこと、ハワイ・コールズのようなサウンドで弾きたいこと、などを伝えると、「ボクはC/Wの人間だから、ハワイアン・スチールのことは良く分からない。ちょっと待って!」と云って奥に引っ込み、どこかに電話をかけた。

 やがて戻ってくると、「今、確認したけど、ハワイでは***と言うチューニングが主流らしいから、それにしたらどうですか?」と教えてくれた。私は何も分からないから、云われるまま「それでお願いします」と答えた。ダブルなので、2セットを注文した。

 この工房に入ってからずっと気になっていた、数台のペダルのことを聞くと、それらは注文を受けてやっと出来上がったもの、或いは、オーバーホール予定のものなのだと説明してくれた。値段を聞くと、全て、受注生産なので、納期に時間がかかること、約40万円近いということだった。そんなに高いのかと驚いたし、自分には縁がないなと思った。

 「でも、一々、チューニングを変えるのは面倒だし大変でしょう?ペダルは楽だよ」と一生懸命、ペダルを薦めようとした。更に、「ダブルのペダルなら、ほとんどのチューニングが可能だよ」と云った。しかし、私はペダルよりも、ノンペダルにこだわりたかったので、軽く聞き流した。

 最後に、貰った名刺を見ながら、「Fさんもスチールギターを弾くのですか?」と質問した。「いやー、下手くそなんだけど、ちょっとね」と答えた。どう見ても、スチール弾きには見えなかったので(Fさん、失礼!)こんな質問をしてしまった。

 後で調べたら、このFさん、C/Wの世界では大変なスチールギター奏者であることが分かった。知らなかったとはいえ、なんと失礼な質問をしてしまったことかと、恥ずかしくなった。

 弦を持ち帰り、早速、張弦作業に取り掛かった。 
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2007年11月30日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 14

 まるで、タイムカプセルを開けるような気分だった。大学卒業以来、40年ぶりにと云いたいが、正確には、自分や仲間の結婚披露宴での演奏で数回取り出したから、約30年ぶりのことだ。

 プラスチックの緩衝材でぐるぐる巻きにされ、更に紐で何重にも巻かれて、しっかりと結わえられていた。足3本も一緒になって梱包されてあった。

 まず足から取り出したが、悲惨な状態だった。至る所にサビが浮き出ており、ゴム部分はカビで白くなっていた。

 次に楽器本体の包装を解くと、ボロボロの状態になって出てきた。予想していたとは言え、余りのひどさに絶句した。弦の何本かは断線していたし、残りの弦にしても、真黒に錆びていた。ピックアップも完璧に錆びていたし、チューニングのペグも幾つかがひん曲がっていた。何度も移動したから、何かに当たって曲がったのだろう。チューニング・アッセンブリーも触るとぐらぐらする。よく見ると、固定する木ネジの何個かが抜けてしまっていたし、他のネジも緩んでいた。

 ボディも角がえぐられたように、深い傷になっていたし、あちこち、塗装が剥がれていた。ここまでひどくならなくともいいではないか・・・とは思ったが、考えてみれば、42,3年前に質屋から手に入れた時点でも相当に傷んでいたからなあ。

 果たして、音が出るのか?確かめたかったが、手元にはアンプなどないから、テストできなかった。

 ともかく弦を全部取っ払い、アッセンブリーも木ネジを緩め、取り外した。チューニング・キャビティ(Cavity)とでもいうのだろうか、アッセンブリーがはめ込まれていた窪みたいな部分には、ゴミが綿状になって溜まっていた。ブラシでゴミを掻き出しながら、溝、スキ間等を掃除機で吸い取った。雑巾で水拭きをし、カビをふき取った。

 最後に乾拭きし、一応、気休めに家具用ワックスを塗って磨いた。多少の光沢は出たが、元がもとだから大して効果はなかった(笑)。金属部分にはCRCを吹き付け、サビをゴシゴシとこすったが、取れるものではなかった。

 そのままでは不完全なので、ホームセンターに行って木ネジを買い、アッセンブリーをしっかり固定した。ペグは曲がってはいたものの、大丈夫のようだった。

 新しい弦に張り替えなければいけないが、ハタと困ってしまった。何しろ、スチールギターに関しては浦島太郎状態だったのだ。どこで手に入るのか全く分からない。そこで、ネットで調べると(・・こういう時、本当にインターネットは便利だ)、山野楽器を始めとして何ヶ所かから手に入ることが分かった。その中でも、我家から最も近いFというペダルスチールを製造している工房に行ってみることにした。
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2007年11月20日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 13

(ここの所、オフ会の話題ばかりに気をとられ、この記事を書くのも随分久しぶりのような気がする。お陰で、どこまで話を書いたのか、すっかり忘れてしまった(笑)。物忘れの度合いが益々進行しているから、前の記事を読み返さないと続きが書けない・・・困ったものだ!)


 K大ハワイアングループのスチール演奏には、いささかショックを覚えた。当時の私の耳には、アー・シーそっくりの演奏に聴こえ、それはまるで私の目の前で「ハワイ・コールズ」の演奏が繰り広げられているような印象を受けたほどだった。どうしてあのようなハーモニー・サウンドが出せるのか。AmとC6チューニングしか知らなかった私には理解できることではなかった。

 現在であれば、ステージを終えたスチール奏者の所に行って、色々と教えを請うのだろうが、当時はそんな勇気は持ち合わせていなかった。ただ、その頃には、どうもスチールギターには色々なチューニングが存在するらしいことは、気が付き始めていた。

 とはいえ、当時の私はバッキー調でゴリゴリ演奏していたし、そのスタイルでアドリブする爽快感も味わっていたから、あえて異なるスタイルに変える気はなかった。続きを読む
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2007年10月30日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 12

 針をレコード盤の上に乗せると、プチプチといったスクラッチノイズと共に、波の音が聴こえてきた。そして、なんとも言えない魅力的なスチール・ギターの調べが波の音の間から浮き出てきた。

 J.アー・シーの「South Sea Island Magic」だ。ここでのアー・シーの演奏の素晴らしさは、最初の二小節の中に全てが凝縮されているように思う。ゆったりとしたテンポに乗って演奏されたその素晴らしさは上手く書き表すことができない。

 学生時代、先輩スチールがこの曲をよく好んで弾いたものだった。だが、何回聴いてもピンと来ず、印象に残るような曲ではなかった。むしろ、退屈な曲だなと思ったほどだった。

 しかし、本物の演奏を聴きたくて、借りたレコードを再生した所、ガツーンと大きな衝撃を受けた。この世にこんなに美しいスチールの音があるのかと感激した。先輩のそれとは余りの違いに、同じ曲とはとても思えなかったほどだった。

 当時はまだ、スチールを手がけておらず、ベースに夢中だった。だから、強烈なインパクトを受けたものの、門外漢といった態度で、聴いても、唯々感心するのみだった。続きを読む
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2007年10月19日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 11

 10年以上も前から恒例になった大学サークルのOB会には、第一回目から三回目までは連続して参加したものの、四回目からは現在まで全く参加していない。

 まあはっきり言ってしまえば、楽しいとは余り感じなくなったからだ。それぞれのグループがステージに代わるがわる上がって、すっかり下手になった腕を披露し合っても、聴いているほうは苦痛なだけだ。自分の腕はさて置いても、他人の音には敏感だ。レコードやCDを聴いて耳も肥えている。

 これがハワイアン・グループだけの集まりだと違う。なんといっても濃い時間を共有したので、盛り上がり方が異常なくらいだ。楽器抜きで、おしゃべりに没頭できることも楽しい。時間を忘れるくらいだ。こちらの集まりには積極的に参加している。

 しかしそんな我が儘を言わず、無理してでもOB会に参加すれば、少くとも年に一回は楽器に触れるチャンスがあったのだが、その機会すら自分で締め出してしまったので、以来、スチールギターを再開する日まで、触れることは無かった。

 その他の理由としては、母の介護問題があったし、老朽化した家(本当はそうでもなかったのだが、住み心地が良くなかった)の建て替え、一時期の妻の入退院の繰り返し等々、色々と精神的に追い込まれることが続いた。楽器を弾こうなどという気持ちにはとてもなれなかった。聴く音楽はジャズばかり。ジャズさえ流れていれば満足だった。

 それがいつのことだったろう。このブログを始める数ヶ月前だったか・・・。

 いつものように車を走らせていた。カーラジオの選局をしていたら、某局からスチールギターの音色が流れてきた。いつもであれば、ハワイアンが流れても別に気に止めることも無く「何だ、ハワイアンか・・」と別の局に回してしまう。

 ところがこの時に流れていたのが、「ハワイ・コールズ」の演奏。それもあのジュールス・アー・シーによる「South Sea Island Magic」だった。思わず、ボリュームを上げた。

 懐かしさで胸が一杯になり、40年以上も前の大学生時代に聴いて感動したあの時の記憶が蘇ってきた。

 40年前のあの感動は本物だったのだ。まさか、同じ曲の同じ演奏で40年の時を超えて二回目の感動を受けるとは思わなかった。

 帰宅し食事を終えるや、昔のアルバムを引っ張り出した。ハワイアンのレコードを取り出すことも絶えて久しく無かったことだ。ホコリとカビでひどい状態だった。水洗いをし、ドライヤーで乾かし、静電気除去スプレーをかけ、そしてレコードをターンテーブルに乗せた。

 恐る恐る針を降ろした。
 
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2007年10月10日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 10

 大学卒業後、初めてのOB会は盛況のうちに終了した。なんだかんだ言っても楽しかった。

 久しぶりに触れた楽器も懐かしく、大学時代、夢中になっていた頃を思い出した。

 しばらくの間、指の痛みは消えなかった。この集まりがキッカケになって、再び、楽器に触るようになればよかったのだが、全然、そういう気持ちにはならなかった。この頃はまだ私も50歳そこそこ。仕事は忙しく、とてもそんなことに時間を回す余裕などなかった。

 その後、OB会は毎年開かれるようになり、時期が近づくと案内状が届いた。次の年も参加したが、出席者はぐんと減り、およそ半分の50人程度だった。この時も、ベースを弾かされるハメになったが、スチールは決して弾かなかった。

 先輩たちによるハワイアン・バンドは一回目のOB会がきっかけになって、そのままグループを維持し、時々、どこかで演奏することがあるようなことをほざいていた(笑)。ただ、ベースが不定で、仕方なく外部の人に頼むことが多いらしかった。その為、私に「メンバーをやってくれ!」と強く頼まれた。

 だが申し訳ないけど、先輩グループと一緒にやる気持ちは全く無く、何回も丁重にお断りした。かといって、「再びスチールギターをやろうかな」なんていう気にもならなかったが、どこかに「どうせやるなら、自分がスチールを担当して好きなようにメンバーを集めるさ」という気持ちがあったのかも知れない。

 その後、三回目のOB会までは連続して参加したが、四回目以降からは、現在まで欠席を続けている。参加すると必ずベースかギターを弾かされるし、先輩バンドへの加入を説得されるのもイヤだった。一緒にやりたい気持ちもないのに、無理して参加しても楽しくない。恐らく、「不義理な後輩めが!」と思われているに違いない(苦笑)。要するに、私のわがままな性格によるのだろう。

 学校のクラス会もそうだが、このような集まりというのは毎年定期的にやられると、面白さや新鮮さが薄れ、関心が低くなってしまう。出席する顔ぶれもほぼ決まってしまいがちだ。それと、先輩、後輩の関係も煩わしい。3-5年に一回で充分だ。これが仲の良いグループの集まりだったら、毎年でも楽しいが・・・実際、私の代から4年下の後輩までのグループでは毎年のように集まっている。楽器は一切抜きで、おしゃべりと酒、唄いたい奴はカラオケ(決して強制しない)だけで盛り上がっている。


 今年も案内状が届いた。情報によれば、益々参加者は少なくなり、ここ数年はぱらぱらの30人ほどらしい。しかし、これからは私の代や後輩たちが次々とリタイアするから、再び増える可能性はある。


 
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2007年09月29日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 9

 おずおずとステージに上がると、先輩スチールが「お前もスチールを弾け」と命令する。

 いきなり「弾け」と言われても、こちとら、卒業以来、結婚披露宴での数回しか弾いていない。もう何十年ものブランクだ。いくら図々しい私でも、練習もなしに人前で弾くほど恥知らずではない・・・つもりだ。

 「全く無理ですから、勘弁して下さい」と固辞したが、そんなことを素直に聞き入れるような先輩達ではない。会場からも「早く弾け」とばかりに拍手が起こる始末。困り果ててしまったが、もう、引き下がる訳にはいかない。

 そこで、「スチールは本当に無理ですから、ギターかベースなら何とか・・・」と恐る恐るお伺いを立てると、先輩ベースが即座に楽器を私に差し出した。

 先ほどまでの演奏を聴いていて、ベースとギターの伴奏がひどいと思っていたから(適当なコード進行をつけていたのだ)、これなら自分のほうがまだマシに弾けるだろう(?)と思ったからだ。勿論、ベースもギターもほとんど弾いていなかったが(ギターはごくたまにポロポロと触ることがあったくらい)、コード進行だけはメロと一緒に頭に浮かべることができたので、何とか付いていけるだろうと甘く考えた。

 指馴らしと感触を確かめるために、「最初はゆっくりした曲からお願いします」と頼んだ。なんの曲だったかは忘れたが、キーを確認し、まあまあ無難に弾くことができた(多分)。

 ホッとするも束の間、先輩スチールが「ホノルル!」と叫ぶや、「Honolulu how do you do」のカウントを出した。「えーっ!」と思ったが、必死になってついて行った。

 アドリブ部分になると、4ビートで弾かないといけないのだが、何十年もベースに触れていない私には無理だ。半分くらいまでは4ビートで弾いたが、腕は突っ張ってくるし、指ももつれそうになる。「これはまずい!」と思い、仕方なく、2ビートにしてごまかした。とにかく、リズムをキープすることだけで精一杯だったのだ。

 それなのに、必死に弾きながらも内心では「ホノルルは俺の18番だったんだぞ!」と先輩スチールに対抗心を燃やしていた(笑)。2曲終えると汗ビッショリだった。

 やっと解放され、テーブルに戻ると仲間から「スチールを聴きたかったけど、ベースも良かったですよ」とお世辞を言ってくれた・・・全然嬉しくない(笑)。

 やがて指先がジンジンとしてきて、ピリピリするような痛みを感じてきた。なんと右手の中指には血マメができていた。

 会も終わりに近づくと、司会者が「今回を第一回のOB会として、これから毎年開催したいと思います。来年も是非、参加して下さい」と挨拶した。

 その言葉通り、以来、毎年欠かさずOB会の案内状が届くようになった。


 
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2007年09月21日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 8

 一通りの挨拶が全て終ると、それぞれのグループに分かれたテーブルを囲んで学生時代の思い出話に花が咲いた。

 私は自分のグループのみならず、他のジャズやウエスタンのグループにも同席して近況を確認し合った。年齢が年齢だから、ほとんどの者は会社の中枢として活躍していることが伺えた。

 音楽サークルということもあり、卒業後もプロとして頑張っている者が何人かいた。以前にも取り上げた後輩のギタリストも、既に日本を代表するような一流プレーヤーになっていた。仲間の中から一人でも成功者が出ると嬉しいものだ。他にも、レコード会社のディレクター、今ひとつ売れないボーカリスト、ドラマー、作曲家、ピアニスト等々、多士済々だ。

 中でも、作曲家である先輩は誰でも知っているような大ヒット曲を連発した方で、まさか当日出席するとは思わなかった。

 やがて、ジャズグループの有志がステージに上がり、演奏を始めた。私よりもかなり上の先輩方だった。ベニー・グッドマンのレパートリーを何曲か披露したが、正直、稚拙な演奏で苦笑してしまった。しかし、幾つになっても好きな音楽を演奏し、楽しんでいる姿を見ると、微笑ましいし、素敵な人生を送っているなあと、思わず拍手を送ってしまった。

 これがキッカケになり、この後、次から次にステージに上がる者が出てきた。やがて、ハワイアン・グループの先輩達がステージに上がった。私は知らなかったが、どうやらこの日に備えて練習をしたらしい。しかし、練習の成果を発揮することもなく、誠にお粗末なといっていい演奏に終始したことは、同じハワイアングループに属する者として少々淋しかった(笑)。特に、サイドギターとベースがひどかったなあ・・・。何十年もブランクがあったのだから、直前になって練習してもそれは土台無理だったのだろう。

 私は内心、「一緒に弾こう」と言われたらイヤだなと思っていたので、出来るだけステージから目をそらせていた。それなのに、後輩の一人が「***さん、何か弾いて下さいよ」と言いながら、ステージの先輩に合図した。「このお調子者めが!」と舌打ちしたが、もう遅い。ステージから手招きされてしまった。先輩には逆らえないので、立ち上がりステージに向かった。

posted by Boo! at 21:33| 埼玉 ☁| Comment(0) | 過去日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月12日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 7

 当日、OB会パーティー会場に向かった。場所は赤坂。そこは普段、ライブを主体に営業しているお店で、某ビルの上階にあった。

 エレベーターに乗り込むと、数人の男女と一緒になったが、心当たりのない顔ぶれなので、OB会の関係者ではないのだろうと思った。所が、同じ階で降り、会場の受付まで一緒だった。OB会といっても、学年の開きは大きいから(上は80代の方から下は40代まで)知らぬ者の方が多いくらいだ。

 受付を済ませ、会場内に入ると驚いた。2、30人くらいが集まるのかなと予想していたが、何と、100人以上もの数が集まっていた。そのお店は120人ほどの定員だから、ほぼ満席状態。各テーブルの上には、グループの名前が書かれた札が置かれていた。

 ゆっくり会場を見回すと、あちらこちらに見覚えのある顔が目に入った。憶えのある先輩を見かけると、軽く挨拶をしながら、自分のグループのテーブルに向かった。

 先輩の一人が、「こっちだ、早く来い!」と言うように手招きをしていた。

 我々ハワイアン・グループだけでも30人は集まっていた。当時一緒に活動した同輩、後輩が全員揃っていたのには驚いたが、懐かしく、嬉しかった。

 やがて、誰が勝手に会長として決めたのか知らないが、OB会会長が挨拶を始めた。彼の顔には記憶が無かった。それもそのはず、私よりも6年先輩の方で、私が入学した時はすでに、卒業されていたのだ。

 会長の挨拶が終ると、事前のプログラムでは参加者全員の自己紹介に進むはずだったが、なにしろ100人以上の出席数だ。一人一分程度にしても、2時間近くもかかってしまい、それだけで会が終ってしまう(笑)。そこで、各卒業年のグループの代表がメンバー紹介を兼ねて挨拶することになった。

 私は大学当時、同輩と後輩の2学年に亘って、リーダーを務めたため、挨拶するハメになった。元々、私は大変真面目で、おとなしく、寡黙な人間であるから(?)、人前で挨拶することは大の苦手である。結婚披露宴でのスピーチなんか依頼されたら、最悪である。

 それなのに、マイクの前に立つと私本来の生真面目さが消え、つい、アホなことばかりを話してしまう。頭の中では、「もっとましなことを話そう」と思っているのに、そういう意図からどんどん離れて勝手に口が動いているのだ。困ったものだ!

 お陰で、美人妻からは相変わらず尊敬されることもなく、白い眼で睨まれている(悲!)。
posted by Boo! at 21:56| 埼玉 ☔| Comment(2) | 過去日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月03日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 6

 大学のハワイアン・サークルの仲間が全員、結婚してしまうともう演奏する機会は完全になくなった。

 披露宴での演奏が引き金になって、グループ再結成の方向に進むようなこともなく、話題にも上らなかった。それに年齢も30代を過ぎ、仕事が滅茶苦茶に忙しくなり、道楽にうつつを抜かすような余裕など全くなかった。

 もう二度と弾くことはあるまいと、楽器を梱包材でぐるぐる巻きにして押入れの奥にしまい込んでしまった。その後、引越し、建て替えなどで5,6回、楽器を取り出すことがあった。その都度、「もう処分するかな」と悩んだが、何故か思いとどまった。気持ちのどこかに抵抗があったのだろう。しかし、梱包を解くことはしなかった。ひどい状態になっているだろうことは容易に想像できたので、見るのも嫌だった。

 学生時代、スチールに傾けていた情熱はそっくりそのままオーディオやレコード収集に注いだ。それと、2,3年に一度の海外旅行に出かけることが仕事のストレス発散になった。

 こんな状態が50代初め頃まで続いたが、今から振り返ればこの期間が最も充実していたのかもしれない。特に旅行は楽しかった。どんなに仕事が忙しくても、旅に出てしまえばそんな疲れは吹っ飛んでしまったものだ。このあたりの旅行の思い出は、いつか、別カテゴリの記事として書きたいと考えている。

 50代に突入した頃だったろうか。突然、大学の先輩から「卒業以来初めてのOB会を開くので出席しろ」と連絡がきた。

 大先輩の中には、すでに定年生活に入っている方、或いは、目前の方がおり、段々、大学時代の仲間が恋しくなってきたらしい。

 大学のクラブについては、この記事の最初の頃にも書いたが、ジャズやウェスタン、ハワイアンなど6つのグループで構成されていた。その全グループによるOB総会を開くと言うのだ。場所は赤坂。どうしようか迷ったが、先輩からの誘いでは断るわけにはいかない。

 どれだけの人数が集まるのやらと、当日、会場に向かった。
posted by Boo! at 23:58| 埼玉 🌁| Comment(0) | 過去日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月27日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 5

 結婚式披露宴での演奏は冷や汗ものだった。そうでなくとも、当事者にとっては緊張の連続だから、演奏どころではなかったのだ。

 披露宴は順調に進み、やがて司会者が「ではそろそろ新郎による演奏を・・・」と言うと、会場からは大きな拍手が起こった。私の人生で、これほどの大拍手をもらったことは、この時が最初であり最後だった(笑)。

 一曲目に「世界は日の出を・・」を弾いた。指が少々こわばっていたが、不思議なもので、何小節か進むにつれて気持ちが落ち着き、何とか最後まで弾くことができた。しかし、学生時代に比べたら、当然不満足な出来だった。卒業以来、まったく触っていなかったのだから当然と言えば当然だ。

 余り思い出したくもない演奏だったが、いつだったか、後輩から電話があり、「多分、学生時代の演奏が入ったテープと思われるものが出てきたので、もし入っていたらCDにしてもらえませんか?」と図々しい頼みごとをしてきたことがあった。

 時間を見つけては何本かチェックした所、遠い記憶を呼び起こす音源が出てきた。それはまさしく、私の披露宴での演奏だった。思わず固まってしまった(笑)。大体何故、当事者である私が持っていないのに、後輩の所にそんなテープがあったのか今もって理解に苦しむ。

 当時は「恥ずかしい演奏したなあ・・」と思ったものだが、このテープで改めて聴き直してみたら、意外とそうでもないかもと、大甘な自己評価に変えつつある(笑)。

 しかしこれは、現在の腕が余りにも落ちてしまったことによるもので、「今のレベルに比べたら、まだマシだ」というに過ぎない。

 私の結婚後4〜5年の間に、ハワイアンバンド仲間が次々に結婚し、その都度、演奏することが恒例になった。いつも泥縄で、直前になってからメンバーを集めては、チョコチョコと気休めの練習して本番に臨んだ。だから結婚が後になればなるほど、演奏のレベルも順調に落ちていった。最後に結婚した奴の時なんか、ひどかったなあ。

 私だけでなく、他の連中も同じように弾けなくなっていったから、もう「ど素人集団」になってしまった(笑)。
 
posted by Boo! at 22:08| 埼玉 ☔| Comment(5) | 過去日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月17日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 4

 大学のハワイアン・サークル仲間の同輩、後輩、それに混成バンド(3つの大学のミックス)のメンバーに結婚する旨を連絡すると、皆、喜んでくれて、まだ招待状を送るかどうか決めていないのに、勝手に、披露宴に出席するのが当然のような話しぶりだった(笑)。

 しかし、予定会場は大学が運営する式場だったので、ホテルのように大きくはなく、披露宴会場に収容できる人数にも限りがある。一生に一度のことだから(読者の中には2度、3度の方もおられるかも知れないが・・(笑))、一流ホテルで盛大に行うことも考えないではなかったが、やはり、自分たちの身の丈に合った結婚式・披露宴にしたほうが自然体だろうと、ここに決めた。

 それに我々二人は同じ出身大学であるから、その大学が運営する会場にはなんとなく親近感がある。また、経費が格段に安かったことも魅力的だった。大ホテルの半分近い料金だった。

 両家の出席予定人数を照合し、何とか収容人数内に収めることが出来た。

 式の日が段々近づいてきた頃、誰からともなく「披露宴では演奏するのでしょう?」と言われた。特には考えていなかったので、「そうか、それもそうだな。折角ハワイアン仲間が大挙して集まるのだからなあ・・・」と思い、検討することにした。続きを読む
posted by Boo! at 20:17| 埼玉 ☀| Comment(6) | 過去日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月09日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 3

 大学を卒業して数年経過する頃には、ハワイアン・バンドの存在感は益々薄くなり、ハワイアン音楽そのものが隅の方に追いやられてしまった感があった。

 あれほど活況を呈していた銀座「タクト」もハワイアン・バンドでは客を呼べなくなり、ハワイアン以外のグループや演芸みたいな出し物が多くなった。ラジオからもハワイ音楽が流れてくることは滅多になく、せいぜい夏が近づくと思い出したように特集を組む程度だった。

 かくいう私もハワイアンへの関心がなくなり、大学時代に使っていた中古のスチールギターも卒業と共に押入れの奥に眠ってしまった。

 音楽の関心は完全にジャズに移ってしまい、買うレコードはジャズばかり。とは言え、安給料の身ではそう何枚も買えない。

 当時、NHKによるFMの実験放送が始まり、やがて本格的な放送になった。これが実に良質な番組で、ほとんど一日中音楽を流していた。余計なおしゃべりも一切なく、また、AM放送に比べて音質がはるかに良かったので、「日本にもこんな良い音楽番組が流れるようになったか」と嬉しかった。

 ただ、放送される音楽はクラシックが圧倒的に多く、7割位を占めていたと思う。残りの3割にポピュラーや歌謡曲/邦楽、それにジャズが組み込まれていた。

 毎月、隔週の金曜日だったか、夕方4時から6時までの2時間、ジャズの特集をする番組があった。それもLPレコードをほぼ丸ごと流してくれるので、留守録には最高だった。現在では考えられないが、冒頭でアルバムの紹介をしたら、最後までノン・ストップで流した。2時間番組だから、これはつまりLPレコードが三枚ほどただで手に入ることになるのだ。

 金のない身だ。これを見逃す手はない。毎回欠かさずタイマー録音してせっせと録り貯めた。数年続けたから、膨大な曲数になった。

 この時期に集中してジャズを聴きこんだことは、私にとっては大きな財産になった。それに放送だから、自分の好き嫌いに関係なく、色んなプレーヤーのアルバムに接することができ、ジャズ世界の奥深さを知ることも出来た。

 やがて私も人並みに結婚を考える年齢になった。低収入とはいえ、まあまあやっていけるメドも立った。物好きにも私と一緒になってくれる彼女も、しばらくは仕事を続けたい希望をもっていたから、二人で頑張ればなんとかなるだろうと遂に決心した。

 結納を交わし、式の日取りも決まった。親類は勿論、仕事仲間にも招待状を送ることになったが、私は誰よりも先に大学時代に苦楽(楽だけか?)を共にしたハワイアン・サークル仲間に知らせたかった。

 
posted by Boo! at 23:03| 埼玉 ☁| Comment(2) | 過去日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月28日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 2

 いつもと変わらぬ場所にステージを設け、後輩達が演奏を繰り広げていた。しらばっくれて、何食わぬ顔で客席に座った。しかしすぐにばれてしまい、ステージ上から挨拶されたので、少々、気恥ずかしかった。

 この年からレギュラーに昇格した後輩バンドは、2,3年生を主体に編成されていた。前年まで私と行動を共にした新4年生は、本来であればOBバンドとして出演できるのだが、スチール担当であった私が卒業してしまったのでバンドとして成り立たず、プログラムには載っていなかった。

 現役時代の私はバッキー・スタイルで弾き通したが、新しくレギュラーになった後輩スチールはオッパチ・スタイルで一生懸命弾いていた。「熱風」などにも挑戦していたが、いかんせん、ピッキング技術が未熟で、やたらに音を省いていた(笑)。これでは「熱風」ならぬ「温風」いや「冷風」ではないかと思ってしまった。またムード歌謡曲を取り入れて唄っていたのには苦笑してしまった。

 現役時代の私はかなり突っ張っていたから、歌謡曲は一切取り入れなかった。純粋なアマチュア精神(?)に満ち溢れていたので、「歌謡曲なんか弾いてられるか!」と強い拒否反応があった。

 ワンステージを聴き終えると、そそくさと席を立った。正直、次のステージを聴く気になれなかった。レベルの低下を感じてしまい、がっかりしてしまったのだ。

 もうハワイアンの時代は過ぎ去り、スチールを弾いてみよう、ギター、ウクレレを弾いてみたいという希望者がどんどん少なくなっていたから、レベルが低くなるのは避けられなかったのかも知れない。何よりも、ハワイアン・サークルを存続させることができるのだろうかと、将来に危機感を持った。実際、その不安視は当たることになるのだけれど・・・。
posted by Boo! at 22:00| 埼玉 ☀| Comment(0) | 過去日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする