2007年07月21日

スチールギター再挑戦-そのきっかけから現在まで 1

 大学を卒業すると同時に、スチールギターからは完全に離れてしまった。一緒に卒業した仲間たちも社会人として、サラリーマンになったり、故郷に帰って家業を継いだりとそれぞれの道に進んだ。

 私が就いた仕事については、一切触れないことにする。これは書き出すと止まらなくなるし(一応、専門職ですから幾らでも書けます)、皆さんには興味のない話になるでしょう。ですから、質問されてもお答えしません(キッパリ!)。もし書くとすれば、多分、全く別のブログを作って、同じ世界の者同士でやり取りすることになるでしょう。

 なんたって、ここはスチールギターのブログなのだ(笑)。

 楽器から離れたとは言え、音楽を聴く習慣はいささかも衰えなかった。安給料とはいっても、毎月ちゃんとお金が入ってくるから、せっせとレコード買いに費やした。低収入でも実家を出なかったから、食費だけを家に入れて、あとはほとんど自由に遣う事が出来た。勿論、貯金などしない。いや、そんな余裕は無かったというのが正しい。

 みるみるレコードが増えていったと書きたいが、あの頃、大卒初任給3万円弱の時代に、LPレコード一枚、1800円から2000円くらいしたから、大変高価なものだった。だから、月にやっと3,4枚しか買うことが出来なかった。それでも、一年に4、50枚づつ増えていった計算になる。

 ミカン箱やりんご箱を改造して、レコード収納入れにしたが、箱が一つ一つレコードで埋まっていくのが楽しみだった。買うレコードはジャズばかり。ハワイアンには見向きもしなかった。

 大学を卒業したその年の秋、前年まで大活躍(?)した恒例の大学祭が始まり、懐かしさもあって出かけてみた。後輩バンドがどうなったか、頑張っているのか、この目で確かめたかったのだ。
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2007年07月12日

スチールギターに初挑戦した頃_番外 

 再三再四書いているように、私がスチールギターに興味を覚えるきっかけを与えてくれたのは、バッキー白片氏であった。

 50年以上も前の遠い昔、まだ小学生だった私が、初めてバッキーさんの生演奏に接したことが原点になっている。やがて大学生になり、ひょんなことからスチールに触れることになった。それも遅めで、3年生になってから見よう見まねで弾き始め、卒業までの2年間のみの経験しかない。

 2年間は短かったけれども、恐らく、人の何倍も練習した実感がある。今では考えられない打ち込みようだった。お勉強には全然打ち込まなかったが・・(笑)。お陰で、学生としては、まずまずの結果が残せたかなとは思う。

 しかし、2年間脇目も振らずに没頭したことへのリバウンドなのか、卒業し社会人になると、一種、脱力感みたいなものが生じ、楽器に向かうことが無くなってしまった。全く関心がなくなってしまったかのようだった。聴く音楽もジャズばかり。ハワイアンを聴こうとは思わなくなった。続きを読む
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2007年07月02日

スチールギターに初挑戦した頃 85(終)

 関東甲信越大会を目前にしての急病発症。やむなく断念することにした。

 この時を最後に、大学時代のハワイアン活動は終止符を打ったと前回書いたが、これはステージでの演奏活動という意味である。厳密に言えば、卒業する直前までは、仕事としての演奏は続けた。

 自慢ではないが、結構、引っ張りだこのバンドであったから、実に沢山の仕事依頼があった。

 それに加えて、私は大学仲間とだけでなく、例の半プロのバンドでも、依然、ギター或いはベースとして(この頃はほとんどベース)参加していたから、12月などは掛け持ち状態で仕事をこなし、かなりな稼ぎになった。当時の大卒初任給は大体2万円くらいだったと思うが、10万円以上になることもあった。

 もう一つの先輩との混成バンドは、前の年に半数が卒業してしまったので、自然消滅していた。

 4年間の大学時代は長いようで、短かった。
 勉強そっちのけで、部活動に没頭した4年間であった。この活動を通じて、良き仲間を沢山持つことができたし、普通ではなかなか知り合うチャンスもない一流のプロの方々ともお近づきになれた。

 お勉強の方の中身は空白のまま卒業したが、音楽活動に限っては、実に実りの多い、中身の濃いものになった。続きを読む
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2007年06月26日

スチールギターに初挑戦した頃 84

 練習に熱が入ったからではなかろうが、体からも熱が出た。それも大変な熱で、40度近くにもなった。

 それでもアホな私は、練習を休むこともせず、無理して大学に行った。単なる風邪だろうと甘く見ていた。だが、意識は半分朦朧として、練習にはならなかった。3日目にはさすがに限界を感じ、練習の途中で切り上げ、タクシーで帰宅した。もう歩く力もなかった。

 家に着くや、部屋のフトンに倒れるようにもぐりこんだ。ほとんど、意識を失っていた。

 2日間、高熱にうなされ続けたが、一向に下がる気配がなかった。勿論、母も大変心配して、おろおろしていた。自分でもただ事ではないと感じ、3日目、起きる早々、近くの病院に駆け込んだ。

 医者は真剣な表情で、聴診器を胸に当て、脈拍を計り、熱も計った。そして、「これは、肋膜炎の疑いがありますね」と言われた。「正確な診断には、レントゲン検査をしないと断言できませんが・・・」とも説明したが、一瞬、目の前が真っ暗になってしまった。

 この状況に及んでも私はまだ、体のことよりもコンテストのほうが気になった。

 だが医者は最後にとどめの一言を発した。「とにかく、結果がでるまでは、絶対安静ですよ」と釘を刺されてしまった。

 翌日、結果を聞きに行った。半分覚悟、半分楽観していた。医者は、「ウーン、もう少し遅かったら大変なことになっていましたよ。」の言葉で「ああ、良かった」と勝手に安心した。所が、「しかし、急性の肋膜炎になるところだったのですから、しばらくは無理なことをしてはいけません」と強く注意されてしまった。

 そうは云っても、コンテストの日は近くまで来ている。このままでは練習は無理。ロクな練習もせずに出場するほど図々しくはない。

 大変悩んだ。甘い見通しで結論を先送りして、結局は出場できなかったら、関係者は勿論、仲間にも多大な迷惑をかけることになる。

 ここは早めに結論を出して、少しでも迷惑をかけぬことにしようと心に決めた。残念ではあるが、参加辞退を申し出ることにした。

 仲間の一人に電話をかけ、事情を説明、理解を求めた。彼は(後輩)、「気にしないで下さい。体の方が大事です。予選で1位になったことだけでも、我々は嬉しかったですから・・」と、さらっと云ってくれて有難かった。

 現金なもので、コンテスト辞退と決まった途端、もうそのことには関心がなくなってしまった。我々の代わりに出場することになったであろうグループがどこであろうと、どうでもよかった。

 こうして私の大学時代のハワイアン活動は終止符を打つことになった。
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2007年06月22日

スチールギターに初挑戦した頃 83

 話が変な方向にそれてしまった。

 写生大会の金賞トロフィーと賞状は、学校側のいい加減な対応によって受け取ることが出来なかった。しかし、楽器メーカーによるミュージック・コンテストの方は、きちんと対応してくれて、1ヶ月くらい後だったか、受け取ることができた。

 一緒に出場した仲間と共に、都内の楽器店に出向いた。係りの人が応接室に案内してくれて、しばらく待っていると店長らしき方がトロフィーを持って部屋に入ってきた。

 それはとても小さなもので、高さが15センチくらい。土台には金属プレートが貼られていて、そこにしっかりと我々グループの名前が刻印されてあった。

       gtB[.JPG


 地区予選程度の優勝では、立派なものを期待するほうがおかしい。それでも、やはり嬉しかった。賞状も渡されるのかと思ったら、それは、次の関東甲信越大会、決勝の全国大会で入賞しないともらえないらしい。

 さあ、次は関東甲信越大会だ。各地区を代表して選ばれたグループが集結する。レベルも相当に上がるに違いない。我々の演奏レベルでは、優勝はおろか、入賞することも難しいに決まっている。

 しかし、折角のチャンスだから後悔しないように、全力をかけて挑戦しようと心に決めた。身が引き締まる思いだった。

 練習にもものすごく熱が入った。これでもか、というくらい練習に没頭した。

 所がそんな矢先に、私の体調がおかしくなってきた。
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2007年06月18日

スチールギターに初挑戦した頃 82

 1,2ヶ月過ぎても、担任からトロフィーや賞状が届いたとは知らされなかった。
 
 銀賞を受賞した別クラスの友人とも「あれ、どうなったんだろう?」と、時々話したものだった。

 直接、担任に問い合わせるにも、なにか抵抗があり、「必ず、先生が知らせてくれる」と信じて、黙っていた(・・おとなしい生徒だったのだ)。

 やがて、その年も終わりに近づく頃には、私の関心もどこかに行ってしまい、クラス内でも話題に上ることはほとんどなくなった。

 年が明け、小学校卒業も間近になった。時々、ふっとトロフィーがちらつくこともあったが、もうほとんど期待しなくなっていた。というのは、担任の態度に不信感を募らせていたからだ。

 約束のトロフィーや賞状が届かないのは、別に学校や担任だけの責任ではない。大会を主催した絵の具メーカーの不手際という可能性だってある。しかし、そういう誰かの責任論ではなく、担任の不誠実な対応に問題があった。届く、届かない以前に、経過報告をして、どういう状況なのかをキチンと説明すべきだったのだ。そういう点では責任があった。

 所が、担任からは一言の説明もなかったし、完全に忘れ去ってしまったようだった。純真な子供の気持ちをないがしろにするもので、今から思えば、教育者としてふさわしくない・・でも、その後、校長になったが。結局、受け取れぬまま、卒業してしまった。続きを読む
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2007年06月13日

スチールギターに初挑戦した頃 81

 写生大会で「金賞」という大きな賞をもらった私は、有頂天になり、両親は勿論、従兄や近所の悪餓鬼共に自慢して回った。みな、目を丸くして「すげーな!」と驚いていた。もう鼻高々だった。

 不思議なもので、それまでは絵なんかには興味もなかったのに、俄然、関心が高まった。図工の時間も、うって変わったように真剣に描くようになった。

 同じ素材を元に、クラス全員でデッサンし、描き終ったら皆で審査することもあったが、常に私ともう一人が選ばれた。自分でも急に上手くなったような気がしたものだった。

 だが本当は、もう一人の彼のほうが遥かに上手いと思っていた。彼は、天才的に上手く、私なんかとは比較にならない(・・彼は後に漫画家になる)。しかし、余りにも個性が強烈だったせいだろう、写生大会では彼の作品は選ばれなかった。要するに、審査員に観る眼がなかったのだ。

 いつ、トロフィーや賞状が届けられるのか、待ち遠しかった。

 だが、1ヶ月経っても、2ヶ月経っても担任からは何も知らせてくれない。
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2007年06月08日

スチールギターに初挑戦した頃 80

 思いもよらぬ我々グループの第一位予選通過。それはもう、手放しで喜んだものだった。

 私なんか、生まれてこの方、他人と競争して一位になったことなどない。学業だってひどいもので、常にクラスの下位争いの中心にいた・・・言い訳すると、小学生時代だけは結構よかったのだが・・・。運動会の徒競走だって、一位は皆無。二位が最高だった。

 いや、一つだけあったぞ!

 小学6年生の時、絵の具メーカー「ぺんてる」主催の小学生全国写生画大会があり、私の小学校も参加した。

 学校近くの田んぼ(当時はまだ、杉並区にも水田が広がっていたのだ)や、神社、公園などに全校生徒が思い思いに散らばって、写生した。

 今でもそうだが、私に絵のセンスなんかない。図工の時間も、退屈極まりなく、ただ、適当に描いては時間をつぶしていただけだった。

 私が写生したのは、大きな神社の杜を背景にした田んぼの風景だった・・・今となっては、日本の原風景みたいなものだ。

 約1ヶ月後、発表があった。各学校から金賞、銀賞の二人が選ばれることになっていた。

 その日登校すると、教室が妙にざわついていた。私が教室に入ると、一瞬、静かになった。誰かが、「***よ!お前の絵、金賞だぞ!」と叫んだ。そんなことは信じられないから、笑いながら「ウソつけ!バカヤロー!」とかわした。「本当だよ。職員室に行ってみろ!」と真面目な顔で言う。まさかと思いながら、教室を飛び出した。

 職員室の前はロビー風になっていて、広い空間があり、吹き抜けになっていた。その中央の壁に何と私の絵が額縁に入れられてかかっているではないか!額の下部には長い金のテープが垂れ下がっていた。そして、「金賞受賞。6年生***君」と書かれた紙が貼られていた。

 担任も大いに喜び、「良かったな!***。**日後には賞状とトロフィーが贈られるぞ」と言った。担任が私を褒めてくれたのは、この時が最初で最後ではなかったか(笑)。

 だがこの後、担任を一生恨む展開になって行くとは、まだ知る由もなかった。
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2007年06月02日

スチールギターに初挑戦した頃 79

 注目すべきグループの編成は、なんとペダル・スチールギター、E.ギター、ベース、ドラム、そしてバイブだったかピアノだったかの5人。この編成ではハワイアンを演奏するとは思えなかった。

 1曲目はどこかで聴いたことのある曲。そう、あのバディ・エモンズの「ウィッチクラフト」だった。中々良い音を出していた。

 エモンズの演奏を初めて聴いた時は、その余りの上手さに驚き、「こんな演奏、誰も真似できない」と思ったものだった。だが、私と同じ大学生がエモンズに挑戦している姿をまの当りにして、なんだか先にしてやられてしまったような、一種のショックを覚えた。恐らく、相当に苦労して音を採り、練習したことだろうなと思いやった。

 だが残念なことに、楽器のペダル機能が悪いのか、技術的な問題があったのか、音程が所々狂い、折角のモダンな和音の響きが汚くなることだった。それでも強いインパクトを受けた。

 その後も幾つかのグループが出てきた。女性ハワイアンバンドも出てきたが、ハッキリ云って、問題外のレベルだった。

 全グループの演奏が終了し、各審査委員の総評があった。果たしてどのグループが選ばれるのか?

 私の予想では、2つのグループが印象に残り、このどちらかが選ばれるのではと思った。どちらもハワイアンバンドではなかった。

 審査委員の総評が終わり、いよいよ優勝グループが発表されることになった。司会者が「では、審査委員長から発表していただきます」と言うと、審査委員長はおもむろにメモ用紙を見ながら、グループ名を読み上げた。

 「***部門、第1位は***大学の******と決定いたします」

 私は耳を疑ってしまった。読み上げられたのは、なんと我々のグループ名だったのだ。

 
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2007年05月28日

スチールギターに初挑戦した頃 78

 前のグループの演奏が終ったら、速やかにステージに出て、スタンバイしなければいけない。何しろ出演グループが多いから、慌しい。

 司会者が「では、お願いします」と言ったと同時に音を出した。「Honolulu・・・」から始めた。

 大学2年の時に、先輩バンドの一員として(ベースで)、TBSラジオの「大学対抗バンド合戦」に出たが、その時に審査員から指摘されたことを教訓にして、短めの演奏を心がけた。確か、エセル中田さんから「全体的に長すぎる」との苦言をもらったのだ。

 リサイタルの時は、これが最後のステージだからと、6コーラスの長さにして弾いたが、この時は4コーラスに戻した。コーラス曲の「Hawaii Calls」は2コーラス。お陰で、アッという間に終ってしまった。気持ちも落ち着き、比較的冷静に演奏することができたのは幸いだった。

 審査員から短い講評をもらったが、この時の審査員が誰だったか、思い出せない。3人いたと思うのだが、女性では、湯川れい子さんだったか、エセルさんだったか・・・男性は青木啓さんだったような気がするのだが、自信が無い。「大学対抗・・・」と混同しているのだ。

 厳しいことを云われるかと思ったが、意外にも好意的な言葉をもらった。「唄も演奏も大変よくまとまっている」と褒められた。もうこの言葉だけで、私は満足してしまった。

 後は、残されたグループの演奏が全て終了するまで、待機するだけだ。ステージを下り、一般客と同じように客席に座り、他グループの演奏に耳を傾けた。

 やがて、注目すべきグループが現れた。
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2007年05月23日

スチールギターに初挑戦した頃 77

 最初の関門、地区予選は主催者である楽器メーカーのホールで行われた。

 地区予選といっても、東京は広いし、エントリーするグループも数多いから、確か、東と西の2地区に分けられていた。我々のグループは東地区に入った。

 当日、会場に入ると、10以上のグループが集まっていた。この日は、「その他組」の予選会だ。ハワイアン、ウェスタン、ラテンのようなバンドが集結した。この中から、1グループだけが予選を突破できる。中々厳しい戦いだ。

 演奏は2曲と指定されていた。新しい曲で挑戦する勇気も時間もなかったから、リサイタルで演奏した「Honolulu・・・」と「Hawaii Calls」で挑むことにした。

 他のバンドと競うというのは、やはり一種独特の緊張感に包まれ、みんな自分たちよりも上手いのだろうなと、いささか、しり込みした。

 我々の前に演奏したグループの中では、特に上手いな、と感心するほどの演奏は正直いって、見当たらなかった。そこそこにはまとまっていたが、アマチュアの域を出ていなかった。お陰で、少々ビビッていた気持ちが薄らぎ、「何だ。自分たちと余り変わらないじゃん!」と変に安心し、開き直ることができた。それは他のメンバーも同じ気持ちだったろう。

 ステージの端に隠れるようにして(客席からは見えない)、他グループの演奏に耳を傾けながら、自分たちの出番を待った。

 やがて司会者から我々グループの名前が紹介され、ステージに呼ばれた。

 慌しく楽器をセットし、スタンバイした。
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2007年05月18日

スチールギターに初挑戦した頃 76

 大学祭も終わり、私の役目は全て果たしたと、自分なりには満足した。

 思い返せば、1年生の時からステージに立ち続けることができたのは、誠に幸運だった。全てはちょっとしたキッカケで、その都度思いもかけぬ方向に針路を変えた。

 原点は、子供の時に両親に連れられて観に行った警視庁主催の家族慰安演芸ショーだ。その時初めて目に、耳にした「バッキー白片とアロハ・ハワイアンズ」の演奏がその後の大学ハワイアンバンド参加につながる遠いキッカケになったと思う。もしそのような出来事がなかったら、果たしてハワイアン音楽に近づいたかなと思う。

 もう、大学生として演奏する機会は来ないのだと思うと、練習しようという気も起きない。4年生だから授業もあまりないし、どちらかといえば、ヒマを持て余すようになった。就職も既に内定をもらっていたから、就職活動する必要もなかった。

 映画を見に行ったり、時々「タクト」に行ったりと、毎日、無為な時間を過ごした。

 そんなある日、後輩から電話がかかってきた。続きを読む
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2007年05月14日

スチールギターに初挑戦した頃 75

 リサイタルに続き大学祭も、後夜祭でのアンコール演奏を最後に、全てが終ってしまった(アンコールですよ!)。

 人間、目的が無くなってしまうと、一種抜け殻状態になってしまうものだ。2、3日ボーとしてしまった・・・元々、私はボーとした性格ではあるが(笑)。

 何をするでもなく、何日かぶりで部室に寄ってみた。すると、待っていたかのように、後輩の一人が「***さん、ご覧になりましたか?」と、いきなり切り出してきた。何のことやら分らず、「何のこと?」と問い返すと、「週間Aに先輩たちの写真が載っているんですよ!」と云うではないか。そして、彼の汚いカバンから週間Aを取り出し、パラパラとめくり、指で示しながら私に手渡した。続きを読む
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2007年05月09日

スチールギターに初挑戦した頃 74

 リサイタルも無事に終った。お世辞半分にしても、周りからは好意的な感想をもらい、素直に嬉しかった。後は、大学の文化祭が控えていた。

 文化祭への準備は特にはしなかった。リサイタルから文化祭までの期間が短かったこともあって、新たな曲を準備する意欲も湧かなかったのだ。レパートリーの数もそこそこにあったし、リサイタルでのプログラムを中心に何通りか組めば良いだろうと考えた。

 文化祭では、野外ステージと、教室をライブハウス風に模様替えしたステージで、1日に2回づつ、計4回演奏した。自慢ではないが、我々のステージはいつも満席になった。売り上げに貢献したのだ。

 文化祭の2日目だったか3日目だったか、野外ステージで演奏していると、客席の中に、どこかで見たような女性の顔が目に入った。何と、かの有名なE.N女史ではないか。他のメンバーは気がつかなかったようだが、目ざとく見つけた私は、司会者を呼び、彼女にステージに上がってもらうようにマイクで言わせた。

 司会者が「只今、ハワイアン歌手のE.Nさんがいらしております」と、客席に向かって言った。そして、ステージに上がるように促した。続きを読む
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2007年05月05日

スチールギターに初挑戦した頃 73

 やはり緊張のせいか、自分の声が良く聴こえず、メンバーの声だけがいやに耳についた。それでも途中のバイブの間奏ソロあたりになって、いくらか気持ちが落ち着いてきた。

 出来が良かったのか悪かったのか、私には判断できなかったが、曲が終るや大きな拍手に包まれた。前年度のリサイタル時とは明らかに違う反応だった。

 ステージ・オープニングの出だしをいきなりコーラスからというのは、一つのカケだったのだが、予想外の反応をもらい、全体に気持ちの余裕が生まれた気がする。

 MCを入れず、すぐ2曲目の「Honolulu・・」演奏に入った。思えば、バッキーさんのアドリブを真似したくて、夢中になってコピーした。練習を含めたら、一体どれだけの数を弾いた事だろう。

 それまでは、4コーラスでまとめていたが、私にとってはバッキースタイルの集大成ともいうべき「Honolulu・・」だ。バッキーさんの色々なアドリブ・バージョンから集めたフレーズをつなぎ合わせ、6コーラスの長さに伸ばした。

 6コーラスといっても、テンポが速いから、あっという間に終った気がした。とにかく、悔いのないように思い切り弾くことだけを考えた。自分ではミスなく弾けたつもりだった。だが、後日、収録されたテープを聴いてみると、やはり、いくつか気になる所があった。しかし、細かいミスであり、恐らく弾いた本人しか分らない程度のものだったと思う(いや、甘いか・・)。

 2曲を終えてからは、1曲ごとにMCが入り、曲の紹介、メンバー紹介と続いた。私からMC役を押し付けられたバイブ担当の後輩は、なかなか堂々とした話しぶりで、いつもの彼とは別人のようだった。人は見かけによらぬものだ。

 私に、スチールを弾いて欲しいと泣きついてきた、元スチールの後輩によるボーカルも大変好評。会場をしーんとさせた。彼は、唄だけには自信をもっていたからなあ・・・。

 インビテーションズの2曲目のナンバー、「Sweet Someone」もなんとか無難に切り抜け、最後は「キャラバン」の演奏で締めくくった。

 実感として、満点の出来ではないにしろ、悔いのないステージだった。達成感のような満足感があった。

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2007年04月28日

スチールギターに初挑戦した頃 72

 我々グループの出番は5番目だった。別に下手な順番から出演プログラムが決まった訳ではなかろうが、結果的には、そのような印象だった。

 我々の直前に演奏したグループはモダン・ジャズのAグループ。M.ジャズは、ハワイアンと違って抱えているメンバーが多く、AとBの2グループに分かれていた。Bグループがトリをつとめる事になっていた。

 ついに出番になった。慌しく楽器のセットを終え、幕が上がる瞬間を待った。この短い時間が最も緊張する。早く幕を上げて欲しいような、上げて欲しくないような気持ちの入り混じった精神状態だ。

 いきなりコーラスからのオープニングなので、センターマイクを中心に4人が並んだ。イントロはバイブからだ。たった4小節だが、「うまく弾いてくれよ」と祈った。

 総合司会者のアナウンスが終わり、幕が上がり始めた。私がカウントを出し、後輩がマレットをたたき始めた。大丈夫だ、ミスしなかった・・・意外と図々しい奴だと見直した。

 イントロに続き、コーラスに入った。

 「Hawaii Calls・・・・」
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2007年04月23日

スチールギターに初挑戦した頃 71

 リサイタル会場は某区の公会堂。前年も公会堂だったが、他の区だった。当時、我々のクラブは、3ヶ所の公会堂を順繰りに利用していた。

 本番は夕方6時スタートだったが、楽器の搬入やセッティング、リハーサルがあるので、お昼過ぎには会場に集結した。既に関係者達が忙しそうに動き回っていた。

 会場に一歩、足を踏み入れる瞬間というのは、一種独特な緊張感が走る。まだ、客席には誰もいないのに、ピーンとした雰囲気が伝わってくる。

 1年生の時から、ベースとして先輩バンドのメンバーに登用され、何度か大きな会場での演奏経験があったが、緊張感が高まる気持ちに変わりはなかった。楽器のセッティングを終え、リハーサルを待つだけになった。

 一バンドに与えられたリハーサル時間は約30分間。本番と同じように進行することになっていた。これは、マイクの調節やスポットライトの当て方がバンドによって異なるので、オペレーターに確認してもらう必要があったのだ。続きを読む
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2007年04月17日

スチールギターに初挑戦した頃 70

 リサイタル直前の約2週間前に、「インビテーションズ」のコーラスを2曲に絞り込んだ。4曲交互に練習を続けていたのだが、その中でも、比較的歌い易いと感じた2曲に決めた。「Sweet Someone」と「Hawaii Calls」だった。

 リサイタルでは、この2曲とリード・ボーカルのソロ1曲(曲は忘れた)、スチール・ギターの演奏もの2曲(Honolulu・・・とCaravan)の計5曲のプログラムで臨むことにした。

 授業そっちのけで、練習にあけ暮れた。コーラスは歌えば歌うほど、各自、声がよく出るようになるし、自分のパートを完璧に覚えこんでしまえば、他のパートの声もよく聴き取れるので、それぞれが声のバランスを取って歌えるようになる。きれいなハーモニーになってきたと感じた。

 演奏曲もしつっこいほど繰り返し練習したので、前年のリサイタル時に比べると、かなり自信を持って臨める状態だった。

 急きょ、バイブを弾かされることになった後輩が最もナーバスになっていたかも知れない。練習でも緊張した表情でマレットを叩いていた。落ち着いて弾けば、まずまずの線で弾ける所までにはなったのだが、このままでは、本番になったら舞い上がってしまうのではと、危惧した。

 彼を落ち着かせる良い方策はないものかと、頭を捻った。そこで一計を案じたのが、彼を司会役に抜擢することだった。元々、おしゃべりな奴だったから、うってつけでもあったし、一言しゃべることによって、気持ちも落ち着くのではと考えたのだった。

 バイブを押し付けた時は怖気づいていたが、司会役を押し付けると、意外にもすんなりと引き受けた。

 ついにリサイタル本番の日がやって来た。





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2007年04月13日

スチールギターに初挑戦した頃 69

 「ジ・インビテーションズ」の採譜に力を注いだことは、その後のジャズに夢中になる土台になったように思う。いわゆるジャズのサウンドに目覚めてしまったのだ。それに反比例するように、ハワイアン音楽への熱意が急速に冷めていくことにもなるのだが・・・。

 リサイタルまで、充分な日数がなかった為、ともかく4曲ほどをコピーし、必死になって練習した。私自身が歌うことは全く考えていなかったが、どうしても4声が必要だし、仕方なく3番を担当した。

 授業の合い間や、昼休み時間、とにかく時間があったら集まってコーラスのみの練習をした。その甲斐あってか、段々、さまになってきた。それらしいハーモニーになってきたのだ。テープに録音して後で聴きなおしても、おかしなハモリにはなっていなかった・・・当時の耳だから、本当の所は自信がないが。

 一つ困ったことは、これらコーラスのイントロや間奏をどうするかということだった。私のスチールギター演奏では、余りにもアンバランスだと感じた。これは、どちらが良い、悪いの問題ではない。インビテーションズとバッキー・スタイルでは、目指すサウンドが両極端であり、とても相容れない。

 そこで、コーラスには参加していないが、打楽器とウクレレを担当していた後輩にヴィブラホーンを弾かせることを思いついた。打診すると、「えーっ!弾いたことがないです」と怖気づいていたが、強引に説き伏せた。イントロにしても、間奏にしてもたった4小節と8小節だ。必死に練習すればこの程度は何とかなるだろうと計算したのだ。私だって、ベースからスチールに転向した時はもっと厳しい条件だったのだ。

 楽器は、卒業した先輩が使っていたものが部室の奥に眠っていたので、急拠、引っ張り出して皆で組み立てた。

 さすがに難しいフレーズを弾かせることは無理だと思ったので、音数を少なくして、その代わり、きれいなハーモニーで弾けるように、アレンジした。余計な事は考えず、決められた音だけを弾けるように練習しろと厳命した。
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2007年04月10日

スチールギターに初挑戦した頃 68

 当時、もしピアノやオルガンといったキーボードを持っていたら、コピーした音をもっと簡単に確認できたかなと思う。しかし、そのような高価なものは勿論持っていなかったので、ギターで音を確認し、譜面に起こした。

 取り敢えず1コーラスをコピーし終ると、早速、練習日に譜面を持参し、後輩たちに歌わせることを試みた。「リサイタルでジ・インビテーションズのコーラスを1曲か2曲、取り入れるぞ」と伝えると、彼らは「エーッ!」と驚いていたが、スチールギターからリードボーカルに転向した後輩は、目を輝かせ、やる気満々の顔をしていた。

 後輩たちは、残念ながらほとんど譜面を読めなかった。私だって同じようなものだが・・・。そこで、2小節づつ、各パートを私がギターで弾いて、覚えこませることにした。これが難儀だった!

 ひとまず覚えた所で、4人一緒に声を出させる。変な声が聴こえたら、譜面が間違っているか、唄った本人が間違えたかのどちらかだ。一つ一つ確認していった。4人が正しい音で歌うと、それらしいハーモニーになり、みんなで喜んだものだった。アマチュアはこんな程度でも、大喜びするものだ。今ひとつしっくり来ないときは、パートを組み替えたりして、少しづつ修正した。

 唄コーラスをコピーしてみて分ったことは、低いパート部分がいかに重要な役目をしているか、ということだった。この部分がしっかりコピーできれば、かなりバッチリしたハーモニーになると実感した。
posted by Boo! at 21:24| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする