2008年12月10日

古PC処分! 32

 1Mから12Mコースに変更申し込みをすると、早速、新しいモデムが送られてきた。引き換えに、それまで使用していた1Mモデムを返却した。レンタルだから返さなければならない。ただ、うっかりして、説明書も一緒に送ってしまったので、後日、設定を細かく見直そうとした時、少々、困ってしまった。1Mも12Mも共通の説明書だったので、新しいモデムには同梱されていなかったのだ。

 1Mから12Mへの変更は、確かに、反応が良くなった事を実感した。大きいファイルサイズのフリーソフトをダウンロードしても、OSの更新も、ほとんどストレスなく終了できるようになった。また、インターネットのページも、以前は画像が多かったりすると、途端に重くなり、なかなか開けないことがあったが、それもほぼ解消された。

 これだけ快適になって月額利用料が2000円程度だったら、安いものだ。しばらくは、これで充分だと思ったし、現在でも12Mのまま使い続けている。

 本心を言えば、「光」接続にしたいのだが、ネックは利用料金がまだまだ高すぎることだ。マンションのような共同住宅であれば、かなり低額のようだが、戸建の場合は、6、7千円はかかる。ケーブル・ネットも検討したが、同じ程度かかる上に、見たくもないテレビチャンネルも契約すると、1万円近くかかるというから、あきらめた。貧乏性というのか、どうも、形の見えぬものには、必要以上に金を掛けたくないところがある(笑)。

 これだけインターネットが普及したのだから、プロバイダー会社はもっともっと、値下げする努力も必要ではないか? 私の考える適正料金は、「光」が月3000円程度、ADSLが月1500円といった所だ。これなら、即、「光」に乗り換える。続きを読む
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2008年11月21日

古PC処分! 31

 インターネットに常時接続できるようになると、PCの世界が一気に変わってしまったような、劇的な変化をもたらした。

 それまでの「ダイアルアップ接続」とは比較にならないほど、アクセススピードが速くなり、もたつき感がなくなった。1時間も2時間もかかっていたダウンロードも、わずか数分で終了する。

 なにより、一日中接続しても、毎月の利用料が変わらないというのが嬉しかったし、お気軽に接続できる。その代わり、電気料金は増えたかもしれないが。

 面白がって、いろいろなサイトを覗いたり訪問したり、なにか調べたいことがあれば、すぐに検索した。まるで一つのアプリケーションを使っているような感覚だった。海外のサイトにも興味深いものが多数あり、自分のPCが世界と繋がっている事を実感した。

 あっちのサイト、こっちのサイトを渡り歩くことを、「ネット・サーフィン」と言うらしい。上手い呼び方を考えたものだ。

 話は変わるが、一般的なスチールギターはシングルネック・タイプがほとんだ。だが、こだわった和音を出そうとすると、シングルでは限界がある。その為、曲によって異なるチューニングで弾けるように、複数ネックを考案した人が、昔、いた。二本のダブルネックであり、トリプル(三本ネック)であり、最後にはクアッドネック(四本ネック)まで進んだ。しかし、重さ、使い勝手を考えると4本は少々持てあます。だから、クアッドタイプは世界でも僅少だ。

 演奏中、上のネック、下のネック、真ん中のネックと、自在に弾き分けている姿を見たことのある方もいることだろう。これを、「ネット・サーフィン」ならぬ、「ネック・サーフィン」という。いや、こんな言葉が本当にあるのかどうかは知らない(笑)。

 などと脳みそをを働かせていたら(・・もっとマシなことに頭を使えよ?)、次のような新用語が浮かんだ。

 例えば、1円でも安い特価品を求めて、あちらこちらのスーパーを自転車で駆け巡るおばさんの行動を、「スーパー・サーフィン」、金に困って、片っ端からサラ金から借りまくることを、「地獄のローン・サーフィン」・・・なんてどうかしら?

 相当におバカなことばかり、書いております。失礼しました。

 話があらぬ方向に逸れてしまった。

 大いに感激した常時接続だったが、人間の欲求はとどまることを知らぬ。やがて、ADSLの接続スピードにも慣れてくると、もっと速くならないかと、不満が芽生え始めた。特に、画像の多いページを閲覧すると、途端に重くなり、イライラさせられる。

 これを解決するには、より速いスピードサービスのコースに変更すればよいのだが、そうすると、利用料金がぐんと跳ね上がり、倍近くも支払うことを覚悟せねばならない。所得最下層レベルに位置する私には受け入れ難いことだ。

 多少の遅さは我慢して、このまま使い続けるしかないかとあきらめていたところ、私の念力が通じたか、新たな「キャンペーン期間」だといって、お得なコース変更の案内がプロバイダーから届いた。

 前回キャンペーンと同じく、利用料金が変わることなく、ADSL1Mコースから12Mコースにアップしてくれるという。「12倍も速くなるのかあ」と、感謝・感激の思いで、即、変更の申し込みをした。
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2008年10月28日

古PC処分! 30

 初めて組み立てたPCは、約6年ほど使い続けたが、この期間が最もPCを活用したといえるかも知れない。

 増え続ける音楽データをどうするかで悩んでいた。LPレコードのリストはデータベース・ソフトで管理していたが、音は聴けない。そこで、音源も一括して管理し、必要な時は瞬時にして再生できる環境にしたかった。

 しかし、一曲あたりのデータファイル・サイズは大きい。3分程度の曲でも、30MBくらいのサイズになる。これが2000曲、5000曲も集まったらHDDの容量はすぐ足りなくなってしまう。

 そんな時に注目したのが、MP3という新しい保存方式だった。今でこそ、MP3という用語は一般音楽ファンにも知られるようになったが、当時は、よほどのマニアでなければまず知らなかった。友人と話しても、皆、チンプンカンプンだった。

 PC雑誌にも、時々、記事として特集されることがあり、関心を持った。最も興味を覚えたのは、その圧縮率の高さだった。音楽CDで使われるWAVファイルのほぼ1/10で、しかも、音質はCD並みと云う。「本当かいな?」と疑った。もし本当にそうであるなら、これを使わぬ手はないと思った。

 自作PCに組み込んだオーディオ・インターフェイスに付属していたソフトに、MP3に変換する機能が備わっていることがわかり、試しに使ってみた。

 CDから変換し、MP3ファイルになったサイズを比較してみると、確かに1/10くらいの小さなサイズになっていた。「音はどうかな?」と聴いてみると、少し高音が甘くなったものの、おおむね問題ないレベルだった。「これは使える!」と思い、片っ端からMP3に変換した。

 実をいうと、この作業は現在も続いているのだ。途中、飽きてしまって何度も中断したということもあるが、LPレコードやオープン、カセット・テープのアナログ音源のデジタル化に時間がかかり、遅々として進まないのだ。それでも、相当な数がHDDにぎっしりと詰まり、一体、何曲くらいにのぼるのか、もう見当がつかない。この作業は私のライフワークになりそうだが、果たして生きている間に終るのかどうか、はなはだ疑問だ(笑)。

 もう一つ活用度が高くなったのは、インターネットだ。

 それまでは、電話回線による接続だったので、遅いことこの上ない。Eメール程度しか使いようがなかった。面白そうな記事を開こうとアクセスしてもいつまでたっても画面が現れない。何かをダウンロードすれば、2時間も3時間もかかってしまう。しかも、常時接続ではないから、1分当たり10円ほど課金される。ケチな私は、この料金が気になって、おちおちと接続などしていられないのだ(笑)。

 そんな状態の時に、契約しているプロバイダーからおいしい話が飛び込んできた。キャンペーン中とかで、「今、ADSLに契約変更すれば、月額利用料は旧料金のまま。しかも、常時接続。さらに、モデムのレンタル料も通常は月600円だが、特別に無料。」とあった。「キャンペーン」「特別」に弱い私は、即、飛びつき、申し込んだ。ADSLの速度は1Mだったが、それまでの電話回線に比べれば、月とスッポンだ。

 一週間後、新しいモデムが届いた。接続を終え、設定も完了。インターネットに接続した。

 「おおーー!」(感嘆の声) ネットの世界が目の前に現れた。
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2008年10月13日

古PC処分! 29

 PCを組み立てるといっても、初めての経験だ。マザー・ボードを眺めると、実に精密に作られていることが分る。昔だったら、巨大なシステムになったであろう機能が、ボード一枚に収まっていることは驚異的だ。

 買い揃えたパーツをボードの決められた場所に差し込むといっても、ど素人には、皆目、分らない。そこで、自作を手助けする解説本が本屋で売られているので、自分の構成とほぼ同じ内容で説明されている本を一冊買い求めた。そして、一つ一つ確かめながら組み立てを始めた。

 「案ずるよりも産むが易し」で、いざ始めてみると意外に簡単で、むしろ拍子抜けしてしまったほどだった。

 元ラジオ少年からすると、昔のラジオやアンプ製作のほうがよほど難しかった。何しろ、シャーシの製作から始まって、配線、半田付けにいたるまで全てが手作業だった。

 パソコン自作と自慢したって、マザー・ボードに部品を差し込んでいくだけだ。手順を憶え、慣れてしまえば簡単なのだ。スチールギターのほうが難しいわい(笑)。

 一通り組み立て終わると、初期動作確認のため、電源を入れた。この瞬間が最も緊張する。昔もよく配線をミスしてショートしてしまい、一瞬でパーにしたことが何度もあったっけ!

 無事、ディスプレーに画面が現れた時はほっとした。

 BIOSの設定 、OSのインストールへと進んだが、組み立てそのものよりも、こうした作業のほうが大変かもしれない。MS-DOS時代には当たり前だったHDDの初期化、パーティションの作成も面倒だ。一つ作業しては再起動を繰り返すのが特にイライラする。

 OSのインストールが無事に終了し立ち上がればもう後は楽勝だ。楽勝だが、面倒な作業はまだまだ残っている。意外に面倒な作業がインターネットの接続だ。接続の設定は、一度終えてしまえば、そう何回もやることではないから、やり方を忘れてしまうのだ。

 なんだかんだ云って、組み立てから始めて、全てのアプリケーションのインストール終了まで、二日がかりだった。

 それまで使っていた「D」のPCに比べると、明らかに反応が違った。もたつき感が無くなったのだ・・・・・・と思ったのは、最初の半年くらいで、やがて再び、色々な不満が出てくる。それでも、6年以上使い続けたのだが。

 散々お世話になった「D」製PCをどう処分するか悩んだが、義弟が欲しいというので、くれてやった。
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2008年09月24日

古PC処分! 28

 通販業者「D」から購入したPCは、結局、5年ほど使い続けた。

 主な利用目的は、データベースの構築(レコード、カセットテープ、或いは、仕事上のデータ分類整理など)と会計処理がほとんどで、文書作成などは必要な時以外、それほど使うことはなかった。

 インターネットもまだまだ普及レベルには到達しておらず、せいぜい、Eメール程度のやりとり。といっても、メール・アドレスを持つ相手が少なくて、残念ながら、利用価値が低かった。ほとんど、ファクスか電話で済ませたものだ。

 今ひとつインターネットが普及しなかった原因は、通信環境、つまり、インフラ整備がなかなか進まなかったことだったと思う。光は勿論、ADSLも整備されておらず、電話回線を使わざるを得なかったから、遅いことこの上ない。しかもその上、常時接続ではないから、通信料金が気になって、おちおちと長く接続などしていられない(ケチですから)。

 遠いアメリカでは、日本よりもはるかに先を行っており、常時接続が当たり前だと聞くたびに、羨ましくて仕方なかった。

 それでも、次第に国内のインターネット環境も整備が進み、やがて、ADSLが普及し始める。なによりも常時接続だから、その特典を使わない手はない。だが、私のPCでは、膨大な情報を送ってくるインターネットを使うには、もはや、非力そのものになってしまった。

 大枚はたいて手に入れたPCも、5年の間にすっかり陳腐化してしまった。次から次に登場する新型PCの性能は飛躍的にあがり、まるで、大人と子供の違いほどの差になってしまった。しかも、価格は劇的に安くなった。

 次のPCをどうするか、検討し始めた。当時、購読していた幾つかのPC誌で、時々、自作PCの特集が掲載された。PCを組み立てることなど、自分にはまるで縁のない話だと思っていたが、そこは「元ラジオ少年」だ。記事の内容にはいつも興味を覚えた。

 やがて、「これなら、自分でもできるのでは?」と思い始めた。パーツにしても、「えっ、こんなに安いの!」と驚くほどで、完成すれば市販品よりも格安にできる。

 そして遂に、組み立てることを決めた。どうせ作るなら、できるだけ高性能のパーツで組み立てようと、最新のマザー・ボードを選び、CPUはまだギガは珍しかった1.2ギガのPenV、メモリーも頑張って、1ギガ(512*2)を搭載。HDDは当時としては大容量の100ギガバイト。いわば、ギガPCの走りだ。

 友人にこの性能を自慢すると、皆、目を丸くして驚いていたことが懐かしい(笑)。今じゃ、入門用にも負けるなあ(淋)。

 一番迷ったのが、本体ケースだった。現在ではよりどりみどりの多種ケースが販売されているが、この頃はまだ、自作するものなどごく少数だったから、選べるほどの数はなかった。

 迷いに迷った末、星野金属工業というメーカーのものにした。価格は高かったのだが、他のものと比べると、作りが全然違っていた。精度がいかにも高く、細かい所も仕上げが素晴らしく、洗練されていた。まるで私のようだ(笑)。

 どうせ長く使うことになるのだからと、思い切って決めた。ケースだけで、5万円近くした。いまだったら、やすいPCが買える値段だ。

 PCショップで一式を買い込み、組み立てに取り掛かった。
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2008年09月03日

デジカメ物色!

 長年、愛用してきたデジカメが壊れてしまったことは、先日、書いたばかり。とりあえずの代用品として、昔、初めて買った古いデジカメでしばらくは間に合わせようと、再び取り出した。所が、これも不調で、使いものにならない。「やはり、新しい奴を買うしかないか・・・」と、下調べを始めた。

 元々、私は銀塩派で、20年くらいは一眼レフ・カメラを愛用していた。交換レンズも何本も所有している。魚眼レンズまである。しかし、世の中は急速にデジカメの流れに移行し、カメラ店に行っても、フィルムカメラなど、見かけなくなってしまった。

 私も新らし物好きだから、最初のデジカメを手に入れると、一眼レフを使う回数が激減し、2台目のデジカメ以降は、引き出しの奥に眠った状態になってしまった。未使用のフィルムがまだ何本も残っているというのに・・・。

 デジカメの良さは、やはり手軽さにあることだろう。撮った画像が即座に確認できるし、PC/プリンターがあれば、簡単に自宅でプリントできる。フィルムのように、残り枚数を気にすることなく、納得できるまで撮り直しできることも、私のようなヘボ・カメラマンには便利だ。

 しかし裏返せば、緊張感のないショットになりがちだ。「失敗したら撮り直せばよい」という気持ちがどうしても働くからだ。フィルム時代は、一枚も無駄にするまいと、一発必撮の思いを込めて、シャッターを押したものだった。

 だが、デジカメの便利さに押され、フィルム・カメラは駆逐されてしまった。ほんのごく一部のマニアだけが使っているだけではないだろうか?

 少し前までは、デジカメの画像はまだまだ、フィルムにはかなわないと云われていた。だが、どうも最近はそうでもないらしい。また、プリンターの性能も飛躍的に上がり、写真としての出来具合も不満はほとんどない。問題は腕前だけだ(笑)。
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2008年08月29日

古PC処分! 27

 DOSパソコンで利用していたデータベース・ソフトのデータファイルがウィンドウズ対応ソフトでも活用できることが分って、アップグレードの申し込みをした。

 やがて届けられた商品のパッケージはいやに物々しかった。CD一枚とマニュアルが入っているだけだろうと思っていたから、「これは過剰包装だ!」とあきれたくらい。

 しかし、箱から取り出してみると、理由が分った。一冊500ページ近い解説本が上下二冊、簡易解説マニュアル二冊、これだけで相当な厚さだった。プログラムの入ったCDは厳重に梱包されていて、「これでは、がさばるなあ」と納得した。

 それにしても、こんな分厚い解説本を読まなければ使えないのだろうかと、不安にもなった。

 とりあえず、入門用マニュアルを開きながら、一つ一つ操作を勉強することにした。

 プログラムのインストールは簡単で、画面の指示に従って進めばよい。このあたりは、DOS時代とは大きく変わり、誠に楽になった事を実感した。

 入門者への手ほどきとして、簡単な住所録を作る手順の説明があったので、それを覚える事にした。これはデータ作成の最も基本的な操作であり、ここをしっかり習得できれば、後は、レコード管理だろうが、商品管理だろうが、どんなデータも応用して扱うことができる。

 最初こそ、色々な機能ボタンの使い方に戸惑ったが、なんども繰り返しているうちに、このソフト(The CARD)の素晴らしさが分ってきた。大変高機能ではあっても、操作が分り易い。もっとも、DOS対応ソフトで慣れていたことも大きい。

 基本的な操作を大体飲み込み、次に、私にとっては最も大事なLPレコードのデータファイルを新しいソフトに読みこませる作業に挑戦することにした。時間と労力をつぎ込んで作り上げた所蔵LPの全データだ。言わば、汗と涙の結晶だ。二度と、一から入力するような作業はしたくない。

 解説本を読むと、DOSで作ったデータは、一度、テキストファイルというものに変換して、それを今度はウィンドウズのプログラムで読み込む必要があるらしい。面倒くさそうだが、これをクリアできなければ、いつまでもDOSデータが活用できない。ここでそのやり方を書いてもしようがないので省くが、ともかく、色々な条件に適合するように設定する必要がある。これはなかなか大変だった。

 試行錯誤しながらも何とか読み込みに成功し、画面にデータが現われた時は嬉しかった。このテキストファイルの使い方をマスターすると、他のどんなソフトで作ったデータであろうと活用でき、無駄になることはない。

 この「The CARD」はその後、何度かバージョンアップを重ねたが、Win98対応版を出したのを最後に発売が打ち切られてしまった。別会社に引き継がれたので、新しいバージョンアップを期待したが、いつの間にか、市場からも完全に消えてしまった。

 だが、現在でも私のパソコンでは現役である。これは驚異的だと思う。その後のOSがWin98からWin98SEになりWinMEになったが、「The CARD」は問題なく使えた。更に、Windows2000に進んだが、さすがにこの時はもう使えないだろうと半分覚悟した。所が、ダメもとでインストールを試みたら、全く問題なく立ち上がり驚いた。そして、昨年、新しく組み立てたPCにはXPとVISTAを共存させているが、これらOSでもなんら問題なく使えている。10年も前の古いプログラムが現行OSにも対応できるとはなんと素晴らしいことかと、感心している。
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2008年08月11日

古PC処分! 26

 「D」のサポートセンターは当てにならず、自分でこの困った状況を何とかしなければならない。

 マニュアルを読んでも、中々、該当するような項目が見つからない。片っ端からめくっていると、それらしきページが出てきた。どうも内蔵されているビデオカードの機能設定に原因があるらしいことが分った。

 説明文を読むと、この設定ボタンは画面の下のタスクバーにあるという。そのボタンをうっかりクリックしてしまい、訳も分らぬのに、適当な数字に設定してしまったようだった。標準の設定に戻し、再起動すると見事に(?)元の画面に戻った。わかってしまえば何のことはないのだが、まだ手探り状態でPCをいじっていると、なにかと戸惑うものだ。

 MS-DOS時代に使っていたアプリケーション・ソフトは、ワープロが「新松」・「忍者」といった当時人気のソフトをインストールしていたが、主に、「忍者」を使用していた。世間の一番人気は「一太郎」だったが・・。表計算ソフトは「Lotus1-2-3」が最も有名だったが、いかんせん、高価だった。確か、10万円を少し切る価格だったように記憶している。こんな高いもの、個人が使うには敷居が高すぎる。だから、ハナからあきらめていたし、当時はまだ、それ程の必要性もなかった。

 それよりも、データベース・ソフトが重要だった。DOS時代に必死になって入力した所蔵のLPレコードのデータファイルを無駄にしたくなかった。当時既に1500枚近くあったLPの内容を一枚一枚、事細かく入力したものだ。膨大な時間と労力を費やして構築したものだから、二度と同じ作業はしたくなかった。

 使用したソフトは「The CARD」というアメリカで開発されたものを日本語版に手直ししたもの。一つのデータを一枚のカードで管理することを基本とした使いやすいソフトで、重宝した。MS-DOSからWINDOWSに変わっても、折角入力したデータが果たして生きるのか、それが最大の関心事だった。

 「The CARD」の発売元から送られてきた案内文には、WINDOWS版「The CARD」になっても、DOS対応で作ったデータはそのまま利用できると書いてあった。

 この一文が決めてとなり、早速、WINDOWS版へのバージョンアップを申し込んだ。

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2008年07月24日

古PC処分! 25

 待望の新しいPCが届いた。大きなダンボール箱二つが玄関に運び込まれた。

 部屋に運び込もうと、一つを持ち上げようとすると思いのほか重い。それは、ディスプレーの入った箱だった。今は、液晶がほぼ100%だが、当時はブラウン管だったから、重いし、スペースも大きく占有した。奥行きだけで40Cmくらいはあったのではないか・・・。

 もう一つの箱には本体が収められていた。中身に間違いがないか、一つ一つチェックした。

 それまで愛用していたDOS/PCを机から下ろし、新しいPCをセットした。マニュアルとにらめっこしながら、各機器との接続を済ませ、恐る恐る電源を入れた。

 問題なく「Windows95」のロゴが現われ、起動できた。ここまでは、DOS機に比べるとはるかにラクチンで、手間いらずだ。

 ものは試しと、あれこれとマウスを適当に動かした。クリックすることで、簡単にプログラムが開けたり、機能が覗けたりできることが新鮮で面白かった。

 調子に乗って、片っ端からクリックしていたら、突然、画面がおかしくなった。文字がバカでかくなり、画面にはたった二文字くらいしか表示されない。何が書いてあるのか読めないし、元に戻そうにも、無意識に操作した結果だから、戻し方が分らない。仕方なく、再起動しようと、ボタンをクリックしようとするが、さっきまで確かにあったはずの終了ボタンが消えてしまっている。これでは電源も切ることができない。「一体、どうすればいいいのだ!」と慌てた。

 そして挙句には、己の無知を棚に上げて、「これは不良品ではないのか?」と心配になってきた。

 「D」の通販PCは、「365日、24時間サポートします」が売りだったから、解決してもらうべく、早速、電話をしてみることにした。

 所が、つながらない。何度かけても「只今、大変混み合っておりますので、後ほどおかけ直し下さい」のメッセージが流れる。それでもやっとつながったと思ったら、今度は、「担当者に代わりますので、そのまましばらくお待ち下さい」のメッセージが流れ、待つこと、5分、10分、30分・・・。一向に担当者なるもの、出てこない。空しくお待たせメロディが流れ続ける。

 普段は温厚で紳士的な私も(誰がじゃ)、さすがに堪忍袋の緒が切れた。猛烈に腹が立ってきた。何がサポートだ!

 「困った時は、1年中、いつでも電話で相談を受け付けます」「サービス体制は万全ですから、買っても安心です」「お客様を第一に考えています」・・・。全ての言葉が空虚に響いた。

 痺れを切らした私は、半ばやけくそに、「365日、24時間、全く応答できません」とキャッチフレーズを変えろと、電話口に向かって怒鳴りまくり、受話器を投げるように置いた。もう金輪際、相談の電話などするものかと腹わたが煮えくりかえった。

 現在の「D」がまだこのようなお粗末なサービス体制を取っているとは思いたくないが、この時の不愉快な出来事が一種のトラウマになり、二度と「D」からは買うまいと、心に誓った。「消費者をなめるなよ!」ということなのだ。
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2008年07月10日

古PC処分! 24

 PC通販業者である「D」から特別優待客として招待された私は、指定の日、会場に向かった。都内の超一流ホテルだった。

 既に、沢山の来客で賑わっており、あちこちのテーブルで商談している光景が目に入った。案内はがきを受付に渡すと、係りの者が丁重な挨拶と共に、紙袋を差し出した。中を覗くと、キャンペーン・プレゼントである「D」のロゴマーク入りのTシャツが入っており、一緒に新製品カタログも入っていた。

 何台もの新製品が展示されており、自由に触れることができた。しかし、Windowsの知識がまだ余り無い私は、他の人が操作する様子を後ろから眺めた。次から次へと美しい画面が現われ、時には、リアルなゲーム映像が出たりして、驚きの連続だった。

 やがて一人の係員が私に近づいてきて、あれこれと説明を始めた。そして、テーブルに案内され、私の要望を聴きながら、プランの検討を始めた。私がそこそこにMS-DOSの経験があると分ると、やたらに専門用語を駆使し、聞きなれぬ言葉で説明した。私も、ど素人と思われて舐められるのも癪だから、知ったかぶりして、「ふむふむ」と頷いた(笑)。

 ぱちぱちと電卓を弾いていたが、やっと提案されたプランは、PC本体、キーボード、マウス、17吋ディスプレイ、スピーカー、Windows95のOS(プレインストールだが)、それにオプションとして、ワードとエクセルをセットしたのものだった。CPU266Mhz,HDD4.3ギガ、メモリー64Mhzと、当時としては大変な性能だった。以上、定価でおよそ50万円ほど。とても、そんな金は出せない(泣)。因みに、プリンターは含まれていない。

 営業マンがおもむろに、「***さんは特別な優待顧客ですから、普通では出せない価格が提供できます」

 「そうやって人の心をくすぐりやがって」と思いながらも、満更、悪い気はしない(笑)。「幾らくらいになるんですか?」と思わず訊いてしまった。するといかにも、これ以上のサービスはありえないというような難しそうな顔をして、「***万円までなんとかできます」と言った。なんと、30万円そこそこだ。考えていた予算にも近い。

 ほとんど迷うことなく、いつの間にか、判を押していた(笑)。約2週間後に届けられるという。

 帰りの電車では一種の興奮状態で、飽かずに何度もパンフレットを読み直し、PCが部屋に置かれている情景を頭に描きながら、夢心地で家路についた。
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2008年06月26日

古PC処分! 23

 DOSでしか使えないと思い込んでいたデータベースがWindowsでも再活用できると分ると、俄然、Windowsマシンに関心が移った。

 Windows登場でPC利用者が急激に増えた為、価格も大分、低くなってきてはいた。それでも、まずまずの性能を充たすものは、ディスプレイとセットで、大体、50万円前後の値段がついていた。高かったなあ!

 これでは、低収入の身ではとても手が出せない。妻のように、勤務先から貸与されれば良いが、私の環境では、そのような理解を得るのは無理だった。

 価格がもっと下がるまで、じっと待つしかなかった。それでもいづれ新しいPCを手にした場合の事を考え、時々、妻のPCを立上げては、Windowsに慣れるようにした。

 確かにWindows画面はDOSのそれに比べて美しいし、マウスで簡単に操作できる利便性の良さは認識した。だが、なんとなく動作が重ったるく感じた。DOSでは入力する手間は多いが、キビキビとした動きで、もたることはなかった。

 ある日、新聞の一面を使った派手な広告が目に入った。それは「D」という通販を専門とする業者による新型PCの発表・発売の宣伝だった。「D」は今でこそ、すっかり、業界でも大手の会社に成長したが、当時はまだまだ認知度が低く、一般にはあまり知られていなかった。一部のマニアが関心を寄せていたくらいだった。今で言う、「ベンチャー企業」の旗頭的存在だった。

 小さい字で書かれている新製品の仕様を確認した。すると、それまでのPCに比べて、かなりの高性能マシンであることが分った。CPUの動作周波数は266Mhzとある。これだけでも「おー、すごい!」と感心した。当時の一般的なPCは66Mhzとか、良くても133Mhz程度だったから、とんでもない数字に見えたものだ。HDDだって、4GB以上の大容量だった。今では笑ってしまうような数値だが、この当時はギガなんて、途方もない容量だと思ったものだ。DOSで使っていた外付けのHDDなんて、たったの100MBだった。メガですよ。それでも定価20万円近くもしたのだ。

 もっと詳しいことが知りたくなって、広告記事に記載されている番号に電話をし、資料を送ってくれと注文した。すると、二日も経たぬうちに送られてきた。資料と共に、「特典」と書いた書類が入っていた。

 それによると、「**月**日に某ホテルで新製品の発表と案内をしますが、それに特別招待します」と書いてあった。しかもその日に限って、大特価を提供し、さらに粗品として、「D」のロゴが入ったTシャツをプレゼントするとあった。

 「特典」「特別招待」「特価」「粗品」「プレゼント」という言葉に格別弱い私はすぐに申し込んでしまった(笑)。
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2008年06月10日

古PC処分! 22

 妻が使用するWidows対応PCを横目に、私は依然としてMS-DOS/PCに固執していた。

 確かに、Windows/PCは画面も綺麗だし、操作もスマート。ほとんどの操作はマウスをクリックするだけの簡単さ。それに対して、DOS/PCは一々、文字を入力して命令しなければならない。この煩わしさから少しでも逃れようと、DOSに付属するメニュー画面に、必要なソフトを組み込んで簡単に呼び出せるようにしたりしたが、マウス操作に比べたら、やはり垢抜けない。

 一方では、内心「ワープロやデータを扱うだけなら、DOSで充分ではないか」という思いもあった。こういう所は意外(?)と頑固なのだ(笑)。

 だが、PCの世界は急速にWindows一色になって行く勢いだった。その流れをヒシヒシと感じ始めていたことも確かだった。やがて、「これはDOSと訣別しなければならないかな」と真剣に考える事態になった。続きを読む
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2008年05月28日

古PC処分! 21

 勤務先から妻に貸与されたPCは特殊な親指シフト・キーボードだったため、最初は大いに戸惑った。しかしこれも設定を変えればローマ字変換できることが分り、なんとか使えるようにはなった。

 それでも、妻の苦心ぶりは可哀想なくらいだった。それまで、PCには触れたこともなかったのだから、無理もない。ワープロ専用機はかなり使い慣れていたようだが、PCになるとまるで勝手が違ったらしい。PC独特の用語の意味が分らないから、何をどうしてよいのか、かなり混乱していた。

 私自身はMS-DOSで、そういった用語には慣れていたから、ウィンドウズでもそれほど困ることはなかった。しかし、一部の用語には、同じ意味でも呼称が異なっていたものがあり、違和感を覚えた。たとえば、今では当たり前のように使う「フォルダ」だが、DOSでは「ディレクトリ」と言った。意味、使い方は全く同じだ。

 この「フォルダ」の使い方を理解させるのが大変だった。「フォルダ」を上手く使いこなせないと、ハード・ディスク内のファイルやプログラムがごちゃごちゃになってしまうから、最初が肝心と、口酸っぱく注意した。

 それでも同じ事を何度も説明させられると、イライラしてくる。つい、口調が鋭くなって、良くケンカした(笑)。その内、私の指導法が良かったのか、かなり理解が進み、たまに生意気なことまでいうようになり、そこでまたケンカが始まった。「俺にそんな口を利くのは10年早い!・・・」と(笑)。

 当時はまだインターネットやEメールはほとんど普及していなかった。せいぜい電子メールを使うごく一部のマニアだけのものだった。電子メールはEメールと同じと誤解されそうだが、全く異なり、こちらは国内だけでメールのやり取りをするものだった。「PC-VAN」や「NIFTY-SERVE」が、今で言うプロバイダーの役目をしていた。わたくしもNIFTYの会員になり、メール・アドレスなるものを貰った。新会員になると、早速、NIFTYの社長から歓迎のメールが届き、なんだか凄く嬉しかったことを憶えている。

 名刺にもアドレスを印刷した。ところが誰一人として、電子メールを知らない。名刺を渡すと、「この記号や文字はなんですか?」とよく質問された。そのため、折角アドレスを持っていても、通信できる相手がいない。相手がいなければ、無用の長物だ。

 やがてインターネットという言葉がチラホラと聞かれるようになった。新し物好きの私は、どういうものか調べ出した。何でも、世界中の人々と交信できたり、世界の情報をリアルタイムで収集できるらしい。アメリカで開発され、将来は当たり前のように使われるようになるだろうと・・・。

 日本ではまだインターネットに接続できる環境になっていなかった。だが、ある特別な方法を使って、NIFTYからアメリカのインターネットに接続できることが判明した。

 早速トライした。ものすごく時間がかかったが、やがて、英語の文字が流れてきた。なんだか、別の世界に入り込んだようで、興奮した。しかし、この実験もここまで。何しろ、電話回線だから、アクセスするだけでもえらい時間がかかる。また現在当たり前の常時接続ではないので、通信にかかる料金が気になってしょうがないのだ(ケチですから・・・笑)。何事も、始まりというのは、金もかかるし、手間もかかるということだなあ。
posted by Boo! at 22:20| 東京 ☁| Comment(14) | 音楽以外の関心ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

古PC処分! 20

 妻に貸与されたPCは、デスクトップ型の富士通/FMV***だった。私が使っていたMS-DOSパソコンとは違って、プリ・インストール仕様。つまり、ウィンドウズ95のOSが既にインストールされており、電源を入れれば、即、立ち上がる。しかも、ワープロや表計算ソフト、他にも色々なアプリケーションが多数インストールされており、「いやー、便利になったものだな・・」と、驚くと同時に、感心してしまった。現在では当たり前になってしまったが・・・。

 MS-DOSでは、OSから始まって、何から何まで自分でインスト−ルや設定をしなければ、全く、ただの箱だった。その苦労を考えると、隔世の感があった。「これなら、PCの知識がなくとも、だれでもすぐ使えるなあ」と、複雑な思いもした。

 とは言え、妻にとっては全く初めて触れるのだ。一種のアレルギー反応を起こしてしまって、「こんなの私でも使えるのかしら?」と不安一杯だったようだ。

 MS-DOSにはそれなりに慣れていたから、新しいOSでもなんとかなるだろうとは思ったが、起動してみると、やはり、勝手が随分違うことに戸惑った。最も困ったのが、マウスとキーボードだった。DOSでは、マウスなどまったく使わなかったから、左右のクリック、ドラッグだのスクロールだのといった使い分けに面食らった。なんとなくマウスに対しては今ひとつ信用していないこともあった。キーを打って命令したほうが、安心できた。

 ところが、そのキーボードが大変だった。実は、妻は仕事ではワープロ専用機を使っていた。当時はワープロ機がかなり普及していたのだ。妻の勤務するオフィスは労働組合関係の仕事が中心で、各団体から寄せられる原稿類をワープロで打つことが多かった。多分、誰かのアドバイスだったのだろう、「より速く打つには、カタカナ変換やローマ字変換では駄目だ、親指シフトがベストだ」と言われ、親指シフトのワープロ機を使っていた。彼女にとっては、そのワープロ機も初めてだったから、ローマ字も親指シフトも関係なく、一から学ぶことができた。もし、多少でも、ローマ字やカタカナ変換に慣れていたら、全く入力方法の違う親指シフトには苦労したに違いない。確かに、彼女の打つスピードは凄かった。キーボードを全く見ることなく、ひたすら原稿だけに集中して猛スピードで打っていた。1分間に250から300字くらいだった。私はせいぜい、60くらい(悲)。そんな彼女の一面を見て、思わず見直してしまったほどだ。

 その為、新しいPCも、当然、親指シフト対応の製品を選んだ。しかし、そんなことをつゆ知らぬ私は、てっきり、私のPCと同様にローマ字変換だと思い込んでいるから、何かを入力しようとすると、とんでもない文字が現れる。「なんじゃ、これは???」と混乱した。
posted by Boo! at 21:40| 埼玉 ☔| Comment(0) | 音楽以外の関心ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月25日

古PC処分! 19

 (この記事も大分ブランクを空けてしまって、どこまで書いたか忘れてしまった(笑)) 


 PCの世界がMS-DOSからWindows時代に変わりつつある空気を、肌では感じ始めていた。周りにもWindows対応のPCを持つ者が増えてきた。本来であれば、常に新しい先端技術の流れを追い求める世界のはずなのに、MS-DOSにどっぷり浸かってしまった私は、何の不自由さも感じていなかったから、Windowsが出現しても、冷ややかだった。だが、段々、そうもいかなくなってきた。

 Windowsのバージョン・アップが繰り返され、画面もみるみる洗練されてきた。やがて、Windows95の発売を契機に、世の中は一気にWindows一色になってしまった。この時の世界中の大騒ぎは凄まじかった。さすがの私も黙って指をくわえているわけには行かなくなった。

 何より癪にさわったのは、MS-DOS対応のアプリケーションがほとんど、発売されなくなったことは勿論、バージョン・アップすらも止まってしまったことだった。周辺機器もWindows対応ばかり。いつまでもDOSにしがみついていたら、世の中から取り残されるような危機感を持つようになった。

 そんな時、当時、仕事を持っていた妻の勤務先で、PCを導入することになった。自宅でも使えるようにと、プラス一台彼女に貸与された。笑ってしまうのだが、彼女は勿論のこと、勤務するオフィスにはPCを使える者が一人もいなかった。辛うじて、彼女がワープロ専用機を使える程度だった。

 「将来、仕事にPCが必要になるから」という彼女のボスの判断は正しかったのだが、具体的にPCがどのように仕事に役立つのかという概念はなかった。導入すれば便利になるらしいと、単純に思い込んでいたフシがある(笑)。

 だが、誰もPCの知識がないから、導入はしたものの、全く使うことができない。そこで、妻が「主人がPCに詳しいです」と余計なことを言ってしまった。妻にとっては、MS-DOSもWindowsも区別がつかなかったから、PCはどれも同じだと思っていたのだろう。「亭主に聞けばいいや」と安易に考えたのだ。バカめが(1)・・・。

 更に調子に乗って、「旦那に教えてもらいますから、大丈夫です」と安請けあいしてしまった。バカめが(2)・・・。それを聞いて喜んだのが、彼女のボス。それならということで、練習用にもう一台を自宅に送ってきたという次第だった。
posted by Boo! at 21:09| 埼玉 ☔| Comment(2) | 音楽以外の関心ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月27日

古PC処分! 18

 不良品かと心配したHDDだったが、およそ2時間以上かかって、やっとフォーマットが終了した。赤く点灯しっぱなしだったランプが青色に変わっていた。

 HDDの認識が成功し、無事、フォーマットも済んだ。あとはOSであるMS-DOSプログラムをインストールし、日本語が使えるように変換プログラムを入れるだけだ。だが、ここまでくるだけでも悪戦苦闘したのに、それ以上の関門が待っていようとは、まだ気が付かなかった。

 OSのインストールは問題なかった。しかし、それだけではまだ日本語の入力や変換はできない。ワープロを使いたくとも、漢字変換ができなかったら、全く、使い物にならない。ここはなんとしても、クリアしないといけない。

 現在のOSであるウィンドウズは、インストールすれば自動的に色んな設定や日本語も使えるようになるが、当時のDOS環境は違う。そういえば、PCを買ってはみたものの、途中で挫折してしまう者は珍しくなかった。いやむしろ、挫折してホコリをかぶり、ほったらかしにされたPCの方が多かったのではないか。私のまわりにもゴロゴロいた。

 その原因はこれまで書いてきたように、素人ユーザーには難解な設定が多すぎたことだと思う。これからPCでもやってみようかと考える人には無茶な売り方だった。だから、ウィンドウズが登場する以前は、PCが使えるというだけで、ちょっと尊敬の眼差しで見られたものだ・・・良い時代だった(笑)。

 今更、日本語変換プログラムを使えるようにする方法を書いてもしようがないから、詳しくは触れない。簡単に書いてしまえば、日本語を呼び出すための命令プログラム文を一字一句間違わぬように書くのだ。こんな事を素人に要求することがおかしいし、今でも思い出すと腹立たしい。それでも、やっとの思いで日本語を認識した文字が現れた時は嬉しかった。

 LPレコードのデータをフロッピーからHDDへ移し替えると、その速さに感動した。フロッピーのカチャカチャ音がないのも快適だった。

 PC9801/RA21は、6,7年使い続けた。良く働いてくれたものだ。特に不満はなかったが、世の中は、俄かにウィンドウズ時代に変わりつつあった。私の周りにも、新しいPCを購入する者がチラホラと出てきた。彼らを横目に見ながら、「フン!ウィンドウズがなんだ。要するに、MS-DOSの脱落者が使うようなものだろうが・・・」と、せせら笑っていた。

 実際は、欲しくとも金がないからひがんでいただけなのだが・・・(笑)。

 
posted by Boo! at 21:26| 埼玉 🌁| Comment(0) | 音楽以外の関心ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月05日

古PC処分! 17

 念願のHDDを手に入れ、PC本体に取り付けることにした。所が、これが大変な手間だった。

 まずSCSIボードなるものをPCの中に組み込むのだが、勿論、それまでPCのケースなど開けたことが無い。まるで、秘密の箱を開けるような緊張を覚えた。現在のように自動認識してくれるわけではない。取り付けたら、SCSIボードを認識させる為にドライバーソフトを組み込む必要がある。全てが初体験することばかりだから、説明書と首っ引きで慎重に作業した。

 それでも、なんとかここまでは無事に成功した。次にHDDをSCSIボードに接続する。接続すれば、HDD即使用可となるのかと思えば、そうではなく、HDDを正しく認識させないといけないらしい。認識を確認したらHDD全体をフォーマットする必要がある。何度か起動を繰り返し、HDDが正しく接続されていることを確認した。ここまで、一体、何時間費やしただろう。なんとも扱いにくい代物だと、ため息が出た。

 最後の関門、フォーマットに取り掛かった。MS-DOSプログラムの入ったフロッピーで立上げ、HDDドライブを慎重に確認し、フォーマット・コマンドを入力した。すると、フォーマット作業が始まった事を示す、赤いランプが点灯した。後は、終了するまでじっと、待つだけだ。いよいよ、HDDが使えるようになると、期待わくわく、ランプを見つめた。

 5分経過してもランプは消えない。10分過ぎても依然、赤ランプがつきっぱなしだ。随分、時間がかかるんだなと思った。

 しばらくほっといて、30分後部屋に戻った。なんと、まだ点灯している。いくらなんでもかかりすぎだと思った。しかし、途中でやめるわけにはいかない。一時間後、もう終っただろうと見に来ると、全く終る気配が無い。

 「おかしいぞ」「不良品か?」「どうなっているんだ?」と、心配になってきた。
posted by Boo! at 22:23| 埼玉 ☁| Comment(0) | 音楽以外の関心ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月26日

古PC処分! 16

 大枚はたいて購入したNECの9801/RA21に、当初はその高性能ぶりに感激していた。しかし、メディアはフロッピーのみだったので、データ量が増えるにつれ、もたつきを感じ始めていた。

 慣れとは恐ろしいものだ。以前に使っていたオフィス・コンピュータに比べたら、その格段の速さに驚いたのに、いつの間にかもたもた感が気になり出した。このもたつき感を解消するには、フロッピーからハードディスク(HDD)に代えることが最も有効だと、PC雑誌には書かれていた。

 だが、当時のHDDはとんでもなく高価なものだった。確か、100Mbで20万円以上していたと思う。100Mですよ!100Gではありません。1Gなんていったら、途方もない数字だった。それでも、100Mは魅力的に感じた。単純比較でもフロッピーの約70倍の容量だからだ。それに、アクセス・スピードも断然速いらしいし、OSやアプリケーション、データも全てHDD一台の中にインストールして利用できることも凄いと思った。

 しかし、HDD一台が20万円以上では、いかにも高い。安給料の身では手が出なかった。仕方なく、買える価格に下がるまで待つことにした。毎月発行される各PC雑誌をめくり、各社から発売される製品の価格情報に関心を寄せた。

 この頃すでにHDDは大手、中小含めていろいろなメーカーから発売されており、販売競争が激しかった。その為、価格はどんどん下がり続けた。PCショップでは定価の3割引きは当たり前だった。

 やがて、某メーカー(サードパーティ製で名前は忘れた)から、100M/10万円を切る製品が出された。「おお、ついに10万を切ったか!」と大喜びし、早速、PCショップで値引き交渉した。その結果、6万円台で手に入れることができた。

 所が無知な私は、HDDのみ買えばPCに簡単に接続でき、すぐにでも使えるようになると思っていた。しかし店員から、HDDを認識させる為のインターフェイスである、SCSIボードなるものが必要と云われ、予定外の出費を強いられた。それでも、合計金額が10万円を超えなかったから、「よし」とした。
posted by Boo! at 21:36| 埼玉 ☀| Comment(0) | 音楽以外の関心ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月06日

古PC処分! 15

 レコード管理の為、「The CARD」というデータベース・ソフトを購入した。

 手始めに、簡単な住所録作成に挑戦し、ソフトの使い方に慣れるべくマニュアルと格闘した。今更、ここで細かくその使い方を書いても意味が無いように思うので省くが、ともかくも1〜2ヶ月間、その作成に没頭した。

 最初は漠然として理解できぬ所が多々あったが、一つ一つクリアしていくうちに、「これは便利だ」と実感できるようになって行った。データ・ベースだけに、検索機能に優れていた。多種の検索方法に対応していた。

 「住所録」を何とか完成し、次はいよいよ「レコード管理」に手をつけることにした。「住所録」作成で基本的な操作は理解できたので、比較的スムーズに作成することができた。

 ただ、住所録とは異なり、必要な項目が多いので、それを一枚のカードにうまくレイアウトすることに頭を使った。とは言っても、後からいくらでも修正できるので気は楽だった。

 おおよそのスタイルが出来上がり、あとはアルバムを一枚づつ入力するだけになった。この作業が重要であり、大変な労力になるのだが、毎日、5,6枚を目標に入力した。もっと入力できるだろうがと、思われるかもしれないが、LP一枚の情報をこと細かく入力するし、それに仕事から帰ってからの僅かな時間しか取れない。5,6枚が限度だった。ほぼ一年かけて全LPレコードのデータを入力し終えた。

 親類からただで貰った古いオフィス・コンピュータにもLPのデータを入力してあったが(こちらは、最小必要な項目数だが)、新しいPCにデータを入力し終えるまでは処分したくともできなかった。一応、バックアップ代わりにしていたからだ。

 やっと入力を終えたことで、処分することにした。何しろ、本体、ディスプレイ、プリンターのどれも図体が大きく、場所を取っていたので、女房からは「邪魔だ。早く処分しろ」と迫られていた。

 しかし、時代の遺物みたいなものだ。貰ってくれるもの好きな者などいない。ゴミにも出せない。そこで、近所の古道具屋(今だったら、リサイクルショップだ)に相談に行った。

 そこの親父が「売れるかどうかわからないが、引き取るだけなら置いていってもいいよ」と言ってくれたので、そのまま置いてきた。何百万円もしただろう高価なものが、価値ゼロになってしまった(悲)。

 全LPを入力すると、やはり、相当な情報量になる。それをフロッピーだけで扱うには無理があったようだ。以前のオフィス・コンピュータに比べれば格段の速さだが、それでももたつきを感じるようになった。

 当時、PCユーザーに注目され出したハードディスクに強い関心を寄せるようになった。
posted by Boo! at 20:35| 埼玉 ☁| Comment(4) | 音楽以外の関心ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月16日

古PC処分! 14

 新しいPCを購入した目的はレコード管理だったから、それに対応できるデータベースソフトを探さなければならない。

 当時、PCマニア向けの雑誌がポツポツと発行されるようになった。時々買うこともあったが、ほとんど、本屋での立ち読みで済ませた。情報を一つでも多く知りたかったからだ。

 やがて、ある雑誌のページに目が止まった。そこには「The CARD」という新発売のソフトに関する記事が載っていた。名前の通り、カード型データベースソフトで、大変使いやすいようなことが書かれていた。私は、カード型ということに興味を覚えた。

 ご存知の方が多いと思うが、カード型というのは、あることに関する情報を一つのカードで管理する方式のことだ。例えば一枚のCDにはアルバム名、演奏者、曲目、録音年月日、解説etc.色々なことが記載されている。これらを一枚のカードにデータとして入力してしまうのだ。1000枚のCDを持っていれば、1000枚のカードになるわけだ。これがどう便利かというと、ある演奏者が参加しているアルバムすべて抽出できるし、「Beyond the reef」の収録されているアルバムを探したかったら、簡単に出すこともできる。又、古い録音順に並べ替えたりとか、色々なことが可能だ。一覧表にしたり、レイアウトを変えた別のカードデザインにも簡単に作成でき、ボタン一つで呼び出すことができる優れものだ。

 現在の「エクセル」でも可能だが、こちらは基本的には一覧表の形式だから、大変見づらい。カード式にも作れるが、これはかなり「エクセル」に精通していないと難しい。

 この「The CARD」は私の要望にピッタリ添うと思った。価格を確認すると、結構高い。4万円くらいだった記憶がある。だが当時のPCソフトはどれも高価なものが多かった。現在、表計算ソフトといえば、「エクセル」だが、当時は「Lotus1-2-3」が断然強かった。しかし、10万円近くもするべらぼうに高いものだった。今だったら、安いPCが買える値段だ(笑)。

 行きつけのPCショップで予約注文し、早速手に入れた。300ページ以上の厚いマニュアル本が2冊も入っており、こんなに勉強しなければいけないのかと、ウンザリした。

 いきなり作成はできないので、初心者向けの入門編を開き、手始めに住所録を作ることにした。
posted by Boo! at 21:53| 埼玉 ☀| Comment(0) | 音楽以外の関心ごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする