2017年05月22日

リフォーム

 今日からリフォーム工事が始まりました。

 あーでもない、こうでもないと迷った末、なんとか契約にこぎ着いたのが先月だった。

 3,4年前から頻繁にリフォーム案内のチラシや電話攻勢が続いた。道路から見ても、外壁や屋根の汚れ・傷みが目についたから、業者のターゲットにされたようだ。それが煩わしくて、「もう決まってる」などと適当な嘘を言っては逃れた(笑)。

リフォームをするとしても、問題は業者の選定だ。突然訪問してくる業者や、チラシを入れる業者はなんとなく避けてしまう。信頼できる業者も勿論いるだろうけど、やはり誰かの紹介やお墨付きの業者にしたほうが安心だ。

実家を処分する時、もの凄い機動力を発揮して難しい物件を片付けてくれた大手不動産会社の営業マンを思い出し、相談した。相変わらずテキパキとした応対で、気持ち良い。

私が持っているいくつかの不安を分かってくれて、「承知しました。私もよく調べてみましょう。少しお時間を下さい」と、協力してくれることになった。

そして一週間後、「私どもでも時々お願いしてます。技術も高く、信頼できます」と、某業者を紹介してくれた。翌日にはその業者から連絡が入り、早速交渉の約束をした。

あとはトントン拍子で、一気に契約まで進んだ。このような工事は、安ければ良い、というものではないと思っている。いくら安くても技術がお粗末では結局高くつく。次にセンスでしょう。

業者は、実際に施工した物件の写真を沢山見せてくれた。戸建てだけでなく、マンションや店舗なども扱っていて、技術力はありそうだった。内装も悪くなかった。人柄も誠実そうで、ハッタリもない。できる事とできない事を明確に示してくれるのも、却って信頼できる。

屋根と外壁の再塗装・補修、バスルーム全面改装と給湯器交換、トイレ*2交換、面格子の増設、ベランダにテラス新設などなどだ。

今日は朝から足場の組み立てだった。夕方近くまでかかった。あすから本格的な作業に入るのだろう。完了まで約2週間、しばらく落ち着かない日が続く。

問題はバスルームの工事だ。ユニットバスなので、古いユニットを取り外して、新しいものと交換する。2日間はかかるそうで、1日目はお風呂に入れない。どうしたものか…。1日くらい入らなくてもいいようだけど、暑い日が続いているので、汗は洗い流したい。近くのスーパー銭湯にでも行くか!

posted by Boo! at 22:23| 東京 ☀| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

なんだかなあ・・・。

 先週はバタバタした一週間でした。従兄の通夜・告別式が土・日に行われ、無事終了。やっと解放された気分で、久しぶりに熟睡できた。

 それにしても盛大な葬儀だった。一方で、遺族の意向に添わぬ派手な式になってしまったように感じた。会社を経営してきたから仕方のない面もあるけど、関連する業界団体、取引先、銀行などの関係者が大挙して押しかけ、遺族の存在を無視したかのような振る舞いには首を傾(かし)げた。

 お坊さんの読経が始まり、遺族、親族の焼香に移った。普通は祭壇前に置かれた焼香台まで行って焼香するけど、今回は香炉を渡され、座ったまま焼香。済んだら次の方に手渡す。これは初めての経験だった。確かに立ち上がって順番を待つより、ゴタゴタしなくて良いかもしれない。もっとも高齢者が多かったからそのように配慮してくれたかも。

 親族が終わると別に設けられた焼香台で一般参列者の焼香に移った。二列に並んで焼香してもらったが、それでは中々前に進まず、滞りがちだった。延々と続く列を見て、「凄い数だなあ」と驚きを通り越して呆れた。と同時に、不安にもなった。

 焼香中、坊さんの読経は続く。しかし約一時間の読経と聞いていた。30分過ぎても列が途切れることはなく、それどころか更に増えてきたように感じた。「一体何人来たんだろう?」と時計を見ながら読経終了時間が気になった。

 葬儀の係員もしきりに時計を見ている。しかし私は機転が利かないなと思った。こんな状況になることは珍しくないはずだ。見込みよりも参列者が多いと思ったら途中から焼香台をあと一つ二つ増やしてやればはかどるのに、と苛々した。

 終了時間まで残り5分を切った。依然として列は続いていたが、何とか最後尾付近が見えてきた。しかしそれでもまだ10分はかかりそうだ。予定時間には終りそうにないが、5分や10分位過ぎても、延長して読経を続けてくれるはずだ。

 ところがこの坊主、2分くらい前になったら、読経をやめ、経典を閉じ、立ち上がる気配。すると葬儀屋が、「これでお経が済みました。お坊様がお帰りになりますので、合掌しながらお見送りください」と促した。

 参列者の焼香を中断させ、我々に合掌させながら、ゆっくり歩いて退出して行った。「ふざけるな!」と思った。「一体だれのためのお経だ。なに様のつもりだ」と怒りがわいてきた。やがてまだ済んでいない残りの参列者が焼香を再開したが、読経の聞こえない焼香なんて初めてだ。不満一杯の私は納得いかないので、勿論合掌なんかしなかった。

 あと10分も読経を続けてくれたら焼香は終わったのだから、余計に不満が残った。状況を読まず、約束の時間さえ果たせばよしとするこの坊主の態度。加えて、声は小さい、お経と木魚のリズムが合わない、まるで素人が読むようなお経では有り難みゼロだ。お布施だって相当に包んだはずだ。たかが10分程度の延長したってバチは当たらない。今時、時給何十万円もの仕事なんてないぞ。

 こんなことだから「葬式仏教」「仏教ビジネス」なんて揶揄されるのだ。

 翌日の告別式も同じ坊主で、相変わらず下手な読経だ。最後にお説教を垂れてくれたが、説得力なし。

 「寄りによってなぜこんな坊主が…」と思ったが、実は従兄の父(伯父)の代からの付き合いで、菩提寺にもなっている寺からやってきた。先代の住職は良かった。継いだ今回の坊主は恐らく息子なのだろう。ハッキリ言って向いてない。継いだと言っても60代くらいの年齢なのだから、それなりの坊さんであって欲しい。

 ちなみに私がいつもお願いしているお寺の住職は大変好感が持てる。別に菩提寺でもないし、檀家にもなってない。しかしそんなことに関係なく、丁寧に接してくれる。気遣い、心遣いがやさしい。小さなお寺だが、訪問すると家族総出で迎えてくれる。法要をお願いすると、いつも予定時間を30分以上はオーバーする。話は面白いし、坊さんでありながら人間臭く、さばけている。

 私は無宗教だけど、こんなお寺なら檀家になってもいいかな、と思うほどだ。

 友人や知人の中には、お寺関係の者が数人いる。いずれも家族だったり、旦那や奥さんの実家がお寺だったりだ。しかしロクな話しか聞かない。もう離れているからだろうけど、恥じることなく暴露する。ほとんどお金に関することだ。情けなすぎて、「坊主ともあろう者が・・・。むしろ一般よりもたちが悪いではないか」と不信感が募る。最近も、母親を殺そうとしたり、業者に寺の敷地内に土砂を不法投棄させたニュースがあった。いずれも金に絡む事件だ。これらは極端な例かもしれないが、しかし珍しくもないから呆れる。

 ま、お寺も坊さんも様々だとは思う。しかし金儲けに走ったり、単なる仕事と割り切って欲しくないものだ。

 人様に説教できる人間力を持った方だけが坊さんになって欲しい。たぬきさん、阿羅漢さんでは絶対無理だな。あたごウクレレさんやきぃばつさんは向いているかも・・・(笑)。
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2017年05月09日

残念!

 時々触れたことがありますが、都内に住む従兄が亡くなりました。享年80歳でした。昨年は秋田の従兄が亡くなったが二人はほぼ同年齢だ。しかも5月7日と8日、一日しか違わない命日となった。

 昨年の今頃だったか、従兄の連れ合いから、「最近、精神的に不安定で、言動、行動がおかしい」と知らされた。実は彼女から相談される大分前から、異変に気がついていた。ただそれはほんの僅かなことで、従兄をよく知る私だから小さな変化に気がついたと言える。多分彼女だっておかしいと感づいていたはずだ。

 しかし微妙なプライベート問題だし、こちらから余計な口出しして感情を害したくなかった。向こうから話してくるまでは触れないようにした。

 そしていよいよ追い詰められたのだろう、知らせてきた。話を聞くと、私が考えていた以上にひどい状況になっていて、愕然とした。認知症の範疇に入るのだけど、妄想が強く、連れ合いには特にきつく当たる。全く身に覚えのないことで責められる。高じてくると、暴力に近い振る舞いをする。その都度、近くの息子や娘の所に避難した。「あの物静かな人が・・・」と、信じられなかった。

 子供たちが一生懸命説得しても、「お前たちは母さんに騙されている」と言って、益々感情を高ぶらせたそうだ。こうなると、家族だけで何とかなるような問題ではない。

 その後、なだめすかし、従兄を病院に連れて行き、診断を仰いだ。結果は、なんとかいう難しい病名で、認知症の中でもたちの悪い症状が特徴らしい。連れ合いの身の安全を考えて、そのまま入院措置が取られた。ほぼ強制入院だ。

 3ヶ月入院したが、その間に受け入れ可能な介護施設を探し、退院と同時に施設に入った。かなり精神状態が落ち着いてきたものの、それは薬によって抑えられているからだった。もう自宅での世話は無理と判断したのだろう。8月のことだった。

 私は面会に行くつもりで、連れ合いに状態を確認した。しかしまだ会わせられる状態ではないと言われ、12月にやっと面会することができた。

 心の準備はしていたものの、変わり果てた従兄の姿を見るのは辛かった。言葉は発するが、ほとんど単語。何度も同じ言葉を繰り返す。会話にならないのだ。顔もほとんど無表情だった。

 昔の話でもして、ゆっくりするつもりだったが、いたたまれなくなり、予定よりも早く切り上げた。

 亡くなる10日ほど前、「5月の連休が過ぎたら、また面会に行こう」と算段していたら、今回の悲報。「連休前に行けば良かった」と悔やんだ。


 几帳面、生真面目な人だった。他人との会話は苦手だったけど、私に対しては饒舌だった。素の自分が出せたからだろう。

 連れ合いである彼女のことが大好きで、信頼もしていた。会社が大きく成長したのも、彼女の力が大きい。仲は良かったものの、そんな彼女の力に嫉妬していたのかなあ、それが妄想に繋がったのか、なんてことも考える。

 そうだったとしたら、「考え過ぎだったよ」と言いたい。

 沢山いたはずのいとこ達が次から次にいなくなり、寂しい。以前、旅館を借り切って50人近くで開いた「いとこ会」が今は懐かしい。

 今度の土・日が通夜、告別式だ。それはいいのだけど、告別式で親戚を代表して挨拶して欲しいと依頼されてしまった。私はばかばかしい挨拶は得意(?)だけど、堅苦しい挨拶はからっきしだめなのだ。このような依頼は断ってはいけないと思い、渋々承諾したけど、頭が痛いなあ。MATTさんやたぬきさんは得意そうだから、トラを頼もうかな(笑)。

 以上、誠に私的な話でしたが、記憶に留めるための私のメモ帳として書いたものです。ご容赦を。
posted by Boo! at 22:36| 東京 ☀| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

はや、5月!

 良い気候になりました。

 世の中はゴールデン・ウィークの真っ最中。中には9連休という方もいるのでしょう。私はほぼカレンダー通りだ。今日は休んだけど、明日は仕事。3,4,5日と連休が続き、6日が仕事だ。これだけ休めれば十分だ(笑)。

 昨日は、ずっと気にかかっていた観葉植物の植え替えをした。土の入れ替えだ。大鉢が3つ、中が5つ、小が7つ、これらをすべて一気にやってしまった。大変力がいるし、途中で嫌になったけど、「次にやろう」と下手に残すと、多分、再び放ったらかしになるから頑張った(笑)。

 中と小鉢はまだいいけど、大になると大変だ。重いし、鉢から引っこ抜くのに苦労する。庭まで移動させて作業したけど、腰が痛くなりそうだった。

 鉢そのものが重いこともある。陶器だからだ。見栄えが良いから選んだのだけど、めっきり力が無くなった現在の私では持て余してしまう。鉢から抜こうと力を入れるが、しっかり根付いているのか、歯が立たない。そこで乱暴な手段をとる。鉢を持ち上げ(重いからこれが大変)、思いっきり地面に叩きつける。ハンマーで叩いてみる。が、まったくだめだ。

 こうなるともう鉢を壊す覚悟で、大きなハンマーを用意し、カンカン叩いてやる。買ったときは結構な値段だったけど、もうどうでもよくなる。やっとひびが入り、そこに鉄の棒を差し込んでこじ開けた。すると根がはじけるように飛び出た。あと1,2年もしたら根の力で鉢が割れたかもしれない。

 もう大型陶器の鉢は使うまいと決め、新しくプラスチック製の鉢を用意した。やはりはるかに軽い。プラスチックといっても、最近のものはなかなか良くできていて、一見すると陶器にも見える。根を半分くらいまで切り詰め、新しい用土をいれて植え込んだ。こうして3つの大鉢を済ませ、残る中と小鉢をやり終えた。朝から夕方まで黙々と作業し、最後はぐったりだ(悲)。

 私はぐったりだけど、植え替えた植物は、気のせいか元気を取り戻したかのようで、葉がきりっとしたような気がした。ま、どの鉢も根が詰まりに詰まっていたから、かなり弱っていたに違いない。

 さて今月は、中旬頃からリフォーム工事が始まる。数年前から気にかかっていたが、やっと信頼できそうな業者が見つかり、依頼した。

 屋根と外壁塗装、ベランダにテラス増設、バスルーム全面改装、1,2階のトイレも全交換、傷んだ箇所の修繕などなど、大がかりな工事になりそうだ。

 下見に来た業者が写真を撮り、傷んだ箇所を示してくれた。普段は目の届かぬところだが、結構劣化が進んでいて驚いた。我が家は築17年だけど、「年数の割にはかなり良い状態です」と言ってくれた。しかしやはりリフォームする時期だなあと痛感させられた。

 大きな出費は頭が痛いけど、おそらくこれが最後の手入れとなるだろうからと、思い切った。

 3週間ほどの予定だが、工事完了後、どれだけ快適になるのか、楽しみでもある。

 
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2017年04月17日

拒否権発動か?

 仲間から、恒例飲み会の連絡がきた。

 年に1,2回のペースで集まる。長い付き合いだから、集まれば楽しいし、話も尽きない。上から下まで10才ほどの開きがあるが、年齢差は全く感じない。

 所が、2,3年前からこの集まりへの参加にためらいが出てきた。別に仲間が嫌になったわけではない。

 我々は、私を含めて5人のグループだ。今時珍しいと思うが、この5人の内、なんと4人が喫煙者、しかもヘビースモーカー。私一人だけ非喫煙者という構成だ。

 最近はどこの店に入っても、必ず禁煙席がある。タバコを吸わない者にとっては大変助かる。と言うか、むしろ喫煙者のほうが世の中の禁煙圧力に押しやられ、肩身の狭い思いをしているように見受ける。これはこれでちょっと気の毒に思う。

 飲み会だから、当然居酒屋に入る。かつて、酒とタバコがお決まりだった居酒屋でさえ、近年は分煙サービスに努めているから、時代が変わった。店に入ると、案内係が、「禁煙と喫煙、どちらをご希望ですか?」と訊いてくる。

 すると仲間の一人が当たり前のように、「喫煙!」と、でかい声で伝える。4:1と圧倒的に喫煙者が占めているから、強気なのだ。ま、私一人が頑強に反対しても、多勢に無勢だ(悲)。

 タバコを吸わない私に対して、多少なりとも配慮があれば、笑いながら、「いいよ。気にするな」とでも言うけど、一方的に決められると、カチンとくる。

 小さな部屋に通され、乾杯となる。すると4人が一斉にタバコを取り出し、吸い始める。狭い空間だから、あっという間に白い煙が充満する。少しでも煙を避けようと、隅の方に体を寄せるが、無駄な抵抗だ(悲)。煙だけでなく、その匂いも不快なこと、この上ない。

 こんな状況で飲む酒や食べ物が美味しいわけがない。

 何十年もの付き合いだから、良好な関係は維持したい。私一人が我慢すればよい、と受け流してきた。しかし一方では、我慢を続けることに、何か意味があるのだろうか、とも感じている。

 そこで今回の連絡で、「最近益々、タバコの煙や匂いに我慢できなくなっている。」「禁煙席にしろとも言えないから、4人でやれば?」と、返事した。

 すると折り返しメールで、「今まで気にせず、無遠慮に吸って申し訳なかった」とあったから、てっきり禁煙スペースにしてくれるのかと期待した。だがその後に、「出来るだけ、本数を減らす」と続き、ガッカリ。

 本数の問題じゃないのになあ。全然分かってない。

 私は、「吸うな」とは言わない。そこまで強硬ではないつもりだ。嗜好の問題だから、吸いたければ吸えば良い。但し、場所や周囲に配慮してもらいたいだけだ。吸いたくなったら、ちょっと席を外して、吸える場所に移動すればいいことだ。非喫煙者に与える不快感に比べれば、その位の面倒は当然と考える。

 その後のメールで、「連中に相談してみます」と書いてきたが、余り期待しない。

 仲間に非喫煙者に対する配慮が出来るようになったら、改めて参加したい。結局今回はパスすることにした。
 
posted by Boo! at 22:00| 東京 ☁| Comment(10) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月12日

お悔やみ申し上げます。

 昨日、JGさんからメールが届いた。

 先月末にお母様がお亡くなりになったそうです。

 JGさんが介護を続けていたことは知っていた。当初、年に何度か、沖縄から都内に住むお母様の元に通い、世話をしていた。上京のタイミングがオフ会と合えば、積極的に参加され、達者なスチールギターやギター演奏を聴かせてくれた。

 しかし沖縄から通うのは余りにも遠く、大変だ。やがてお母様が弱ったこともあって、沖縄に連れ帰った。恐らくこの時期は、悩みが深かったに違いない。

 ブログで私の介護体験記を書いたことがあった。それが参考になったかは分からないけど、JGさんの介護ぶりは私のそれとは比較にならない。

 私の場合は、「一人で背負い込まない」「手抜きも必要」「利用できる公的サービスはフル活用する」をベースに介護した。ハナから、「出来ないものは、出来ない」と、腹を括っていた所があった。余計な口を入れてくる親類の意見には、「はい、はい」と適当に相槌を打ちながらも、完全無視した(笑)。「口だけで、助けてくれる訳じゃない」の思いがあった。

 介護を上手く乗り切るには、手抜きも必要と考える。これは、介護経験者でなければなかなか分かってもらえない。経験のない者は、理想論を振りかざす傾向があるように思う。現場を知らぬなんとやらだ。介護は綺麗ごとではない。

 その内、「施設に入りました」と連絡があった。私はなんとなくホッとした。施設に入ったことで、気持ちにも余裕が生まれただろうし、なにより精神的な安心感は大きい。

 そしてこの3月末、お亡くなりになった。亡くなる2週間前から、水、食事、それに点滴もできず、絶食状態だったとか。痰が絡んで窒息する恐れがあったからです。その間は、24時間体制で誰かしらが付き添い、さすがにキツかったようですが、最期を看取ることができたことは、なによりでした。

 JGさんから皆さんに、「落ち着きましたら、是非またオフ会に参加させてください」と書き添えてありました。

 JGさん、再会を楽しみにしてます。

posted by Boo! at 22:08| 東京 ☁| Comment(27) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月05日

あわや…?

 先月末に桜の開花宣言が出されたものの、なかなか見頃にならない。天候不良、低温が続いたからだろうけど、出すタイミングがちょっと早すぎたような気がしないでもない。

 と思っていたら、昨日今日の暖かい陽気で、一気に咲き出した。今日など、どこの桜も満開に近い。桜は満開よりも6,7分咲きくらいの方が綺麗だから、今が丁度の見頃かもしれない。明日は高校時代の仲間とお花見をやるので、まるで図ったかのような絶好の観桜会になりそうだ。

 車を走らせていると、色んな場所の桜が目に飛び込んでくる。普段は気が付かずに通り過ぎるけど、この時期になると、咲き誇る花でその存在を知らされる。

 さて、運転中のことです。数年前に新しく出来た道路でのこと。開通したばかりの頃は走る車も少なく、空いていた。道幅も広くて走りやすい。だが最近は混むようになり、時々渋滞もする。

 今日は車の流れが順調で、快適だった。片側二車線の四車線道路で、私は左車線を走行していた。隣の右側車線には乗用車が私の車と並走していた。チラッと目をやると、中年(初老か?)女性ドライバーだった。順調とはいえ、我々の車の後にも後続車が連なっていた。

 前方に信号が見えた。青だ。しかしあと20m位まで近づくと、黄色に変わった。このような時、そのまま進行するか、止まるべきか、迷うことがある。

 だがこの時はもう交差点に入りかかっていたので、止めることなく通過した。隣の車も一緒に通過するだろうと思った。所が急ブレーキをかけたらしい。赤になったのならまだしも、まだ黃状態だ。この場合は、速やかに通過するか、周囲の状況に注意を払いながら、軽くブレーキを踏むことだろう。

 びっくりしたのは後続車だ。まだ黃だから、前車はそのまま進行すると読んでいたに違いない。クラクションをビービー鳴らした。しかし間に合わず、「ガッシャーン」と凄い衝撃音。ほぼ私の真後ろだから、生々しい。車を横道に停め、現場に走り寄った。

 女性の車は普通乗用車、追突した車は小型クレーン車。ちょっと相手が悪かった。クレーン車のバンパーが乗用車の後部トランクを突き破っていた。大破だ。

 衝撃音が凄かったので、女性が心配だ。窓越しに見える彼女は動転したのか、前方をボーと見ていた。私が110番しようかと迷っていたら、クレーン車の運転手が降りてきた。「早く救急車を呼んだほうがいい」とアドバイスし、私は離れた。怪我はなかったかもしれないが、むち打ち症が心配だ。

 車間距離を十分取らなかった後続車も良くないが、「あんな止まり方してはなあ」と、女性ドライバーにも責任があるように感じた。

 車が順調に流れているときは、要注意だ。つい気持ちが緩んで、注意が散漫になりがちだからだ。そこへ急に前の車が停止したら、ブレーキを踏むタイミングが遅れることは十分予測できる。また、クレーン車は運転席が高く、遠くまで良く見える。しかしそれがかえって手前の車の動きに気が付きにくいのではなかろうか?

 事故を目撃した後は、慎重な運転になるようだ(笑)。少しスピードを落とし、目的地に向かった。
posted by Boo! at 23:10| 東京 ☀| Comment(9) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月01日

はや、4月!

 今年も1/4が過ぎました。

 4月に入ると、いよいよ春本番。一年で最も快適なシーズンでしょう。もう雪が降ることはないでしょうが、しかし油断は出来ない。これまでにも何度か季節外れの雪に見舞われた年があったからだ。実際、昨日、今日と冷たい雨が降り、雪に変わってもおかしくない寒さだ。

 快適なシーズンと喜んでばかりはいられない方もいる。例の花粉症だ。早い方は、1月頃からグスグスしている。

 幸いなことに、私は(妻も)花粉症の辛さを知らないので、苦しみを訴えられても他人事だ。想像するに、風邪のひき始めのような症状と理解すればいいのだろうか?しかし、風邪なら1週間もすれば治るが、花粉症はいつまでも続くから鬱陶しいのか?

 一時、義妹が苦しんでいた。我家に来ると、遠慮なくティッシュを使いまくり、帰る頃にはゴミ入れがティッシュの山になっていた(悲)。最近は余り苦しんでいないようだから、いくらか改善したのかも。

 花粉症は春の頃だけかと思ったら、そうでもないようで、秋におかしくなる方もいる。中には一年中ダメという友人もいて、「それ、花粉症じゃなくて、何かの病気では?」と言うと、「いや、花粉症に違いない」と言い張る。まるで花粉症を自慢してるようだ(笑)。

 今月は私の誕生日を迎える。嬉しくない気持ちが年々増す。これは妻がロクに祝ってくれないこともあるかも・・・。いや、一応祝ってはくれるのです。ただし、口だけね・・・(悲)。

 「明日は誕生日だね。どこかで食事でもしようか?」と誘ってくれる。しかしこれが曲者で、単純に「そうかい。悪いね」とは喜べない。

 一般的には、このような場合、彼女がご馳走してくれるものと捉えるはずだ。しかし我々夫婦には当てはまらない。

 無事美味しい食事を終え、支払いの段になると、彼女は「ご馳走様でした。美味しかった!」と言いながら、レジからするすると離れる。支払う気、ゼロのようだ(悲)。

 ま、昔から「私のものは私のもの。あなたのものも私のもの」の精神が徹底しているから、あきらめてはいるけど・・・(悲)。「美しき老夫婦、あたごウクレレさんと奥さんを見習え!」と言いたい。

 これといった大病もせず、**回目の誕生日を迎えられることは幸せなことかもしれない。また、20日には当ブログを開設してから満11周年、いよいよ12年目に突入します。皆さまのお陰と感謝しつつ、ペースは落ちても、細々とブログを書き続けて行きます。
posted by Boo! at 22:46| 東京 ☁| Comment(3) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

桜と映画

 東京は先日、「桜の開花宣言」しましたね。私はいつ桜が咲こうが、「どうでもいいじゃん」とは思っている。「見れば分かる」だ(笑)。

 とは言え、宣言されれば気になる。自宅近くの川沿いにある桜を見に行った。ここは地元人間だけでなく、知る人ぞ知る素晴らしい桜並木が2km以上続く。

 下流から上流に向かって車を走らせた。が、期待に反してまるで咲いておらず、固いツボミばかりだ。「何が開花だ」とガッカリした。そう言えば、いつも走る公園の桜もまだまだだし…。ここは東京ではないにしても、ちょっと歩けば東京に入るほど近い。たぬきさんは都内だけど、都内らしくない非文化的地域だ(笑)。むしろ私の場所こそ東京らしい文化圏だ。だから東京が開花宣言すれば、ここも同じく開花するべきだ(笑)。

 所が上流に行くほど、桜の花がちらほらと目に入ってきた。木によっては満開みたいで、綺麗だ。同じ桜並木で、このように咲き方が異なるのは何故だろう?木の種類が違うのか、それとも場所によって気温差があるのか…よく分からん。

 恐らく来週に入ってから見頃を迎えるのだろう。来月早々、高校時代の仲間と観桜会なるものをやるけど、丁度良いかもしれない。もっとも、連中は「花より酒」だけど…。

 その高校時代の仲間の一人が映画を制作した。しかも劇場や映画館で公開されたということで、驚いた。名前を出すと、色々とバレそうなので出しませんが(笑)。

 しかし公開は既に終わってしまったので、残念ながらもう観ることが出来ない。と、あきらめかけたら、仲間の一人の音頭で、映画館を借り切って特別鑑賞しようとなった。

 賛同者を集めたら、50名近くになった。どんな映画館かは知らないが、「その映画一本のために我々に開放し、上映してくれるとは、随分太っ腹な経営者だな」と感謝した。

 所が音頭取りに話をきいたら、なんと映画館のオーナーが我々の仲間でもあることが判明。「道理で融通が利くわけだ」と納得した。

 学校を出て何十年も経つと、皆いろんな顔をもつようになり、面白い。

 肝心の映画は、一種のドキュメンタリー。様々な社会問題を鋭くえぐり、我々に突きつける。世界中を周り、沢山の人々に会い、話を聞き、カメラを回し、完成させた。なかなか良くできた映画だった。

 彼はプロの制作者ではない。本業は別にある。その方面では大成功したので、ほとんど自己資金で完成させたのだろうけど、相当に費やしたに違いない。

 元々多能の才に恵まれたマルチ人間だ。しかもどの分野であれ、一流を目指す。「一体、彼に能力の限界はあるのか?」と、呆れるほどだ。高校、大学、社会人…と、与えられた環境で常にトップを走り続けてきた。

 それでもまだやり足りないと思ったのか、映画にまで手を出した。次に目指すものは何か、凡人である我々仲間にとっては、まぶしい存在だ。

 違う意味で阿羅漢さんもまぶしい存在だなあ(笑)。

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2017年03月11日

あれから6年・・・。

 ここ連日のように、新聞、TV、ラジオなどで東日本大震災関連の特集が組まれている。

 忘れたくても忘れられないあの大震災から、今日で丸6年だ。ついこの間起きたように思うけど、時の経つ速さには全く驚く。

 どんなに大きな出来事であっても、時間の経過と共に記憶が薄れ、風化していくものだけど、この大震災だけはまだまだ記憶が生々しい。と言うか、これからの教訓に生かすためにも、忘れてはならない。そこで少し回想してみたい。

 地震国日本に住んでいる我々にとって、地震は珍しいことではないし、何度も経験している。大きな地震も味わっている。だから変な慣れもあって、いつも「すぐに収まるさ」と甘い判断をしがちだ。

 6年前のあの日、私は仕事で外出していた。打ち合わせ中の午後2:46、突然足元から地鳴りのような振動を感じた。「?…」と思った瞬間、揺れが始まった。

 しかしこの時の揺れは、それまで経験したことのないような激しい揺れで、一瞬パニックになりそうだった。1964年に起きた新潟地震以来の恐怖感だったが、それ以上の恐ろしさだった。

 それでも心のどこかに「すぐ収まる」と楽観する気持ちがあった。だが揺れはいつまでも続いた。下から突き上げるし、横揺れも大きく、建物が歪むようだった。壁に掛かっていた額縁が外れかかり、斜めになった。窓ガラスが激しく鳴り、割れそうだった。

 動くに動けず、じっとして揺れの収まるのを待ったが、果てしなく続く揺れは収まる気配もない。4,5分も続いただろうか、やっと揺れが小さくなったので、一緒にいた仲間に「外に逃げよう」と声を掛け、スリッパのまま近くの窓から飛び出した。大変古い建物内にいたので、倒壊したら命はない。

 建物の前は広い駐車場だった。車と車の間を歩いて中心部まで避難した。その間も断続的に揺れは続いた。船に乗っているような大きくゆったりとした揺れで、立っていても体が左右に泳ぐ。揺れる度に駐車している車が一斉にギーギーと鳴り、タイヤもバウンドし、不気味だった。周囲を見回すと、住宅屋根のTVアンテナや電線が大きく揺れていた。

 やっと揺れが収まると、周辺の民家からバラバラと住人が出てきた。出るに出られなかったのだろう。そして我々のいる場所に集まった。皆顔がひきつっていた。口々に、「怖かった」「凄かったね」と言いながら、携帯で誰かに連絡を取っていた。当然、家族が心配だ。しかし私もそうだったけど、その時点で携帯は不通状態になっていた。益々心配が膨らむ。

 恐怖を覚えるような揺れだったので、「きっとこれが懸念されていた関東大震災の再来なのかも…」と思い、「もしそうであれば、今後何十年かは大地震に見舞われなくて済むなあ」などと、変な考えが頭をよぎった。
 
 所が、震源地は東北であることを知り、驚いた。「震源地が東北なのに、関東がこんなに揺れたとなると、東北の被害が心配だな」と、秋田の従兄の顔が浮かんだ。

 しかしそんな私の心配を遥かに超える災害になったことはご存知の通りだ。あれから6年、一向に進まない復旧復興、故郷に帰れない地域の方々の心境はいかばかりかと心が痛む。

 なんの解決策も見いだせない原発事故、より大きい津波に対応しようと景観を台無しにする高い防潮堤、まだ生活環境に不備があるのに帰還を急がせる行政…。根本的な難問解決まで、まだまだ時間がかかりそうだ。

 皆さんもそれぞれの思いをお持ちでしょう。
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2017年03月01日

はや、3月!

 2月は通常の月よりも2,3日少ないので、すぐに一ヶ月が過ぎてしまう。

 頭の痛い確定申告は、先日済ませた。2月の内に済ませたのは、初めてかもしれない。月曜の朝一番、税務署に行った。

 締切りまでまだ2週間あるので、空いているだろうと楽観していた。所が結構並んでいて、驚いた。列は記載済みの方と未記載の方に分かれている。記載済みは提出するだけだから、多少並んでも順調に進む。30分くらいで提出できた。所が未記載の列は遅々として進まない。もう長蛇の列だ。ウンザリしたような顔で並んでいる方たちを横目に見ながら税務署を後にした。

 いつも不思議に思うのだけど、何故、記載して来ないのだろう?しかも税務署に来てから計算や記入を始める方も珍しくない。以前、大きな紙袋2つに入れた大量の領収書をぶちまけ、「これで全部です。お願いします」と、係員に丸投げした者がいた。さすがに呆れた係が「分かる所だけでも自分で記入して下さい」と言うと、「分からないから持って来たんだ」と逆ギレしていた。困ったものだ。何もかもやって欲しいならば、税理士に依頼すればよいのだ。こういう勘違い人間もいるから、係の方も大変だと同情したくなる。

 今回からe-Taxを利用して、PCから送ることを考えていた。しかし、専用カードリーダーを用意したり、マイナンバーカードをつくらねばならない。なんだかんだ数千円の出費が必要になる。マイナンバーカードなんて当分持つ気がないから、パスした(笑)。

 そもそもe-Taxは税務処理効率化のために導入したのでしょう?それには我々納税者の協力が欠かせない。なのに何故我々に余計な出費をさせるのか?理解に苦しむ。導入当初の何年かは、一回目の利用に限って5,000円の補助金が出たと記憶している。それならば期限を設けることなく、そのサービスを続けるべきだ。どうせ一回限りの特典なのだし・・・。変な不公平感を与えないで欲しいものだ。納税者は少しでも節税しようと心がける。やっと5,000円節税できたのに、e-Tax導入費に5,000円もかかったら意味がない。

 確定申告を終えると実に気分がよい。いっときの開放感を味わえる。そこで友人の何人かに連絡を入れ、飲み会と花見のお膳立てをした(笑)。

 花見の場所は卒業した高校の近くだ。下車駅から学校までの広い通り(大学通りと言った)の両側が見事な桜並木で、1km以上続く。当時、新学期になると満開の桜の下を歩いた。勿論、高校時代の仲間と集まる。同期会、クラス会ではなく有志だけなので、7,8名程度だと思う。

 飲み会は、小学校時代のクラスメイトが開いている居酒屋でちょっと一杯だ。こちらも5,6名でしょう。

 どちらの仲間もほとんどリタイアしたので、一声掛けるとすぐにOKの返事がくる。中には、「365日ヒマですので、いつでも」なんて書いてくる。

 とは言え、現役時代は皆、人一倍働いた連中ばかりだ。その頑張りがあったからこそ、今の恵まれた老後生活になっている。オフ会の皆さんにも同じことが言えますね(一部を除く)。特にあたごウクレレさん、きぃばつさん、MATTさんたちはオフ会の「年金搾取トリオ」、あるいは「年金泥棒トリオ」、もしくは「失われた年金の元凶トリオ」と呼ばれている。どれにしても、ろくでもない呼称だ(笑)。このトリオから外れる阿羅漢さん、たぬきさんは、「年金玉すだれ(意味不明)」「極貧年金組」と言われている。

 いまだ働いている私は年金に頼らず、国の負担軽減に協力している。そのため、近い将来、勲章受章者の候補となっている。
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2017年02月25日

本年初の墓参り!

 やっと体調が戻りました。風邪の症状がなくなり、やれやれと安心したものの、今ひとつスッキリせず、「もしかしてこれは風邪ではなく、花粉症か?」と疑い出したほどでした。

 友人、知人には花粉症で苦しんでいる者が多く、私が「育ちが良いから、そんなものは無縁だ」と豪語すると、ヒンシュクを買った。そんな私が「花粉症らしい」などと言おうものなら、「それ見たことか!」と狂喜される所だった。危ない、危ない(笑)。

 皆さん誰も心配などしてなかったでしょうが、一応ここは儀礼的に「ご心配おかけしました」と感謝しておきましょう。

 元気になったことで、先日の日曜日、両親の墓参りに行った。今年初めてだ。車で1時間半はかかる遠い場所なので、そう頻繁には行けない。

 東京都下の郊外にある。周辺は山に囲まれ、「ここも東京か?」と驚くほど、自然豊かだ。環境は抜群だけど、しかしやはり遠いことがネックだ。

 両親はこの自然が気に入って決めたのだろうが、亡くなってしまえば、自然も景色もあったもんじゃない(笑)。そんなことより、両親亡き後、墓を守る我々のことも考えて欲しかった、と時々思う。

 24,5年前、母から「墓地を買った」と電話がきた。両親二人ともまだまだ元気だったから少々驚いたし、「そんなことを考える歳になったのか…」と複雑な思いもした。

 「一緒に見に行って欲しい」と言うので、ある日、全員で出かけた。最初の内はご機嫌な両親だった。「とにかく良い場所だ」と、いかに良い墓地を手に入れたかを自慢し続けた。所がなかなか現地に着かない。渋滞していたこともあったが、ようするに遠いからだ。

「随分時間がかかるな」と父がボヤキ始めた。そして明らかに不機嫌な表情に変わってきた。母は母で、「しょうがないでしょ」と突っかかる。車内は険悪なムードになってしまった。

 文句を言いたいのは私だ。「なんでこんなに遠い墓にしたんだ?」と言うと、決まりが悪くなったか、小さくモゴモゴと言い訳していた(笑)。

 結局3時間以上もかかって到着した。今でこそ近道を開拓したので2時間以内で行けるけど、それでも遠いと感じる。途中父は「もう帰ろう」と言い出す始末だった。

 確かに展望も良く、行楽で来るには申し分なかった。でも墓参りとなると、話は別だ。「こんなに遠くては、そうは来れないな」と懸念した。

 それから2,3年して父が亡くなり、納骨された。納骨した時だけは近い親類にも立ち会ってもらったが、その後の一周忌や三回忌では、お墓まで来てもらうことは求めなかった。遠くて申し訳ない、と思ったからだ。

 父の死から15年後に母は亡くなった。その間、母は何回墓参りしただろう?とても一人で行けるような場所ではないから、私が行ける時に時々連れて行った程度だ。

 これがもし、私の住む所から近い墓地を選んでくれたら、色んなついでの時に寄れたはずだ。

 などと、あの時のいきさつを思い出しながら雑草を取り、墓石を綺麗に洗い、お線香を上げた。そして他の墓を見ながら引き上げたが、いかに荒れた墓が多いか、やたらに目立つ。雑草だらけで見る影もない。恐らく、遠くて来れない、面倒だ、ということでしょう。しかし、放置されたような墓ほど淋しいものはない。

 墓守のことを考えずに決めると、このような行く末になりがちなので、これから購入を検討している方は、是非後々のことに想像を巡らせて判断されるよう、アドバイスします。
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2017年02月16日

「1,500!」

 やっと風邪が治ったような、今ひとつのような、余りパッとしない体調です。昼間はほとんど症状が気にならないのに、夜中就寝中、急にセキやくしゃみが出て、目が覚めてしまう。風邪ごときに振りまわされるのだから、体力が落ちた証拠か…?

 毎日のランニングもさすがにできない。すると途端に体がなまり、重く感じる。それだけでなく、便通が悪くなり、気分がスッキリしない。毎日の快便が自慢(?)だったのに、2日もないと、「これはいかん」と無理してでも出そうと、トイレに入る。しかし、無駄な抵抗に終わる(悲)。「便秘は私には無縁」だったはずなのに・・・(悲)。お陰で、今になって、悩みを持つ方の気持ちが分かった(笑)。たぬきさん、阿羅漢さんたちは毎日苦しんでいるそうです。

 「きっと体を動かさないからだ」と思い、少し体調が戻った昨日、ウォーキングした。ランニングはまだ無理なので、距離を抑え、3kmちょっとを速足で歩いた(約25分)。すると効果てきめん、帰宅してすぐに快便となった。やはり、運動は大切だと思い知らされた。

 さて、今回の記事タイトルは数字ですが、この数字の意味が分かる方はいないでしょうね。もっとも、大して意味のある数字ではありません・・・(笑)。単に私にとって感慨深いものがあるというだけです。

 2006年4月20日に当ブログを立ち上げ、以来、コツコツと積み重ねてきた記事数が1,500に達したのです。前半のペースで投稿し続けていたら、遅くとも5,6年前にはクリアしたはずですが、後半はどんどんペースが落ち、今日までかかってしまいました。この分だと、大台2,000に到達するのは、7,8年先になりそうですが、恐らく無理でしょう。その前にペンを置くことになると予想します。

 ブログだけでなく、仕事もリタイアするでしょうし、いろいろなことが欠けていくこれからの数年になりそうです。

 しかし、携わる間は精一杯書き続けますので、これからも支えてください。

posted by Boo! at 21:21| 東京 ☀| Comment(13) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月07日

積ん読?

 現在の住まいに建て替えたのは2000年だった。丁度区切りの良い年なので、忘れない。

 建て替え前の住まいには、雑多な本や雑誌が部屋を占有していた。他にも、レコード、カセットテープ、CDなどが溢れかえっていた。全ての部屋がこんな状態では息が詰まる。妻には文句いわれるし…。

 だから、一つ部屋を決め、これらを置く専用にした。書斎と言えば聞こえは良いけど、物置みたいなものだ。その代わり気兼ねすることなく、次から次に新しい本やCDを置いた。
 
 その内、足の踏み場もない状態になった。棚に入り切らなくなった本などを床に置くからだ。色んなものを跨ぐように室内を移動した(悲)。

 なんとなく妻と建替えの話が持ち上がった。まだ築17年しか経ってなかったが、不満が多く、愛情の持てぬ家だった。一気に話が盛り上がり、あっという間に契約まで進んだ。

 工事期間中は仮住まいに移る。こういう機会は不用品大処分には絶好だ。折角新しくなる住まいに再び不用品を持ち込むことはない。一気に片づけるべく、腰を上げた。私は専ら本類の処分に没頭した。

 普通、一度読んだ本はそれでお役目終了だ。二回以上読むような本は稀に違いない。だから読み終わったらすぐに処分すれば、増えることはない。それができないのは、心のどこかに、本を捨てる後ろめたさみたいなものがあるからかもしれない。

 私に自慢できるのは、購入した本はほとんど目を通している事だ。面白くなくても、最後まで読むことにしている。途中までピンと来なくても、後半面白くなることもあるからだ。最後まで面白くなかった本は、躊躇うことなく捨てることができた。単に購入するだけでロクに読まない、所謂「積ん読」状態ではないから、少しは本も救われる(?)。

 整理を開始したものの、何を捨てるか迷う。一冊手に取って、パラパラとページをめくるとつい読み始めてしまう。ちっとも作業が進まない(笑)。

 しかし仮住まいに移る日が迫ってくると、迷ってなどいられない。本のタイトル、作者名から選別するようにした。何しろ一度は読んでいるから、なんとなく中身が想像できる。

 慣れてくると、ほぼ即断のように処分が進んだ。やがて、捨てることに快感を覚えるようになった。「どうしようか?」と迷うものは、躊躇わず、処分行きとなった。

 こうして1/3位にまで減らすことができた。

 新しい住まいには書斎を設け、たっぷりと収納できる本棚を作ってもらった。また階段踊り場の壁をくり抜いて、文庫本専用棚にした。約1,000册近く収納できる。

 新しい住まいに移って初めの2,3年は、スキスキ、ガラガラのゆとりある書斎だった。特に本棚は未使用の棚が目立つた。踊り場の壁も、半分は空いていた。

 最初は空間があることに満足した。だがやがて、その空間、すき間を埋めたくなる。新しい本を買い込み、読み終わると本棚に収める。読み終えてからだから、スローペースだ。でも、すき間が減るということは、それだけの本を読んだ証でもある。少しづつすき間が減ることが励みになり、10年を過ぎたあたりから、すっかりすき間が消えた。文庫本スペースにも入り切らなくなってしまった。フロアの隅に本が 置かれるようになり、部屋の空間を圧迫する。

 これでは昔の状態に逆戻りだ。

 暖かくなったら、2000年当時を思い出し、一気に整理処分しようと計画している。
posted by Boo! at 23:17| 東京 ☀| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月01日

はや、2月!

 お正月気分も大してないまま1月も過ぎ去り、2月に入りました。

 北陸や東北地方といった日本海側は大変な大雪に見舞われている。半端な積り方ではないようで、「雪国の方は大変だ」と気にかかる。秋田の従兄がまだ元気だったら、逐一雪の情報を知らせてくれたはずだ。

 主のいなくなった家には連れ合い一人が暮らしている。バカ広い家に一人では、益々孤独感が募るだろうなと、田舎も都会と同じように核家族化が進む現実を突き付けられる。周辺には親類が散らばっているけど、かつてのような濃い付き合いではないようだ。従兄のように人一倍マメで義理堅くないと、人も来なくなる。まるで何とかの切れ目みたいだ(悲)。毎日のように従兄と酒を酌み交わした、私と同い年のいとこも「全然行かねえ」と言う。「もっとも、未亡人しかいない家に男が一人ノコノコと行けねえけどよ」と言ったので、電話口で大笑いした。

 東京は昨年11月に初雪が降った。こんなに早い時期の雪は滅多にない。だから、この冬は雪が多いかもと心配した。しかし、その後はお天気続きで、気配もない。その代わり空気が乾燥し、インフルエンザ流行が心配だ。

 我家では、1階と2階に加湿器を置き、フル稼働させている。それでも50%付近を維持するのがやっとだ。電源Offにするとすぐに40%以下に落ちるから、加湿の効果はあるようだけど・・・。庭の土もカラカラに乾き、戸外に置いてある鉢物は水不足になりがちだ。先日タップリと水を与えたが、翌日にはもう表面が乾き始めた。

 2月になると頭の痛い作業が待っている。例の確定申告だ。16日から受付が始まる。ただし、還付金を受け取る方はもっと早くから申請できる。あたごウクレレさんなんか、先月に済ませてしまったそうだから、その素早さには驚いてしまう。

 人間、嫌なことはつい後回しにしがちだ。延ばし延ばし、いよいよ切羽詰まってから火事場のバカ力を発揮、一気に片付ける。これが私の昔からのパターンだ(笑)。学校の試験なんて一夜漬けが得意(?)だった。あたごウクレレさんを見習って、来年は早く取り掛かろうと反省するけど、提出してしまえばそんな反省はすぐに忘れてしまう(笑)。

 今月は久しぶりに昔の職場同僚3人と飲み会だ。おばさん3人組だが、当時はまだ結婚前の若い女性達だった。3年間ほど一緒だったが、いずれも寿退職した。彼女達が辞めて10年ほど過ぎた頃、一人から「久しぶりに集まりましょう」と電話がきた。以来毎年のように集まることになった。

 全員、娘さんという印象だったのに、やがて落ち着いた主婦に変わっていく。彼女達の家庭環境が変わるにつれ、話題も変わる。旦那中心から、子育て、進学、就職へと子供中心に移った。一段落すると再び旦那の話になった。昔はのろけていたものだが、最近は深刻な話が多くなっている。

 早期退職させられたがなかなか再就職できない、会社を辞めて独立したものの、経済的に苦しくなったとかだ。このような心配事がないのは一人だけだ。

 それでもなんとか乗り切り、皆、子供達の結婚まで頑張った。さあこれからはノンビリと夫婦二人の生活だと安心した矢先、一人は親の介護に直面することになる。介護に関しては私が先に体験したから、少しはアドバイスできた。しかし長い介護で、昨年やっと解放されたが、その疲れが出たらしく、今度は自分の体調を崩してしまった。やっと体調が戻ったので参加できるそうだ。

 もう一人はもっと深刻だ。大変仲の良い夫婦で、家族もよくまとまっていた。彼女は働き者で、旦那の失業中は一人朝から晩まで仕事を掛け持ちして家計を助けた。よく「うちの旦那はアッシーだから」と言って、会が終わり近くになると、「迎えにきて」と電話をかけた。車で1時間もかかるから、私だったら「ふざけるな」と無視する(笑)。しかし旦那はニコニコしながら迎えに来た。まんざら嫌ではなかったのかも知れない。だが最近、旦那の浮気が発覚し、離婚の危機に直面している。「あんなに仲良かったのに」と、私には信じられない。現在、裁判で係争中だ。

 何十年もの夫婦生活を送っても、壊れる時は簡単に壊れるのだなあと、いささか複雑な気持ちになっている。

 いつ壊れてもおかしくないはずの、たぬきさんや阿羅漢さんが壊れないのは不思議だ。となると逆に、絶対壊れっこない、ゆるぎないはずのあたごさんご夫婦がもしかすると危ないのかも・・・おいおい!

posted by Boo! at 22:15| 東京 ☀| Comment(10) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月21日

当たるも…当たらぬも?

 年賀はがきの当選番号が発表された。皆さんの結果はどうだったでしょうか?

 長年に亘って当選結果に一喜一憂してきた。100枚で3等が2枚当たる確率だ。しかし、なかなか当たらない。我家では妻の分と合わせて毎年300枚以上届く。しかし3,4枚当たるのがやっとだ。今年は少し増えて、6枚だった。1枚しか当たらない年もあった。

 最下位である3等でこんな程度だから、2等以上となったら当たるのが不思議なくらいだ。それでも一度だけ2等に当たった年があった。景品が何だったか忘れたけど、狂喜した(笑)。

 何等であれ、「当たる」というのは嬉しいものだ。幸運を独り占めした感がある。

 以前、宝クジを毎年のように買った時期があった。有り余るほどの金を持っている私だから、一攫千金を狙う必要などない。単に運試しだった…はずだ。しかし、3,000円が一度当たったのが最高で、「こんなものに金を使うのはバカげてる」と悟り、以来パタッとやめた。

 「宝クジ」と言えば義母を思い出す。30年以上も前のことだ。義母が友人と巣鴨のとげぬき地蔵に行った。お年寄りに人気のあるスポットだ。お地蔵さんをタワシで水洗いすると病が治るという御利益があるそうだ。しかし沢山の方がゴシゴシ洗うので磨り減ってしまい、新しく作り直したとか。新しい地蔵ができるまで、地元に住むたぬきさんが地蔵代りに立った。つまり、バンド用語で言うと、トラだ。

 でも、御利益ゼロどころか、却って病が重くなる人が続出し、無残にも捨て置かれた。現在のたぬきさんを彷彿させる出来事だった。

 さて義母たちが商店街を歩いていると、ある場所で列を作っていた。宝クジ売り場だった。それまで買ったこともなかったのに、なんとなく勢いで買ったらしい。しかし、たったの2枚だ(笑)。

 後日興奮した電話がきた。「当たった、当たった!」と喚いていた。宝クジを買ったことなど知らないから、「何が?」と問うた。「宝クジだよ」と叫ぶ。「あ、そう」と余り関心なく反応した。3,000円しか当たったことがない私だ。せいぜい同程度か、良くて10,000円だろうと舐めた。

 「違うよ。もっとだよ」と言う。どうもあり得ないことが起こりつつあった。そして、「百万円当たった」の言葉に、「ヒョエー!」と、今度は私が興奮した。たった2枚で百万円とは…。

 即、私の皮算用が働いた。「百万円の分け前をどうするかだな」と、私が当たった訳でもないのに配分を考えた(笑)。「義母が一番権利があるから、6割の60万円を渡す。残りの40万円は、妻と義妹、それに私と義弟の4人で10万円づつ分ければ、バッチリだ」と、我ながらの高い計算力に感銘した。

 だがいつまで待っても、義母から連絡が来ない。「野郎、逃げやがったな」

 その年は、義父の13回忌法要の予定があった。打合せに行くと、「いつも済まないねえ」と言いながら、白い封筒を差し出した。「この間の宝クジのおすそ分け」と言う。「とうとう10万円だ」とニヤニヤしながら、封筒をさすった。だが、なんか薄い。10万円ならもっと厚いはずだ。

「お父さんの法要でなにかとお金が出て行くから、少しだけど」「イヤイヤ申し訳ないです」と、一応感謝の気持ちを現した。

 後で封筒を開けると、1万円札一枚だった(悲)。妻も当てが外れたのか、「チェ!」と不満顔だった。

「ま、良いんじゃないの」と、むしろ大金に浮かれないしっかりした義母に感心した。でも、せめて3万円は欲しかったなあ(笑)。
posted by Boo! at 22:12| 東京 ☀| Comment(4) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

お正月あれこれ…。

 正月気分もすっかり抜け、皆さんも平常生活に戻ったことでしょう。

 もしかすると初めてかもしれないが、三が日全て寺・神社にお参りした。元旦は、自宅近くの神社二つをハシゴ。二日は、市内で一番大きいと言われる神社に参拝した。現在の地に住んでからもう35年になろうとしているのに、初めて訪れた。地元では有名だし、車で近くを通ることはよくある。しかし、境内に入ることはなかった。

 さすがに多くの参拝客でごった返していた。だが私にはピンとこなかった。何というのか、「佇まい」が良くないのだ。ただ大きいでは駄目で、「品」のようなものがないと有り難みが薄れる。お賽銭を入れただけで、早々に引きあげた。自宅近くの小さな神社のほうが余程良い。

 「品がないと言えば、阿羅漢さんとたぬきさんを思い出すなあ」と、変な所でお二人の顔がちらついた。

 三日は少し足を延ばして、川越まで行った。有名な喜多院にお参りした。初詣としては4,5年前に訪れた以来で、相変わらず大変な人出だ。その足で、蔵が並ぶ通りを目指す。川越は「蔵造りの町」として有名だ。私も好きな一画で、江戸時代の風情を残している。

 県外から、或いは海外からも訪れているのだろう、人、人のラッシュだ。お互いすれ違うにもやっとの有り様だった。

 蔵を眺めながら、「菓子屋横丁」に向かう。ここも有名だ。一昨年だったか、火事で数店舗が焼失し、死者も出た。「どうなったか…」と気になっていた。しかし再建した店が多く、 何事もなかったかのように、賑わっていた。それでも建築中の建物もあった。なにはともあれ、「菓子屋横丁」として存続できたのは良かった。

 この横丁で何か買うのかと思ったら、妻には目的の店があったらしく、見学しただけだ。そして、その店に向かう。知る人ぞ知る、豆菓子専門の店だ。人気店らしく、外にまで客が溢れていた。入り口で店員から楊枝一本渡され、「中の試食品どれでもとうぞ」と言う。沢山の種類が置いてあり、どれも美味しい。全部口に入れようかと思った(笑)。

 妻は「お土産にする」と、豆の入った容器を幾つも大きな紙袋に入れて、二袋も買い込んだ。

 結構歩き回り、疲れもした。駅ビルにあるコーヒー店で一服した。

 三日続けたとは言え、私に神社巡りの趣味はない。ただ、正月はどうしても「食っちゃ寝」状態になりがちで、体に良いことは一つもない。だからこうして外出して歩かないと体がなまる。

 4日から仕事という方が多いかもしれません。しかし私は思い切って8日まで休んだ。7日は古い友人と新年会。都心まで出た。

 休み最後の8日は、何年ぶりかで映画鑑賞した。「マイルス・アヘッド」だ。ジャズファンであれば、マイルス・デイビスを思い浮かべるはずです。

 「マイルスの空白の5年間を描いたもの」というので、伝記、ドキュメンタリー性を期待していた。しかし多少の事実には基づいてはいるのだろうが、かなり娯楽映画にシフトした脚色だった。

 純粋にマイルスの音楽に期待すると肩透かしを食う。娯楽と割り切れば、楽しめるでしょう。
 
 以上、私のお正月報告です(笑)。

 皆さんは如何でしたか?
posted by Boo! at 22:25| 東京 ☀| Comment(4) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月01日

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。暖かいお正月ですね。年が新しくなると、人間は一つ古くなります(悲)。

 いつの頃からか、新年を迎える楽しみが消えました。おそらく、お年玉を貰える頃までが楽しみだったのでしよう。親から初めてお年玉を貰ったのは何歳のときだったのだろう。多分、幼稚園児の頃ではなかったか・・・。金額は覚えていないけど、ま、100円程度だったでしょう。

 当時は、5円、10円単位で駄菓子や凧、独楽、メンコ、ビー玉などが買えたから、100円でも 嬉しかった。我が家だけでなく、日本中がまだ貧しかった時代だ。子供にお年玉を与えるような余裕はなかったと思う。

 家族で親類の家に年賀に行くと、伯父や伯母がお年玉をくれた。やはり100円程度だった。行けば必ず用意してくれたから、絶対に行ったものだ(笑)。こうして何人かから貰っても、少額だからなかなかたまらない。500円も集まったら金持ちになったような気がした。

 家計の助けにと、母が下宿屋を始めた。都内の私立大学に入学したばかりの学生を二人預かった。同じ大学だったが、出身地は違った。初めての正月休みで学生は帰省し、正月が明けると戻ってきたが、内一人の母親が新年の挨拶のために一緒についてきた。昔の親はこういう律儀さがあったのだ。手土産を沢山持参しただけでなく、なんと私にお年玉をくれたのでびっくりした。両親、親類以外、つまり他人からお年玉をもらったのはこの時が初めてだった。

 あとで袋を開けると、真新しい千円札が入っていた。これには、驚いたのなんの。当時の千円と言ったら大変だ。おそらく大卒初任給が一万円以下だったはずだから、破格の千円だ、しかもまだ小学4年生だ。

 以降、毎年その母親は挨拶に訪れ、欠かさず千円のお年玉をくれた。この大学生が卒業すると同時に、お年玉も切れてしまったが、しかし、その後も家族ぐるみのお付き合いが続いた。大学生の実家は静岡県伊東市で旅館を経営していたこともあって、私が高校生までほぼ毎年のように、夏休みには1週間以上も遊びに行った。大学生には美人妹が二人いたことも行きたい理由だった(笑)。やがて大学生が結婚するときは両親が仲人を務めた。両親亡き後も、私との付き合いが現在でも継続しているから、珍しいケースかもしれない。

 いくつになってもお年玉は貰いたいものだ。しかし、大学を卒業するころには貰えなくなるのが普通でしょうね。そして、今度はお年玉を渡す立場に変わる。こうなると、お正月の楽しみがなくなる(笑)。結婚してからは、女房が私からのお年玉を狙っている。そうじゃなくても、年末から正月にかけてむしり取られることが多いのに・・・。何しろ、12月は結婚記念祝いとクリスマスがあり、年が明けるとお年玉、すぐに彼女の誕生祝いと、もう目白押しなのです。もうすこしバラけろよ、と言いたい。

 とまあ、正月早々ぼやいております(笑)。

 今日はこれから近くの神社に初詣に行きます。小さな神社ですが、最近は多くの参拝者が訪れるようになり、2列で200mくらい並ぶこともあります。お賽銭を入れ、あとは交通安全のお札を買います。そのままプラプラと駅周辺まで歩き、二番目の神社にお参り、そしてどこかお店に入り、コーヒーと軽食をとるのが毎年のお決まりコースです。これだけで5km以上歩きますから、良い運動にもなります。

 「今年の抱負」なんてものはありません。ただただ、健康で家族円満でありさえすれば十分です。たぬきさんや阿羅漢さん一家のように、離散家族にならないことだけ祈っています(笑)。

 また、「今年こそ、スチールギター練習を頑張る」と誓いを立てても、どうせ守らないに決まってますから、立てません(笑)。

 「守らない誓い」「守らない約束」「守らない法規」「守らない公約」・・・ほど無意味なものはありません。これはどこかの政治家に言えるような・・・?


 しかし少なくとも、当ブログは続けたいと思っています。無理せず、のんびりと書いて行きたいです。ただし、皆様は無理してでもコメントを書くことが義務付けられておりますので、よろしく(笑)。

 正月早々からこんな記事です(アルコールも少々入っている)。懲りずにお付き合いくださいますように。
posted by Boo! at 12:34| 東京 ☁| Comment(22) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月26日

良いお年を!

 いよいよ今年もあと僅かとなり、1週間を切りました。あっという間の1年でしたが、まあまあ元気に過ごせたことは幸いでした。

 それにしてもこの年の瀬に起きた新潟県糸魚川市の大火には驚きました。まさかあのように広範囲にまで延焼するとは地元の方たちも想像しなかったでしょう。台風並みの強風が被害を大きくしたのでしょうが、風下か風上で運命が分かれたようです。出火元から一軒置いただけの至近距離のお宅は全く焼けなかったのに、100m,200mも離れた家屋は、飛んできた火の粉で全焼したのですから、あきらめがつかないでしょう。どんなに気を付けても、うっかりということがあるかもしれません。用心するに越したことはありません。今一度火の使いかたには注意しましょう。

 今年はどんな年だったでしょう?

 自分の年齢を考えれば当然なのですが、一回り上の世代、或いは、数歳年上の従兄や友人・知人達に異変が起き始めています。体調を崩したり、入院・手術に至るケースです。いずれもこれまでは至って元気だったので、「来る時は来るのだなあ」と、痛感させられます。

 病気の場合は、ちゃんと治療すれば快復できる可能性大ですが、問題は、アルツハイマー病や認知症です。誰しもが最も避けたい症状ですが、いざそうなってしまったら、恐らく本人には自覚がありませんから厄介です。

 今年は従兄と古い友人が発症しました。他人事ではありません。従兄は連れ合いを激しく責める、口による暴力です。一方的な思い込みによるものなので、家族中が当惑し、とりわけ連れ合いのショックは大きいものでした。どちらかと言えば、静かで温厚な人でしたから、まるで別人のようです。このまま放置すれば更にエスカレートすることは間違いないので、医師の判断で半ば強制的に隔離しました。現在は専門の施設に入っています。

 先日面会に行きましたが、すっかり表情が無くなりました。これは薬の影響もあるかも知れません。こちらから話しかけても上の空。自分から口を開いても、同じことを5分に10回くらい繰り返します。昔のことを思い出してもらおうと古いアルバムを持参したのですが、見せるのはやめました。逆効果を懸念したのです。

 私の子供時代からまるで兄弟の如く可愛がってくれましたから、これからどのように接するべきか、悩むところです。

 友人は典型的な認知症です。直近のことが記憶されないので、同じ言動を繰り返すそうです。当たり前の行動が難しくなり、下手に外出すると「迷い老人」になる心配があります。こちらも奥さんが大変でしょう。

 一方で、たぬきさんや阿羅漢さんは先天的な痴呆老人なので、むしろこれからは正常な方向に進むかもしれない。ある意味羨ましい…どこが?

 さて、今年もよくお付き合い頂きました。投稿ペースが落ちてはいますが、来年も無理せず、マイペースで書き続けたいと思っております。コメントを下さる方はほぼ固定していますが、有難いことと感謝しています。他にはない(?)中味の濃いコメントは、私にとっては宝みたいなものです。いえ、全部じゃありません(笑)。

 また、お中元・お歳暮みたいに、一年に1,2回コメントを下さる方もおられます。思い当たる方はきっと赤面するでしょう(笑)。ま、いささか不満とは言え、やはり嬉しいものです。

 来年はどんな年になるのでしょう。月並みですが、やはり「平穏無事」であって欲しいですね。

 数々の無礼、失言、暴言があったかもしれませんが、引き続きお付き合いください。

 今年最後の記事になります。良いお年を。
posted by Boo! at 22:43| 東京 ☁| Comment(11) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月20日

悪夢の次は難題か?

 先日、外出しようと玄関を出たら、丁度通りかかったご近所の方と目が合ってしまい、お互い大きな声で「おはようございます」と挨拶した。

 このご主人、いつも奥さんを伴い、買い物や散歩をしている。時には二人手をつないで歩く姿もよく見かける。もう80歳を過ぎているが、実に仲が良い。たぬきさん夫婦とはえらい違いだ。たぬきさんが手を握ろうとすると、奥さんから「シッ、シッ」と追い払われる。

 これには理由があって、奥さんの一人歩きが難しくなっているからだ。おそらく股関節か膝の調子が良くないのだろう。そのため、ご主人が一生懸命支えているようだ。日によって調子が変わるようで、大体は杖をついて歩く。たまに調子が良いと、杖なしで歩いていることもある。それでもご主人が必ずついている。

 ご主人の偉いところは、できるだけ奥さんを外に連れ出そうと努めていることだ。歩きに支障があればどうしても家から出なくなりがちだ。そうすると、精神的に良くないし、下手すると認知症にもなりやすいかもしれない。また、筋肉が衰え、益々歩けなくなる。そうならないように、ご主人が懸命に支えている。奥さんもご主人に引っ張られれば頑張って歩こうとするだろう。

 ご主人はおしゃべり好きだ。しかし奥さんは口数が少なく、いつも我々の会話を聞きながらニコニコしている。会話と言っても、他愛のない話が多い。ところがこの日は違った。

 急にあらたまり、「所で、3,4分お時間がありますか?」と訊いてきた。「大丈夫ですよ。何か?」と問うと、「自治会の役員改選が来春にあります。役員は大体決まったのですが、会長がまだ決まりません。誰か適任者いませんかと頼まれ、私はすぐに**さん(私だ)を推挙しました。ほかの方たちも、それがいいと賛同してくれました」

 「ちょ、ちょ、ちょ・・・待ってください」と、もう思いっきり焦った。こちらの意思も確認せず、「それがいいとは何事だ」と、一方的な進め方に戸惑った。

 更に「いや、何とかお願いします」と懇願してくる。役員は何度か経験しており、それなりにやり方はわかっているので、それほどの負担はない。しかし、会長の忙しさは役員とは違って大変だとわかっていた。約250名で組織された自治会だ。そのため連絡事項が多く、平日、休日関係なく、頻繁に会合に出ていき、その内容を役員に知らせる。リポート作りだけでも大変だ。役員は仕事を持っていてもなんとかこなせるけど、会長は無理だ。そのため、定年退職した方が代々選ばれることが多かった。

 私はまだ仕事を続けている。到底無理なので、「仕事と一緒では難しいでしょう」とやんわり断ると、「はい、**さんが仕事をされているのは承知しています。ですから、できるだけ支障が出ないよう全員が協力するので、就いて欲しいというのがみんなの気持ちです」「そういわれてもなあ・・・」

 実に困った。そういえば、前回役員をしたとき、最後の会合で、当時の会長から「2,3年後は、**さんに会長が回るかもしれませんよ」と言われたことを思い出した。その時は冗談だと思い、受け流していた。まさか本当に回ってくるとは・・・。

 「とにかくまだ無理な状況です。リタイヤでもしたら検討するかもしれませんが、今回は何とかほかの方にお願いしてください」と必死に頼んだ。「**さんのお気持ちはみんなに伝えますが、もしそれでもお願いすることになったら考えてください」と言いながら、帰っていった。

 頭が痛いな。早く新しい会長を見つけてくれと祈るばかりだ。

 「チョウ」とつく役はいろいろある。会長もそうだけど、部長、班長、隊長、課長、級長・・・etc.
どれも私はなりたくないものだ。下手に責任を被せられることが嫌なのだ。逃げられないで、仕方なく引き受けたものもあったけど。

 しかし、一つだけ得意とする「チョウ」があった。それは「C調」「シー調」ね?

 難題を抱えているのに、バカなことを言ってる場合ではなかった。このような役目はMATTさんが得意だろうな。代わって欲しいものだ。
 
posted by Boo! at 23:43| 東京 ☀| Comment(4) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする