2017年02月25日

本年初の墓参り!

 やっと体調が戻りました。風邪の症状がなくなり、やれやれと安心したものの、今ひとつスッキリせず、「もしかしてこれは風邪ではなく、花粉症か?」と疑い出したほどでした。

 友人、知人には花粉症で苦しんでいる者が多く、私が「育ちが良いから、そんなものは無縁だ」と豪語すると、ヒンシュクを買った。そんな私が「花粉症らしい」などと言おうものなら、「それ見たことか!」と狂喜される所だった。危ない、危ない(笑)。

 皆さん誰も心配などしてなかったでしょうが、一応ここは儀礼的に「ご心配おかけしました」と感謝しておきましょう。

 元気になったことで、先日の日曜日、両親の墓参りに行った。今年初めてだ。車で1時間半はかかる遠い場所なので、そう頻繁には行けない。

 東京都下の郊外にある。周辺は山に囲まれ、「ここも東京か?」と驚くほど、自然豊かだ。環境は抜群だけど、しかしやはり遠いことがネックだ。

 両親はこの自然が気に入って決めたのだろうが、亡くなってしまえば、自然も景色もあったもんじゃない(笑)。そんなことより、両親亡き後、墓を守る我々のことも考えて欲しかった、と時々思う。

 24,5年前、母から「墓地を買った」と電話がきた。両親二人ともまだまだ元気だったから少々驚いたし、「そんなことを考える歳になったのか…」と複雑な思いもした。

 「一緒に見に行って欲しい」と言うので、ある日、全員で出かけた。最初の内はご機嫌な両親だった。「とにかく良い場所だ」と、いかに良い墓地を手に入れたかを自慢し続けた。所がなかなか現地に着かない。渋滞していたこともあったが、ようするに遠いからだ。

「随分時間がかかるな」と父がボヤキ始めた。そして明らかに不機嫌な表情に変わってきた。母は母で、「しょうがないでしょ」と突っかかる。車内は険悪なムードになってしまった。

 文句を言いたいのは私だ。「なんでこんなに遠い墓にしたんだ?」と言うと、決まりが悪くなったか、小さくモゴモゴと言い訳していた(笑)。

 結局3時間以上もかかって到着した。今でこそ近道を開拓したので2時間以内で行けるけど、それでも遠いと感じる。途中父は「もう帰ろう」と言い出す始末だった。

 確かに展望も良く、行楽で来るには申し分なかった。でも墓参りとなると、話は別だ。「こんなに遠くては、そうは来れないな」と懸念した。

 それから2,3年して父が亡くなり、納骨された。納骨した時だけは近い親類にも立ち会ってもらったが、その後の一周忌や三回忌では、お墓まで来てもらうことは求めなかった。遠くて申し訳ない、と思ったからだ。

 父の死から15年後に母は亡くなった。その間、母は何回墓参りしただろう?とても一人で行けるような場所ではないから、私が行ける時に時々連れて行った程度だ。

 これがもし、私の住む所から近い墓地を選んでくれたら、色んなついでの時に寄れたはずだ。

 などと、あの時のいきさつを思い出しながら雑草を取り、墓石を綺麗に洗い、お線香を上げた。そして他の墓を見ながら引き上げたが、いかに荒れた墓が多いか、やたらに目立つ。雑草だらけで見る影もない。恐らく、遠くて来れない、面倒だ、ということでしょう。しかし、放置されたような墓ほど淋しいものはない。

 墓守のことを考えずに決めると、このような行く末になりがちなので、これから購入を検討している方は、是非後々のことに想像を巡らせて判断されるよう、アドバイスします。
posted by Boo! at 00:15| 東京 ☁| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

「1,500!」

 やっと風邪が治ったような、今ひとつのような、余りパッとしない体調です。昼間はほとんど症状が気にならないのに、夜中就寝中、急にセキやくしゃみが出て、目が覚めてしまう。風邪ごときに振りまわされるのだから、体力が落ちた証拠か…?

 毎日のランニングもさすがにできない。すると途端に体がなまり、重く感じる。それだけでなく、便通が悪くなり、気分がスッキリしない。毎日の快便が自慢(?)だったのに、2日もないと、「これはいかん」と無理してでも出そうと、トイレに入る。しかし、無駄な抵抗に終わる(悲)。「便秘は私には無縁」だったはずなのに・・・(悲)。お陰で、今になって、悩みを持つ方の気持ちが分かった(笑)。たぬきさん、阿羅漢さんたちは毎日苦しんでいるそうです。

 「きっと体を動かさないからだ」と思い、少し体調が戻った昨日、ウォーキングした。ランニングはまだ無理なので、距離を抑え、3kmちょっとを速足で歩いた(約25分)。すると効果てきめん、帰宅してすぐに快便となった。やはり、運動は大切だと思い知らされた。

 さて、今回の記事タイトルは数字ですが、この数字の意味が分かる方はいないでしょうね。もっとも、大して意味のある数字ではありません・・・(笑)。単に私にとって感慨深いものがあるというだけです。

 2006年4月20日に当ブログを立ち上げ、以来、コツコツと積み重ねてきた記事数が1,500に達したのです。前半のペースで投稿し続けていたら、遅くとも5,6年前にはクリアしたはずですが、後半はどんどんペースが落ち、今日までかかってしまいました。この分だと、大台2,000に到達するのは、7,8年先になりそうですが、恐らく無理でしょう。その前にペンを置くことになると予想します。

 ブログだけでなく、仕事もリタイアするでしょうし、いろいろなことが欠けていくこれからの数年になりそうです。

 しかし、携わる間は精一杯書き続けますので、これからも支えてください。

posted by Boo! at 21:21| 東京 ☀| Comment(13) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月07日

積ん読?

 現在の住まいに建て替えたのは2000年だった。丁度区切りの良い年なので、忘れない。

 建て替え前の住まいには、雑多な本や雑誌が部屋を占有していた。他にも、レコード、カセットテープ、CDなどが溢れかえっていた。全ての部屋がこんな状態では息が詰まる。妻には文句いわれるし…。

 だから、一つ部屋を決め、これらを置く専用にした。書斎と言えば聞こえは良いけど、物置みたいなものだ。その代わり気兼ねすることなく、次から次に新しい本やCDを置いた。
 
 その内、足の踏み場もない状態になった。棚に入り切らなくなった本などを床に置くからだ。色んなものを跨ぐように室内を移動した(悲)。

 なんとなく妻と建替えの話が持ち上がった。まだ築17年しか経ってなかったが、不満が多く、愛情の持てぬ家だった。一気に話が盛り上がり、あっという間に契約まで進んだ。

 工事期間中は仮住まいに移る。こういう機会は不用品大処分には絶好だ。折角新しくなる住まいに再び不用品を持ち込むことはない。一気に片づけるべく、腰を上げた。私は専ら本類の処分に没頭した。

 普通、一度読んだ本はそれでお役目終了だ。二回以上読むような本は稀に違いない。だから読み終わったらすぐに処分すれば、増えることはない。それができないのは、心のどこかに、本を捨てる後ろめたさみたいなものがあるからかもしれない。

 私に自慢できるのは、購入した本はほとんど目を通している事だ。面白くなくても、最後まで読むことにしている。途中までピンと来なくても、後半面白くなることもあるからだ。最後まで面白くなかった本は、躊躇うことなく捨てることができた。単に購入するだけでロクに読まない、所謂「積ん読」状態ではないから、少しは本も救われる(?)。

 整理を開始したものの、何を捨てるか迷う。一冊手に取って、パラパラとページをめくるとつい読み始めてしまう。ちっとも作業が進まない(笑)。

 しかし仮住まいに移る日が迫ってくると、迷ってなどいられない。本のタイトル、作者名から選別するようにした。何しろ一度は読んでいるから、なんとなく中身が想像できる。

 慣れてくると、ほぼ即断のように処分が進んだ。やがて、捨てることに快感を覚えるようになった。「どうしようか?」と迷うものは、躊躇わず、処分行きとなった。

 こうして1/3位にまで減らすことができた。

 新しい住まいには書斎を設け、たっぷりと収納できる本棚を作ってもらった。また階段踊り場の壁をくり抜いて、文庫本専用棚にした。約1,000册近く収納できる。

 新しい住まいに移って初めの2,3年は、スキスキ、ガラガラのゆとりある書斎だった。特に本棚は未使用の棚が目立つた。踊り場の壁も、半分は空いていた。

 最初は空間があることに満足した。だがやがて、その空間、すき間を埋めたくなる。新しい本を買い込み、読み終わると本棚に収める。読み終えてからだから、スローペースだ。でも、すき間が減るということは、それだけの本を読んだ証でもある。少しづつすき間が減ることが励みになり、10年を過ぎたあたりから、すっかりすき間が消えた。文庫本スペースにも入り切らなくなってしまった。フロアの隅に本が 置かれるようになり、部屋の空間を圧迫する。

 これでは昔の状態に逆戻りだ。

 暖かくなったら、2000年当時を思い出し、一気に整理処分しようと計画している。
posted by Boo! at 23:17| 東京 ☀| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月01日

はや、2月!

 お正月気分も大してないまま1月も過ぎ去り、2月に入りました。

 北陸や東北地方といった日本海側は大変な大雪に見舞われている。半端な積り方ではないようで、「雪国の方は大変だ」と気にかかる。秋田の従兄がまだ元気だったら、逐一雪の情報を知らせてくれたはずだ。

 主のいなくなった家には連れ合い一人が暮らしている。バカ広い家に一人では、益々孤独感が募るだろうなと、田舎も都会と同じように核家族化が進む現実を突き付けられる。周辺には親類が散らばっているけど、かつてのような濃い付き合いではないようだ。従兄のように人一倍マメで義理堅くないと、人も来なくなる。まるで何とかの切れ目みたいだ(悲)。毎日のように従兄と酒を酌み交わした、私と同い年のいとこも「全然行かねえ」と言う。「もっとも、未亡人しかいない家に男が一人ノコノコと行けねえけどよ」と言ったので、電話口で大笑いした。

 東京は昨年11月に初雪が降った。こんなに早い時期の雪は滅多にない。だから、この冬は雪が多いかもと心配した。しかし、その後はお天気続きで、気配もない。その代わり空気が乾燥し、インフルエンザ流行が心配だ。

 我家では、1階と2階に加湿器を置き、フル稼働させている。それでも50%付近を維持するのがやっとだ。電源Offにするとすぐに40%以下に落ちるから、加湿の効果はあるようだけど・・・。庭の土もカラカラに乾き、戸外に置いてある鉢物は水不足になりがちだ。先日タップリと水を与えたが、翌日にはもう表面が乾き始めた。

 2月になると頭の痛い作業が待っている。例の確定申告だ。16日から受付が始まる。ただし、還付金を受け取る方はもっと早くから申請できる。あたごウクレレさんなんか、先月に済ませてしまったそうだから、その素早さには驚いてしまう。

 人間、嫌なことはつい後回しにしがちだ。延ばし延ばし、いよいよ切羽詰まってから火事場のバカ力を発揮、一気に片付ける。これが私の昔からのパターンだ(笑)。学校の試験なんて一夜漬けが得意(?)だった。あたごウクレレさんを見習って、来年は早く取り掛かろうと反省するけど、提出してしまえばそんな反省はすぐに忘れてしまう(笑)。

 今月は久しぶりに昔の職場同僚3人と飲み会だ。おばさん3人組だが、当時はまだ結婚前の若い女性達だった。3年間ほど一緒だったが、いずれも寿退職した。彼女達が辞めて10年ほど過ぎた頃、一人から「久しぶりに集まりましょう」と電話がきた。以来毎年のように集まることになった。

 全員、娘さんという印象だったのに、やがて落ち着いた主婦に変わっていく。彼女達の家庭環境が変わるにつれ、話題も変わる。旦那中心から、子育て、進学、就職へと子供中心に移った。一段落すると再び旦那の話になった。昔はのろけていたものだが、最近は深刻な話が多くなっている。

 早期退職させられたがなかなか再就職できない、会社を辞めて独立したものの、経済的に苦しくなったとかだ。このような心配事がないのは一人だけだ。

 それでもなんとか乗り切り、皆、子供達の結婚まで頑張った。さあこれからはノンビリと夫婦二人の生活だと安心した矢先、一人は親の介護に直面することになる。介護に関しては私が先に体験したから、少しはアドバイスできた。しかし長い介護で、昨年やっと解放されたが、その疲れが出たらしく、今度は自分の体調を崩してしまった。やっと体調が戻ったので参加できるそうだ。

 もう一人はもっと深刻だ。大変仲の良い夫婦で、家族もよくまとまっていた。彼女は働き者で、旦那の失業中は一人朝から晩まで仕事を掛け持ちして家計を助けた。よく「うちの旦那はアッシーだから」と言って、会が終わり近くになると、「迎えにきて」と電話をかけた。車で1時間もかかるから、私だったら「ふざけるな」と無視する(笑)。しかし旦那はニコニコしながら迎えに来た。まんざら嫌ではなかったのかも知れない。だが最近、旦那の浮気が発覚し、離婚の危機に直面している。「あんなに仲良かったのに」と、私には信じられない。現在、裁判で係争中だ。

 何十年もの夫婦生活を送っても、壊れる時は簡単に壊れるのだなあと、いささか複雑な気持ちになっている。

 いつ壊れてもおかしくないはずの、たぬきさんや阿羅漢さんが壊れないのは不思議だ。となると逆に、絶対壊れっこない、ゆるぎないはずのあたごさんご夫婦がもしかすると危ないのかも・・・おいおい!

posted by Boo! at 22:15| 東京 ☀| Comment(10) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月21日

当たるも…当たらぬも?

 年賀はがきの当選番号が発表された。皆さんの結果はどうだったでしょうか?

 長年に亘って当選結果に一喜一憂してきた。100枚で3等が2枚当たる確率だ。しかし、なかなか当たらない。我家では妻の分と合わせて毎年300枚以上届く。しかし3,4枚当たるのがやっとだ。今年は少し増えて、6枚だった。1枚しか当たらない年もあった。

 最下位である3等でこんな程度だから、2等以上となったら当たるのが不思議なくらいだ。それでも一度だけ2等に当たった年があった。景品が何だったか忘れたけど、狂喜した(笑)。

 何等であれ、「当たる」というのは嬉しいものだ。幸運を独り占めした感がある。

 以前、宝クジを毎年のように買った時期があった。有り余るほどの金を持っている私だから、一攫千金を狙う必要などない。単に運試しだった…はずだ。しかし、3,000円が一度当たったのが最高で、「こんなものに金を使うのはバカげてる」と悟り、以来パタッとやめた。

 「宝クジ」と言えば義母を思い出す。30年以上も前のことだ。義母が友人と巣鴨のとげぬき地蔵に行った。お年寄りに人気のあるスポットだ。お地蔵さんをタワシで水洗いすると病が治るという御利益があるそうだ。しかし沢山の方がゴシゴシ洗うので磨り減ってしまい、新しく作り直したとか。新しい地蔵ができるまで、地元に住むたぬきさんが地蔵代りに立った。つまり、バンド用語で言うと、トラだ。

 でも、御利益ゼロどころか、却って病が重くなる人が続出し、無残にも捨て置かれた。現在のたぬきさんを彷彿させる出来事だった。

 さて義母たちが商店街を歩いていると、ある場所で列を作っていた。宝クジ売り場だった。それまで買ったこともなかったのに、なんとなく勢いで買ったらしい。しかし、たったの2枚だ(笑)。

 後日興奮した電話がきた。「当たった、当たった!」と喚いていた。宝クジを買ったことなど知らないから、「何が?」と問うた。「宝クジだよ」と叫ぶ。「あ、そう」と余り関心なく反応した。3,000円しか当たったことがない私だ。せいぜい同程度か、良くて10,000円だろうと舐めた。

 「違うよ。もっとだよ」と言う。どうもあり得ないことが起こりつつあった。そして、「百万円当たった」の言葉に、「ヒョエー!」と、今度は私が興奮した。たった2枚で百万円とは…。

 即、私の皮算用が働いた。「百万円の分け前をどうするかだな」と、私が当たった訳でもないのに配分を考えた(笑)。「義母が一番権利があるから、6割の60万円を渡す。残りの40万円は、妻と義妹、それに私と義弟の4人で10万円づつ分ければ、バッチリだ」と、我ながらの高い計算力に感銘した。

 だがいつまで待っても、義母から連絡が来ない。「野郎、逃げやがったな」

 その年は、義父の13回忌法要の予定があった。打合せに行くと、「いつも済まないねえ」と言いながら、白い封筒を差し出した。「この間の宝クジのおすそ分け」と言う。「とうとう10万円だ」とニヤニヤしながら、封筒をさすった。だが、なんか薄い。10万円ならもっと厚いはずだ。

「お父さんの法要でなにかとお金が出て行くから、少しだけど」「イヤイヤ申し訳ないです」と、一応感謝の気持ちを現した。

 後で封筒を開けると、1万円札一枚だった(悲)。妻も当てが外れたのか、「チェ!」と不満顔だった。

「ま、良いんじゃないの」と、むしろ大金に浮かれないしっかりした義母に感心した。でも、せめて3万円は欲しかったなあ(笑)。
posted by Boo! at 22:12| 東京 ☀| Comment(4) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

お正月あれこれ…。

 正月気分もすっかり抜け、皆さんも平常生活に戻ったことでしょう。

 もしかすると初めてかもしれないが、三が日全て寺・神社にお参りした。元旦は、自宅近くの神社二つをハシゴ。二日は、市内で一番大きいと言われる神社に参拝した。現在の地に住んでからもう35年になろうとしているのに、初めて訪れた。地元では有名だし、車で近くを通ることはよくある。しかし、境内に入ることはなかった。

 さすがに多くの参拝客でごった返していた。だが私にはピンとこなかった。何というのか、「佇まい」が良くないのだ。ただ大きいでは駄目で、「品」のようなものがないと有り難みが薄れる。お賽銭を入れただけで、早々に引きあげた。自宅近くの小さな神社のほうが余程良い。

 「品がないと言えば、阿羅漢さんとたぬきさんを思い出すなあ」と、変な所でお二人の顔がちらついた。

 三日は少し足を延ばして、川越まで行った。有名な喜多院にお参りした。初詣としては4,5年前に訪れた以来で、相変わらず大変な人出だ。その足で、蔵が並ぶ通りを目指す。川越は「蔵造りの町」として有名だ。私も好きな一画で、江戸時代の風情を残している。

 県外から、或いは海外からも訪れているのだろう、人、人のラッシュだ。お互いすれ違うにもやっとの有り様だった。

 蔵を眺めながら、「菓子屋横丁」に向かう。ここも有名だ。一昨年だったか、火事で数店舗が焼失し、死者も出た。「どうなったか…」と気になっていた。しかし再建した店が多く、 何事もなかったかのように、賑わっていた。それでも建築中の建物もあった。なにはともあれ、「菓子屋横丁」として存続できたのは良かった。

 この横丁で何か買うのかと思ったら、妻には目的の店があったらしく、見学しただけだ。そして、その店に向かう。知る人ぞ知る、豆菓子専門の店だ。人気店らしく、外にまで客が溢れていた。入り口で店員から楊枝一本渡され、「中の試食品どれでもとうぞ」と言う。沢山の種類が置いてあり、どれも美味しい。全部口に入れようかと思った(笑)。

 妻は「お土産にする」と、豆の入った容器を幾つも大きな紙袋に入れて、二袋も買い込んだ。

 結構歩き回り、疲れもした。駅ビルにあるコーヒー店で一服した。

 三日続けたとは言え、私に神社巡りの趣味はない。ただ、正月はどうしても「食っちゃ寝」状態になりがちで、体に良いことは一つもない。だからこうして外出して歩かないと体がなまる。

 4日から仕事という方が多いかもしれません。しかし私は思い切って8日まで休んだ。7日は古い友人と新年会。都心まで出た。

 休み最後の8日は、何年ぶりかで映画鑑賞した。「マイルス・アヘッド」だ。ジャズファンであれば、マイルス・デイビスを思い浮かべるはずです。

 「マイルスの空白の5年間を描いたもの」というので、伝記、ドキュメンタリー性を期待していた。しかし多少の事実には基づいてはいるのだろうが、かなり娯楽映画にシフトした脚色だった。

 純粋にマイルスの音楽に期待すると肩透かしを食う。娯楽と割り切れば、楽しめるでしょう。
 
 以上、私のお正月報告です(笑)。

 皆さんは如何でしたか?
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2017年01月01日

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。暖かいお正月ですね。年が新しくなると、人間は一つ古くなります(悲)。

 いつの頃からか、新年を迎える楽しみが消えました。おそらく、お年玉を貰える頃までが楽しみだったのでしよう。親から初めてお年玉を貰ったのは何歳のときだったのだろう。多分、幼稚園児の頃ではなかったか・・・。金額は覚えていないけど、ま、100円程度だったでしょう。

 当時は、5円、10円単位で駄菓子や凧、独楽、メンコ、ビー玉などが買えたから、100円でも 嬉しかった。我が家だけでなく、日本中がまだ貧しかった時代だ。子供にお年玉を与えるような余裕はなかったと思う。

 家族で親類の家に年賀に行くと、伯父や伯母がお年玉をくれた。やはり100円程度だった。行けば必ず用意してくれたから、絶対に行ったものだ(笑)。こうして何人かから貰っても、少額だからなかなかたまらない。500円も集まったら金持ちになったような気がした。

 家計の助けにと、母が下宿屋を始めた。都内の私立大学に入学したばかりの学生を二人預かった。同じ大学だったが、出身地は違った。初めての正月休みで学生は帰省し、正月が明けると戻ってきたが、内一人の母親が新年の挨拶のために一緒についてきた。昔の親はこういう律儀さがあったのだ。手土産を沢山持参しただけでなく、なんと私にお年玉をくれたのでびっくりした。両親、親類以外、つまり他人からお年玉をもらったのはこの時が初めてだった。

 あとで袋を開けると、真新しい千円札が入っていた。これには、驚いたのなんの。当時の千円と言ったら大変だ。おそらく大卒初任給が一万円以下だったはずだから、破格の千円だ、しかもまだ小学4年生だ。

 以降、毎年その母親は挨拶に訪れ、欠かさず千円のお年玉をくれた。この大学生が卒業すると同時に、お年玉も切れてしまったが、しかし、その後も家族ぐるみのお付き合いが続いた。大学生の実家は静岡県伊東市で旅館を経営していたこともあって、私が高校生までほぼ毎年のように、夏休みには1週間以上も遊びに行った。大学生には美人妹が二人いたことも行きたい理由だった(笑)。やがて大学生が結婚するときは両親が仲人を務めた。両親亡き後も、私との付き合いが現在でも継続しているから、珍しいケースかもしれない。

 いくつになってもお年玉は貰いたいものだ。しかし、大学を卒業するころには貰えなくなるのが普通でしょうね。そして、今度はお年玉を渡す立場に変わる。こうなると、お正月の楽しみがなくなる(笑)。結婚してからは、女房が私からのお年玉を狙っている。そうじゃなくても、年末から正月にかけてむしり取られることが多いのに・・・。何しろ、12月は結婚記念祝いとクリスマスがあり、年が明けるとお年玉、すぐに彼女の誕生祝いと、もう目白押しなのです。もうすこしバラけろよ、と言いたい。

 とまあ、正月早々ぼやいております(笑)。

 今日はこれから近くの神社に初詣に行きます。小さな神社ですが、最近は多くの参拝者が訪れるようになり、2列で200mくらい並ぶこともあります。お賽銭を入れ、あとは交通安全のお札を買います。そのままプラプラと駅周辺まで歩き、二番目の神社にお参り、そしてどこかお店に入り、コーヒーと軽食をとるのが毎年のお決まりコースです。これだけで5km以上歩きますから、良い運動にもなります。

 「今年の抱負」なんてものはありません。ただただ、健康で家族円満でありさえすれば十分です。たぬきさんや阿羅漢さん一家のように、離散家族にならないことだけ祈っています(笑)。

 また、「今年こそ、スチールギター練習を頑張る」と誓いを立てても、どうせ守らないに決まってますから、立てません(笑)。

 「守らない誓い」「守らない約束」「守らない法規」「守らない公約」・・・ほど無意味なものはありません。これはどこかの政治家に言えるような・・・?


 しかし少なくとも、当ブログは続けたいと思っています。無理せず、のんびりと書いて行きたいです。ただし、皆様は無理してでもコメントを書くことが義務付けられておりますので、よろしく(笑)。

 正月早々からこんな記事です(アルコールも少々入っている)。懲りずにお付き合いくださいますように。
posted by Boo! at 12:34| 東京 ☁| Comment(22) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月26日

良いお年を!

 いよいよ今年もあと僅かとなり、1週間を切りました。あっという間の1年でしたが、まあまあ元気に過ごせたことは幸いでした。

 それにしてもこの年の瀬に起きた新潟県糸魚川市の大火には驚きました。まさかあのように広範囲にまで延焼するとは地元の方たちも想像しなかったでしょう。台風並みの強風が被害を大きくしたのでしょうが、風下か風上で運命が分かれたようです。出火元から一軒置いただけの至近距離のお宅は全く焼けなかったのに、100m,200mも離れた家屋は、飛んできた火の粉で全焼したのですから、あきらめがつかないでしょう。どんなに気を付けても、うっかりということがあるかもしれません。用心するに越したことはありません。今一度火の使いかたには注意しましょう。

 今年はどんな年だったでしょう?

 自分の年齢を考えれば当然なのですが、一回り上の世代、或いは、数歳年上の従兄や友人・知人達に異変が起き始めています。体調を崩したり、入院・手術に至るケースです。いずれもこれまでは至って元気だったので、「来る時は来るのだなあ」と、痛感させられます。

 病気の場合は、ちゃんと治療すれば快復できる可能性大ですが、問題は、アルツハイマー病や認知症です。誰しもが最も避けたい症状ですが、いざそうなってしまったら、恐らく本人には自覚がありませんから厄介です。

 今年は従兄と古い友人が発症しました。他人事ではありません。従兄は連れ合いを激しく責める、口による暴力です。一方的な思い込みによるものなので、家族中が当惑し、とりわけ連れ合いのショックは大きいものでした。どちらかと言えば、静かで温厚な人でしたから、まるで別人のようです。このまま放置すれば更にエスカレートすることは間違いないので、医師の判断で半ば強制的に隔離しました。現在は専門の施設に入っています。

 先日面会に行きましたが、すっかり表情が無くなりました。これは薬の影響もあるかも知れません。こちらから話しかけても上の空。自分から口を開いても、同じことを5分に10回くらい繰り返します。昔のことを思い出してもらおうと古いアルバムを持参したのですが、見せるのはやめました。逆効果を懸念したのです。

 私の子供時代からまるで兄弟の如く可愛がってくれましたから、これからどのように接するべきか、悩むところです。

 友人は典型的な認知症です。直近のことが記憶されないので、同じ言動を繰り返すそうです。当たり前の行動が難しくなり、下手に外出すると「迷い老人」になる心配があります。こちらも奥さんが大変でしょう。

 一方で、たぬきさんや阿羅漢さんは先天的な痴呆老人なので、むしろこれからは正常な方向に進むかもしれない。ある意味羨ましい…どこが?

 さて、今年もよくお付き合い頂きました。投稿ペースが落ちてはいますが、来年も無理せず、マイペースで書き続けたいと思っております。コメントを下さる方はほぼ固定していますが、有難いことと感謝しています。他にはない(?)中味の濃いコメントは、私にとっては宝みたいなものです。いえ、全部じゃありません(笑)。

 また、お中元・お歳暮みたいに、一年に1,2回コメントを下さる方もおられます。思い当たる方はきっと赤面するでしょう(笑)。ま、いささか不満とは言え、やはり嬉しいものです。

 来年はどんな年になるのでしょう。月並みですが、やはり「平穏無事」であって欲しいですね。

 数々の無礼、失言、暴言があったかもしれませんが、引き続きお付き合いください。

 今年最後の記事になります。良いお年を。
posted by Boo! at 22:43| 東京 ☁| Comment(11) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月20日

悪夢の次は難題か?

 先日、外出しようと玄関を出たら、丁度通りかかったご近所の方と目が合ってしまい、お互い大きな声で「おはようございます」と挨拶した。

 このご主人、いつも奥さんを伴い、買い物や散歩をしている。時には二人手をつないで歩く姿もよく見かける。もう80歳を過ぎているが、実に仲が良い。たぬきさん夫婦とはえらい違いだ。たぬきさんが手を握ろうとすると、奥さんから「シッ、シッ」と追い払われる。

 これには理由があって、奥さんの一人歩きが難しくなっているからだ。おそらく股関節か膝の調子が良くないのだろう。そのため、ご主人が一生懸命支えているようだ。日によって調子が変わるようで、大体は杖をついて歩く。たまに調子が良いと、杖なしで歩いていることもある。それでもご主人が必ずついている。

 ご主人の偉いところは、できるだけ奥さんを外に連れ出そうと努めていることだ。歩きに支障があればどうしても家から出なくなりがちだ。そうすると、精神的に良くないし、下手すると認知症にもなりやすいかもしれない。また、筋肉が衰え、益々歩けなくなる。そうならないように、ご主人が懸命に支えている。奥さんもご主人に引っ張られれば頑張って歩こうとするだろう。

 ご主人はおしゃべり好きだ。しかし奥さんは口数が少なく、いつも我々の会話を聞きながらニコニコしている。会話と言っても、他愛のない話が多い。ところがこの日は違った。

 急にあらたまり、「所で、3,4分お時間がありますか?」と訊いてきた。「大丈夫ですよ。何か?」と問うと、「自治会の役員改選が来春にあります。役員は大体決まったのですが、会長がまだ決まりません。誰か適任者いませんかと頼まれ、私はすぐに**さん(私だ)を推挙しました。ほかの方たちも、それがいいと賛同してくれました」

 「ちょ、ちょ、ちょ・・・待ってください」と、もう思いっきり焦った。こちらの意思も確認せず、「それがいいとは何事だ」と、一方的な進め方に戸惑った。

 更に「いや、何とかお願いします」と懇願してくる。役員は何度か経験しており、それなりにやり方はわかっているので、それほどの負担はない。しかし、会長の忙しさは役員とは違って大変だとわかっていた。約250名で組織された自治会だ。そのため連絡事項が多く、平日、休日関係なく、頻繁に会合に出ていき、その内容を役員に知らせる。リポート作りだけでも大変だ。役員は仕事を持っていてもなんとかこなせるけど、会長は無理だ。そのため、定年退職した方が代々選ばれることが多かった。

 私はまだ仕事を続けている。到底無理なので、「仕事と一緒では難しいでしょう」とやんわり断ると、「はい、**さんが仕事をされているのは承知しています。ですから、できるだけ支障が出ないよう全員が協力するので、就いて欲しいというのがみんなの気持ちです」「そういわれてもなあ・・・」

 実に困った。そういえば、前回役員をしたとき、最後の会合で、当時の会長から「2,3年後は、**さんに会長が回るかもしれませんよ」と言われたことを思い出した。その時は冗談だと思い、受け流していた。まさか本当に回ってくるとは・・・。

 「とにかくまだ無理な状況です。リタイヤでもしたら検討するかもしれませんが、今回は何とかほかの方にお願いしてください」と必死に頼んだ。「**さんのお気持ちはみんなに伝えますが、もしそれでもお願いすることになったら考えてください」と言いながら、帰っていった。

 頭が痛いな。早く新しい会長を見つけてくれと祈るばかりだ。

 「チョウ」とつく役はいろいろある。会長もそうだけど、部長、班長、隊長、課長、級長・・・etc.
どれも私はなりたくないものだ。下手に責任を被せられることが嫌なのだ。逃げられないで、仕方なく引き受けたものもあったけど。

 しかし、一つだけ得意とする「チョウ」があった。それは「C調」「シー調」ね?

 難題を抱えているのに、バカなことを言ってる場合ではなかった。このような役目はMATTさんが得意だろうな。代わって欲しいものだ。
 
posted by Boo! at 23:43| 東京 ☀| Comment(4) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月16日

悪夢は忘れたころに・・・?

 先月の雪には驚いた。まさか11月に降るとは思わなかったので、雪情報が出ていたにもかかわらず、冬用タイヤに替えなかった。

 幸い、ノーマルタイヤでも無事に運転できたけど、「これは早目に替えたほうがいいな」と思い立ち、近くのタイヤショップに寄った。どこでも良いのだけど、ここで購入したからだ。

 所が、応対した店員が申し訳なさそうに「年内は予約で埋まっていて、早くても来年1月中旬以降になります」と言うではないか。驚いた。考えることは誰しも同じで、11月の早い雪で慌てて申し込んだ者が一気に増えたようだ。

 恐らく他の店でも同じ状況だろうと諦め、帰途についた。途中ランニングのため公園に寄ることにした。駐車場近くまで来ると、なんとなくハンドルが重く感じる。ともかく駐車場に入り、車から降り、車体を眺めると、明らかに傾いている。「まさか…」と思いながらタイヤに目をやると、左側後輪がペシャンコになっていた(悲)。「さっきの店でパンクしてれば、修理してくれたのに」と恨めしかった。

 「こうなったら仕方ない。昔取った杵柄だ。タイヤの一つや二つ、なんとかなる」と自信に満ち溢れながら(?)工具を出し、スペアタイヤを用意した。

 まずナットを緩めようと、レンチを差し込み、回そうとした。非力な私だが、こういう時はバカ力を発揮する。渾身の力を込め、レンチに力を入れた。が、ビクともしない。両手でにぎり、全身に力を込める。もう「痔」になりそうだ。腹立ちまぎれに足をかけ、体重を乗せるように上から力を入れた。しかし、全く歯が立たない(涙)。

 「それにしても、なんでこんなに固く締めるんだ」と、取り付けた業者に憎しみを覚えた。大の男が交換できないほどナットを締められたら、パンクが怖くて遠出などできなくなる。マニュアルにも「締め付け過ぎないように」と、注意書きがあるほどだ。「もうあの店には頼まん」と思った。

 「さてどうしたものか…」と途方に暮れたが、JAF会員であることを思い出した。何十年も年会費を払い続けてきたが、数えるほどしか利用したことがない。バッテリー上がりが2回、エンジン故障1回あった程度だ。

 「こういう時のJAFだ」と携帯を取り、連絡した。長時間待たされるかと覚悟したが、40分ほどで駆け付けてくれた。

 プロ御用達の電動工具であっさりとナットを緩めた。そして手際よく交換した。「ちょっとキツかったようですね」と同情してくれた。会員だからとは言え、無料で済んだことは有難い。

 3日後、12ヶ月点検でディーラーに持ち込んだ。冬用タイヤ交換も一緒にやってくれるというのでちょっと早目に出したのだ。こんなことなら、最初からディーラーに頼めば良かった。

 しかし、パンクも久しぶりだったなあ。後でタイヤの溝を確認したら、釘ではなく、長ネジがしっかりと突き刺さっていた。来春ノーマルに戻すときは新品タイヤにすることにしたので、パンク修理は依頼しなかった。
posted by Boo! at 21:47| 東京 ☀| Comment(4) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月10日

結婚、されど結婚!

 本日は我々夫婦の結婚記念日です。もう計算できないほどの年数が経ちました(悲)。しかし、女房というのはよく憶えているもので、「何回目だっけ?」と言おうものなら、「45回でしょう」とすぐ返ってくる。

 ま、よく続いたものだと感心する。全ては私一人の努力だ。艱難辛苦に堪えてきたからこそ、今がある。だから彼女には「感謝せよ」「おかずを1品増やせ」と言いたい所だ。しかし向こうも同じように思っているに違いない(笑)。

 結婚前の付き合いが約5年だから、結婚期間の45年を加えると50年、なんと半世紀も付き合ってきたことになる。元々は赤の他人だったのに、こうして長い年月を共に過ごしてきたことは不思議としか言いようがない。相性が良かったのか・・・?

 男同士でもそうだけど、相性の良し悪しは第一印象で決まることもあるし、何回か付き合っているうちに相手の良さが理解でき,付き合いが深まることもある。それも相性が良かったと言えるでしょう。これは理屈ではない。

 かつて、親の選んだ相手と結婚することが当たり前の時代があった。ひどい場合は有無も言わせず、強引に結婚させたケースもあったらしいから今じゃ考えられない。大体泣くのは女性だったでしょう。阿羅漢さんの奥さんなんて、最初「熊と結婚させられた」と日夜泣いたそうだ。

 それにしても、当人の知らぬうちに親と仲人だけの話し合いで決め、結婚式で初めて相手の顔を見るなんて、洒落にもならない。強い今の女性だったら、「ふざけんな!」とばかり、新郎を蹴飛ばして逃げ出すに違いない。

 でも、そのような結婚でも平和な家庭を築き、最後まで添い遂げる夫婦も存在したのだから、たまたま相性が良かったのかもしれない。逆に、熱愛の末に結婚しても、さっさと別れるカップルも多い。結婚というのは恋愛とは違うようだ。一時の勢いだけで結婚してもうまくいかないということだろうか?

 かつて、大学の後輩女子に驚いたことがある。「結婚します」と我々夫婦に招待状が届いた。喜んで出席の返事を出した。別の後輩からは「盛大な結婚披露宴になるようです」と聞いており、「派手好きな**ちゃんらしいや」と楽しみにした。

 所が、式の1週間前に「結婚やめました」と連絡がきた。驚いた我々は「えー!あと1週間だよ」「一体、どうしたの?」と問うた。「前から少し気になっていたのだけど、それがどんどん大きくなってきて、我慢できなくなった」「結婚すればなんとかなるかもと思ったけど、長い先のことを考えると・・・」と半分泣きながら事情を話した。

 聞けば、200名近くの方々に招待状を送ったそうだから、その事後処理には相当なエネルギーとお金を費やしただろうと思う。我々だって、あまりにもドタバタしたキャンセルで、くそ迷惑なやつだと呆れたくらいだ。

 それにしてもよく思い切ったことをしたもんだ。相手の心中を思うと同情したくなるが、しかし、一人だけが悪いということはない。二人でちゃんとした話し合いができなかったのだから、どっちもどっちだ。一番驚き、ショックを受けたのは双方の両親、仲人だろうし、相手である彼の会社での立場も微妙になったに違いない。

 だが考えてみると、結婚して離婚するよりも、結婚前に別れたほうがはるかに良い。周囲には迷惑をかけることになるけど、それはその時だけのことだ。一度しかない人生、多少の犠牲を払っても、自分で納得できる結論を出したほうがよい。

 その2年後、彼女は新しい相手を見つけ、無事結婚した。離婚ではなかったから、初婚になる(笑)。考え方も堅実に変わったか、60名程度の出席者に抑え、こじんまりと、ほのぼのとした好い披露宴になった。現在でも仲良くしているから、あの時の決断は彼女にとっては正解だったようだ。

 さて、5年後の我々は50周年を迎える。金婚式だ。一人だけ元気でもダメだから、なかなか大変な数字だと思う。両親は達成できなかったし、義父母も叶わなかった。その点、あたごウクレレさんご夫妻はすごい。仲の良いことはピカ一だ。金婚式はとっくに過ぎ、もうすぐダイヤモンド婚式を迎えるそうだ。つまり60年ということだ。すごいなあ。なに、まだそんなに経ってない?
posted by Boo! at 22:05| 東京 ☀| Comment(8) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月05日

おすすめ?

 昨日はヤボ用があり、都内まで出かけた。普段から都内まで出かけることは多いので、別に珍しくもない。ただ、都内と言っても都会のど真ん中、官公庁が集中する周辺だ。しかも昨日は日曜日、官公庁は一斉に休みとあって、普段とは様子が違う。いつになく新鮮な印象を受けた。

 地下鉄を降り、皇居のお堀端を歩き、お目当てのビルに向かう。警視庁、国会議事堂が目に入る。さらに外務省、財務省と続き、阿羅漢さんやたぬきさんにはお馴染みの地方裁判所が現れる。お二人は被告人という立場でよく出入りするのだ。門番も思わず敬礼するそうだ。悪い人間もそこまでビビらせれば大したものだ…どこが?

 本当に官公庁ばかりだ。ちょっと感激したのは、国会議事堂の姿だった。綺麗な街並みに映え、静かに美しく佇んでいた。存在感もある。この様に上品な建物の中で議論を繰り広げる国会議員たちは上品なのだろうか?議事堂に入る資格のない者が多いような気がする。

 紅葉はとっくに終わったはずだが、議事堂周辺の銀杏並木が美しい黄色に染まっていた。思わずデジカメならぬ、タブレットで撮った。

国会議事堂.jpg

 それにしても、この界隈の静けさはどうだろう。人通りはほとんどなく、10分歩いて2人しかすれ違わなかった。1人は外国人らしい男性のジョギング中だった。

 車の往来も平日に比べると極端に少ない。何だか日本ではないような錯覚さえ覚える。しかし、所々にパトカーや白バイが待機していて、目を光らせていた。場所が場所だから仕方ないが、これだけが無粋だ。

 突然サイレンが鳴り、1台の車を追跡した。これが2回あった。少しでも不審とみれば追いかけるようだ。阿羅漢さんだったら追いかけられっ放しだ。一緒でなくて良かった(笑)。

 やがて大きなビルに入った。30何階だから超高層ビルだ。会場に入ると、窓越に周辺ビル街の景色がパノラマで飛び込んできた。挨拶もそこそこに、窓まで寄り、見惚れた。東京は雑然としているようだけど、こうして上から眺めると捨てたものではない。機能的な美しさだ。先程見た議事堂が眼下にある。ここでもシャッターを押した。

議事堂周辺.jpg

 なまじ変な場所に行くよりも、たまに官公庁街を歩くのも悪くないなと思った。奥さんとご一緒も良し、浮気相手でも良し(いればですけどね)です。
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2016年12月01日

はや、12月!

 まさに「光陰矢のごとし」です。ついこの間新年を迎えたと思っていたのに・・・。

 一年を振り返ることは意味のあることなのでしょうが、私に限っては、無意味にダラダラとした一年を過ごしてきたので、敢えて避ける(笑)。

 最近気になることがある。それは高齢ドライバーによる事故報道のあり方だ。自分が高齢者の範疇に入るから余計に感じるのかもしれない。連日のように新聞やTVニュースで報道されるので、他人事ではない。

 しかしこれら報道は果たして公正なのだろうか?勿論事実に基づいて報道しているとは思うけど、こと更高齢者のみを取り上げている印象が強く、まるで高齢者ばかりが事故を起こすかのようだ。すると当然ながら世間は、「高齢ドライバーをなんとかしろ」となる。その論調は益々高くなっている。

 確かに、年を取れば体のあちこちが衰えるし、反射神経も鈍ることは否定しない。しかし、個人差というのがある。**歳になったからと言って、一斉におかしくなるなんてことはない。

 運転は、若いから事故を起こさない、年寄りは起こす、などと単純に論じることはできない。しかし報道は、「高齢ドライバー=危険」一色だ。私はこれを偏向報道と言いたい。具体的数字を示し、「なるほど」と思わせる報道をしてもらいたい。例えば、警察庁が公表している交通事故の統計がある。

 年度毎に、世代別の事故数をグラフ化している。それによれば、交通事故全体に占める割合の最も高い世代は20才前後の若者となっている。問題の高齢者世代はずっと下の位置だ(2011年度)。若者のほうが余程危険ということになる。だがこれをもって、「若者に運転させるな」の風潮にはならない。つい先日も、20代のドライバーが高速道路を逆走して事故を起こした。これがもし高齢者だったら「それ見たことか」と大きく報道したに違いない。不公平だ。逆走は高齢者の専売特許のようだが、そんなことはない。一瞬勘違いすることは誰にも起こりうる。むしろ、逆走を防止する手立てを考えたほうが良い。

 運転する者は、年齢に関係なく、誰もが危険と隣り合わせだ。それを自覚して運転するべきだ。高齢者ばかりに白い目を向けるのではなく、ドライバー全体の問題と捉えて欲しい。

 とは言うものの、私だっていつまでも運転しようとは考えてはいない。ちょっとでも自信が無くなったら、やめるつもりだ。今の所自信に溢れ、モタモタと前を走る車がいると「おらおら、邪魔だ」とばかりを煽りまくるし、信号が赤でも無視する。一般道路を平均100km、高速道路は150km以上で走ることを旨としている…オイオイ。
posted by Boo! at 21:54| 東京 ☀| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月24日

大雪

 いやいやいやいやいやいや、いや・・・・・・・・・・・しつっこい?まさかの大雪でした。

 「雪の予報」が出ていたとは言え、まだ11月です。普通は早くて12月下旬、下手すれば最近は1月過ぎにならないと降らない。予報はどうせ外れるか、降ってもパラパラ、大したことないだろうと舐めていた。

 ところが朝起きて、外を見たら小雪がちらついていた。積もるほどではなく、道路も濡れていた程度だった。まだ冬用タイヤに交換してなかったので心配したが、「この程度なら大丈夫だ」と安心した。

 所がその2時間後、出かけようと玄関を開けたら、本格的な降りになっていて、車の屋根、フロントガラスには数センチ程度の雪が積もっていた。道路はシャーベット状態だ。柄のついたブラシで車の雪を払った。「こんなに降るなら、昨日のうちにタイヤ交換するんだった」と後悔した。

 スリップして事故でも起こしたら最悪だから、慎重運転を心がけ、車を走らせた。しかしかなり湿った雪のせいか、道路はべちゃべちゃで、ノーマルタイヤには助かった。

 「暖冬だ」と騒ぎ、昔の冬の寒さを懐かしんだ(?)私としては、この大雪はまさかの出来事だ。11月の初雪としては54年ぶりというし、11月の積雪は観測史上初らしい。人間長く生きると、こういう珍しいことに遭遇する。そういえば、54年前というと、私が生まれた年だったような・・・?

 2年前の2月だったか、2週続けて大雪が降ったことがあった。記憶にもないほどよく積もったが、そのために雪による被害が多く出た。私の住む町周辺でも雪の重さで車庫の屋根がつぶれたお宅が多かった。我が家も屋根に設置している太陽光パネルに積もった雪が一気に滑り落ち、雨樋が一部破損した。パネル面はガラス状だから、滑りやすい。

 東北も大変だろうな。特に阿羅漢さんの家はすっかり雪で隠れてしまい、雪穴から出入りしているそうだ。クマでも出てきたかと、近隣の住民を驚かせているから迷惑な話だ。いっそのこと、そのまま冬眠すればいいのに・・・(笑)。
posted by Boo! at 22:39| 東京 ☀| Comment(7) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

いい加減にせんかい!

 今朝の地震には驚いた。まだ6時前だったが、起こされてしまった。ちょっと位の揺れでは起きぬ愚妻(最近、美人妻から格下げ)も飛び起きた。

 長い時間揺れた。そして思い出した。あの東日本大震災で経験した揺れとよく似ていたからだ。すぐにラジオをつけ、NHKの緊急速報に耳を傾けた。「震源地は福島県沖、震度5弱、マグニチュードは7.3」と、繰り返し流れてきた。そして「津波の恐れがあります。至急高台に避難してください。落ち着いて行動してください」と、何度もアナウンスしていた。アナウンサーの声に混じって、バックからは例の緊急警報音が鳴り響いていたが、あれは嫌な音だ。さらにアナウンサーの声が甲高く、余計に不安を駆り立てる。こういう時こそ、ゆっくりと落ち着いた声で呼びかけるべきだ。

 それにしても、M7.3とは大きい(その後7.4に訂正された)。今年起きた熊本地震より大きい。真っ先に津波を心配した。しかし、発生はしたものの大事に至らなくて良かった。5年前の大津波の記憶がまだ生々しい。恐らく現地の方々は、当時の恐怖が蘇り、すぐに避難行動を起こしたに違いないが、お気の毒だ。

 「地震国日本」に住む我々は、覚悟しているとは言え、「いい加減にせよ」と、自然を恨みたくなる。

 以前の記事で、「11月なのに、暖かい」などど書きましたが、「明後日はもしかしたら雪が降るかも」という予報が出てます。まだ楽観していて、冬用タイヤに交換してない。ま、必要になるような大雪にはならないでしょうが、このようなロクでもない予報は当たるかもしれないからなあ(笑)。
posted by Boo! at 22:01| 東京 ☀| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月20日

おつきあい

 そろそろお歳暮や年賀状の準備にかかる時期になってきました。

 最近はお中元やお歳暮を贈る習慣が薄れているそうだ。それも相当な落ち込みで、デパートなどはピーク時に比べると三割の売上とか…最近の新聞記事にあった。

 昔と違って、公務員は民間業者から受け取ってはいけないし、学校の先生は父兄から受け取らない、会社だって、かつては上司に贈るのが当たり前の時代があったけど、現在そんなことを認めるような会社は時代遅れだ。当然とも言える。贈る贈らないで、出世に響くなんてどうかしている。しかし人間は弱いものだから、少しでも上司の心証を良くしたい気持ちは分かる。全体から見れば、虚礼廃止の傾向に進んでいるのだろう。

 人間は弱い一方で、卑しい部分も持ちあわせている。立場が変わり、偉くなったと勘違いすると、相手に期待する人間がいるのも事実だ。「タカリ」の根性だ。だから汚職なんて無くならない。いくら偉くなろうが、卑しい根性のままだと尊敬はされない。どこかの知事もそうだったような…。

 本当に贈りたい相手に絞って贈るのが本来の在り方でしょう。少なくとも私はそのように心がけている。

 贈るのはなにもお中元やお歳暮でなくてもよい。美味しい季節ものを頂くと嬉しいものだ。今年亡くなった秋田の従兄は毎年欠かさず新米を送ってくれたし、信州からは二十世紀梨が届いた。だが、「今年は秋田からの新米はない」と諦めていたのに、思いがけず別の従兄から届いた。

 二十世紀梨も昨年が最後になった。従兄が難病にかかり、栽培を断念したからだ。最高に美味しかったので残念だけど、致し方ない。散々お世話になったので、こちらからのお歳暮は続けたい。

 今年はどういう訳か、ミカンをよく頂く。豊作なのだろうか?静岡や広島の知人からダンボール一箱分届いた。さらにご近所の方二人から、「我家のミカンです」と、沢山頂いた。「あり余ってます」とも言えないので、笑顔で受け取った(笑)。

 贈ったり贈られたりはそんなに悪い習慣ではない。人間関係の潤滑油的役目もある。義理だけのやり取りするから負担に感じるのだ。

 そう言えば、母がその義理だけの付き合いにがんじがらめだった。「なんでそんな人にまで?」と、私には理解できなかったものだ。普段ほとんど付き合いのない方にまで贈るからだ。当然ながら相手からお返しが届く。するとお返しがあったからと、来年また贈る。引き出しの中には送った伝票が束になっていた。

 「相手は有難迷惑と感じているかも知れないんだから、ほどほどにしないと」と嫌味を言っても無視してくれた(笑)。それが証拠に、母が施設に入り、贈ることができなくなると、パタッと相手からもこなくなった。「ご機嫌伺い」の連絡すらなかった。ゲンキンというのか・・・。変わらず届いたのは、本当に母のことを気遣った近い親類であり、親しい友人からだった。





posted by Boo! at 22:40| 東京 ☀| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月05日

秋のような、冬のような?

 東北の方は今が紅葉の見頃なのでしょうか?

 こちら関東圏、というか首都圏はまだのような気がする。ランニングする近くの公園の木々もちらほらと色づいているけど、余りパッとしない。くすんだ色で、鮮やかさがない。いつまでも暖かい陽気が続き、一気に気温が下がらないことが原因かと思う。

 11月というと昔は大変寒かった記憶がある。大学の文化祭は毎年11月初めだった。構内にあるちょっと小高い場所に臨時ステージを作り、音楽サークルの仲間が交代で演奏を繰り広げた。私のグループも勿論参加した。

 天気が良く穏やかな日であれぱ、実に気持ちよく演奏できたが、気温がグッと下がり、冷たい北風が吹くと震え上がり、演奏どころではなかった。とにかく手がかじかんでしまうので、下手な演奏が更にひどくなった(涙)。場所を変えて教室内で演奏するとホッとした。

 そういえば当時のこの文化祭模様が週刊朝日に取り上げられ、グラビア写真になった。1ページ大の写真で、しかも私のグループだったから、仲間と興奮した。まだ保管してあるけど、今見ると気恥ずかしい(笑)。

 最近は霜も余り降りなくなった。昨冬の初霜は確か今年1月ではなかったかな?かつては11月になれば、霜で車が白くなることは普通だった。やはり、温暖化の影響なのだろう。

 着るものにも迷う。「暑さ」と「寒さ」がはっきりしていれば良いけど、今のように、秋だか冬だかわからないような陽気は困る。出がけに天気も良く暖かいと、つい薄着で出てしまう。しかし帰る頃には気温が下がり、震えながら帰途につくこともあるし、逆に厚着で出たら、昼間は汗だくになったりするから、風邪を引きそうだ。車を運転すれば、一日の内にクーラーとヒーターを使い分けることも珍しくない。一日で夏と冬がやってくるようなものだ。

 こんな陽気では体調管理も大変ですから、皆さんも充分お気をつけ下さい。来週から本格的な寒さがやってくるそうです。

 明日日曜日は、知人のバンドでベースを頼まれた。泥縄だけど(いつものことで)、これからインスタント練習です(笑)。

posted by Boo! at 22:11| 東京 ☀| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

はや、11月!

 もう11月です。あと2ヶ月で来年になってしまいます。毎年同じことを書くようですが、月日の過ぎるこの速さは、「何とかならんか!」と思ってしまいます。

 気持ちの上では若い頃と余り変わらないようですが、しかし、確実に年を取り、体力も少しづつ落ち、記憶力の低下も自覚するこの頃です(悲)。変わらないのは依然として「美男子」であること、増え続ける財産でしょうか…バカを言ってるんじゃねえ?(笑)。

 友人の中にも、「あそこが痛い、ここが痛い」「ヒマだ、やることない」「俺がいると女房は外に出て行く」と、一人嘆く者がいる。「もっと前向きになれ」と言っても、「前を向いても後を振り返っても、俺は孤独だ」などと、こちらに同情を求める。知ったことか!

 ま、(精神的に)豊かな老後を送れるか、淋しい老後になるかは、我々世代にとっては一大テーマだ。しかしそれも本人次第でしょう。自分から行動しないことには、なにも変わらないものだ。

 遠く遡れば、子供時代から始まると思う。子供同士、遊びを通して他人との付き合い方を学ぶ。中、高、大学、そして社会人になり、付き合い方が変化しても基本的には同じでしょう。この一連の流れの中で上手く適応できないと、後々苦労することになるような気がする。こうして培った一種の人脈が老後に生きてくるのではと考える。仲間と集まってもゲーム機やスマホばかりに夢中になっている今の若者には危惧を覚えるけど・・・余計なお世話か(笑)。

 さて今月は、月初めから人と会う機会が多い。小学生時代の旧友から、「良い店を見つけたから飲もう」と誘われた。「他に誰か呼ぶの?」と聞くと、「我々だけ」と言う。子供時分はそれほど親しくしてなかったけど、クラス会を重ねている内に気心が通じ、時々飲むようになった。

 大学の学部で同クラスだった仲間との食事会もある。これは毎年で、すっかり私が万年幹事になってしまった。今回は12名の参加者だ。内、4名は女性だ。毎年会場を探すのも面倒になり、ここ3年は都内のホテル内レストランに決めている。

 高校もある。こちらは定例みたいなもので、隔月の第二金曜日と決めている。会場である店を固定しているので(亡くなった同級生の息子が引き継いだ)、事前の連絡は一切無しだ。「来たければ勝手に来い」というスタンス。だから参加者人数の波が大きい。毎回顔を出す者がいれば、1,2年に1回という奴もいる。これはこれで、自然体で良いと思う。

 更に高校創立70周年を記念する祝典に出席する予定だ。担任だった先生も顔を出すと聞いたので、無性に会いたくなった。当時の教師達のほとんどが亡くなり、担任の他に二人しかいない。恐らく担任に会えるのも、これが最後になるかもしれない。

 他には、義母の七回忌がある。身内だけで集まるから、7,8人か…。「もう七回忌か」と驚いてしまうが、来年は私の母が七回忌だ。そして次の年が父の二十三回忌なので、法要が3年続くことになる。

 残された者の務めとは言え、何やかや、追われる。
posted by Boo! at 22:27| 東京 ☀| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月23日

思いもよらぬ・・・。

 新米の季節になりました。米屋の前を通ると、「新米入荷」の旗が立っている。新潟産、秋田産、宮城産・・・と、各県ご自慢の新米だ。

 毎日、毎日、口に入れるお米だけど、新米だけはやはり格別の味がする。香り、ねばり、甘さ、ふっくら感などが全然違う。

 何回か書いたことがありますが、毎年必ず秋田の従兄から新米が送られてきた。もう20年以上続いただろうか。しかも妻の両親の田舎である新潟からも届いたので、米を買う必要がなかった。幸せというのか、贅沢というのか、ありがたい贈り物だった。

 しかし義母が6年前に亡くなると(義父は40年以上前に亡くなった)、それを境に新潟からは新米が届かなくなった。義母との付き合いの延長で送ってくれたようなものだから、「もういいだろう」と思ったのかもしれない。妻に、「お前が薄情な付き合い方するから、向こうもやめたに違いない」というと、「そんなことない。冠婚葬祭があれば、ちゃんとご祝儀や香典を送っている」と口をトンガらがして反論した。「いや、そういう付き合いではないのだ」と言っても、よくわかっていないようだ(悲)。

 秋田からの新米だけになってしまったが、30kgも送ってくれるので、小食の我々には1年持ってしまう。その代り長期間保存できるように、玄米で送ってもらった。食べるたびに精米するから、いつまでも美味しくいただける。

 今年5月、従兄が亡くなった。そのため、昨年送ってくれた新米が従兄からの最後のプレゼントになってしまった。今年も新米の季節が近づくにつれ、「今年は届かないのかあ」とがっかりし、改めて、従兄の長年にわたる気配りに感謝した。

 その最後のお米もいよいよ底をつき始め、何十年ぶりかでコメを買う必要が出てきた。なにしろ米屋と縁のない暮らしをしてきたので、どこで買うか困った。スーパーに行けば、各産地の新米が並べられている。「スーパーのコメはあまり美味しくないよ」と言う人もいて、さらに悩ませてくれる。「ちゃんとしたスーパーならそんなことはないはず」と思い、2kgか3kg程度で良いから、とりあえず少量購入してみようということになった。

 「明日(本日のこと)は休みだから、一緒に買いに行くか」と、夕食を食べながら妻に訊いた。「そうだね」と同意したその時、「ピンポン!」

 チャイムの音だ。妻が応答する。「ゆうパックです」の声が聞こえた。「ん?誰からだろう?」

 妻が玄関ドアを開けた。その途端、「キャー!」と叫んだ。「何事だ」と思わず腰を上げた。最近、宅配便を装った強盗被害が増えていると聞いたことがある。「ノヤロー!」と、1億円もする豪華な金庫から拳銃二丁を取り出し「パンパン・・・」て、何をいってるんだか。

 妻がドアを開いて押さえていると、中年のおっさんがよろよろと大きな袋を担ぎながら中に入り、三和土にドサッと置いた。妻が再び喚く。「新米よ、新米よ」。なんだか「ナンマイダ、ナンマイダ」と聞こえた(笑)。

 そう、置かれた袋はまさしくコメの入った見覚えのある紙袋だ。興奮する手で、受取証にハンコを押した。「亡くなった従兄からはあり得ないし、今更新潟のコメが復活するわけない」。だが、ほかに思い当たらない。

 袋に貼られた送り状の文字を確認した。「秋田県・・・」とある。「えー、そんな馬鹿な」と名前を確認すると、なんと、従兄はいとこ、別の従兄の名前Bだ。亡くなった従兄の隣に住んでいる。隣といっても田舎のことだから、100mほど離れているけど。

 「それにしても、なんでBが・・・」と解せない。勿論この従兄Bとも大変仲が良い。一つ学年が上だけど、子供の時から同級生のように親しかった。ほかにもたくさんの従兄弟や従姉妹がいるけど、盆暮れのやり取りは亡くなった従兄とだけで、他とはあっさりとした付き合いに留めてきた。

 いままで一度も何かを送ったり送られたりがなかったから、お礼の電話のついでに訊いてみた。「いや、**さん(亡くなった従兄の名)から、毎年そちらに新米を送っていることを聞いていた。で、体が弱くなってきたとき、自分が亡くなった後はお前が送れと言われていたんだ」という。「最後の最後まで、そこまで考えていたのか・・・」と、話を聞きながら、涙が潤んできた。

 「そうか、だから玄米で送ってくれたんだ」と納得した。従兄から「玄米で送れ」と言われたのだろう。

 今年の秋田新米はなかったはずだった。それがこんな形で、また送られてきた。「**さんのお米も美味しかっただろうけど、今度は俺っちのコメを食べみてくれ」

 「ありがたく頂戴します」と何度もお礼をいい、電話を切った。
posted by Boo! at 22:53| 東京 ☀| Comment(5) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月22日

地震

 鳥取で大きな地震がありましたね。幸い、死者は出てないようですが、これから詳しい被害状況が判明するのでしょう。少し前には大被害が出た熊本地震があったし、日本は本当に地震国だと再認識させられる。

 まだ記憶にも生々しいあの東北大震災が5年前。首都圏でも激しく揺れた。確か震度5弱とか5強だった。余りの揺れに、「関東大震災の再来か」と思ったものだ。今回の鳥取は震度6弱というから、我々が味わった以上の恐怖だったろうことは、容易に想像がつく。

 「普段から地震に備えよ」と良く言われる。しかし地震は、いつ、どこで起きるか分からないから、「備えようがないではないか」と反論もしたくなる。

 自宅の耐震性を高めたり、家具が倒れないように、あるいは棚から物が落ちないように対策しても、「これで万全だ、安心だ」とは言い切れない。

 例えば私の場合、一日の半分以上は外出している。車の運転だったり、電車、地下鉄、バスの利用、街中での歩き移動と、言ってみれば常に地震の危険と隣り合わせの状況にいることが多い。外出中に大地震に遭遇したら逃げようがないし、大混乱に巻き込まれること、必至だ。それは東北大震災での首都圏パニックが証明した。

 地下鉄に乗っていると、時々「もし走行中に大地震が起き、上から土砂が崩れ落ちたら完全アウトだろう」と不安になることもある。地下鉄でなくても、地下街を歩くと同じような不安心理になる。ビル街を歩けば、上からガラスや壁が落ちてくるかもしれないし、つまりは「日本は地震国」といいながら、安全に対する意識がまだまだ官民欠けているように思う。

 個人個人の家屋の耐震強化は勿論大切なことだけど、それ以上に街中の危険因子を減らして欲しいものだ。デザインばかり重視して安全が疎かになってないか、インフラは大丈夫か、足元から見直す必要があるのでは?

 因みに、我が自宅は耐震性に優れ、デザインも超1級、住む人間はハイソ、と近所では評判だ。大地震で周囲が全滅しても我が家だけはビクともしない、と噂されている。いやうわさです、噂。

posted by Boo! at 21:01| 東京 ☀| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする