2011年12月15日

出てきた!

 ひと月ほど前に、古いネガをデジタル化するために最新のスキャナーを購入したことを書いた。

 12コマを連続してスキャンできるので、作業が大変はかどる。勿論、ポジフィルムも問題ないし、6*6判フィルムもスキャンできるから、大抵のフィルムに対応できる。

 以前にもフィルム専用スキャナーを持っていたのだけど、1コマづつのスキャンではかったるかったし、とにかく時間がかかってしょうがなかった。機器そのものが故障してしまったのを機に、以降デジタル化をあきらめていた。

 もう一度挑戦したくて、新しいスキャナーを購入したが、これは大正解だった。フィルム専用ではないので画質を心配したが、私の撮影レベルでは全く問題ない。

 引出しの中にギュウギュウにつめこんである大量のフィルムを、毎日とはいかないが、スキャンしてデジタル化している。できるだけ古そうなフィルムを優先して選んでいる。やはり、小学生時代のものが懐かしく面白い。実家周辺の景色もあり、当時の杉並区の様子がよくわかる。都内でありながら、まだ水田が広がっていた。

 そんな中で、船でハワイに寄った時の写真がでてきたので、先日、ブログにも掲載した。てっきり、カラーで撮ったと思い込んでいたので、モノクロは意外だった。

 でも実は、「確か、カラーで撮った写真を昔見たような記憶があるのだけどなあ・・・」と、釈然としなかった。もしかしてカラーなのに、モノクロでスキャンしたのかもと思い、フィルムを確認したが、やはりモノクロに間違いなかった。

 母が亡くなってごたごたしていた為、スキャンはごぶさたしていたが、昨日久しぶりにフイルムをセットした。

 引出しの中から適当にフィルムを抜きだし、スキャンを始めた。モノクロではなく、カラーだった。すると、船に乗った当時の写真だった。出航の様子から始まって、ハワイに到着した時の画像などが次々に現れた。

 やはり、カラーで撮ったものもあったのだ。記憶が完全に甦った。「そうだった。親父のカメラと自分のと2台で、カラーとモノクロを撮り分けていたっけ」

 当時のカラーフィルムは高価なものだったから、ほとんどをモノクロで撮り、大事にしたいとおもわれるものをカラーで撮ったのだ。

 やはり、カラーはいい。生々しい。

 前回掲載した写真では、プア・アルメイダの出演していた「モアナ・ホテル」をお見せした。残念ながら、プアの写真はモノクロにはなく、「多分撮らなかったのだろう」とあきらめていた。ところが、出てきたのだ。と云っても、3枚しかなかった。

 一枚は案内板に載っているプアの写真、それにライブ模様を撮ったもの。しかし、会場が暗くて画像が不鮮明だった。フラッシュでもたけばよかったのだろうが、きっと遠慮したのだろう、残念。何とか、プアの姿を拡大してみた。ボケてはいるが、まぎれもなく、プア様だ。


 このほかにも、「コダック・フラショー」のカラー判もあるはずだ。そのうち出てくるだろう。

 40年以上も前の写真ですが、今回も掲載します。

出航見送り.JPG
出航風景。見送り人とのテープが凄い。持ちきれないほどのテープを受け取り、重かった。


ハワイ入港歓迎.jpg
ハワイに到着した時に歓迎してくれたおばさんトリオ。


プアアルメイダ_1.JPG
モアナ・ホテルの入り口にあったプア・ライブの案内板。


プアアルメイダ_2.JPG
プアの演奏様子。ギターを弾きながら唄っていたと思っていたが、写真ではベースを弾いている。小さい画像を拡大したので、かなりボケています。
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2011年11月12日

出土品?(2)

ダイアモンド・ヘッド.jpg
(画像の上でクリックすると大きくなりますが、次の画像の上でもう一度クリックすると更に大きくなります)



 引き続き、古きハワイの写真をお見せします。一枚だけでは淋しいので(笑)。

 冒頭の写真はお分かりのように、ホノルル市街からダイアモンド・ヘッドを望んだものです。撮影場所は確か、「パンチボウル」の展望台からだったと記憶しています。記念墓地のある処でした。現在と比べると、やはり全体的に低い建物が多いようです。これも、5枚ほどの写真を連結して一枚のパノラマに加工しました。

 次は、当時観光客に人気のあった「コダック・フラ・ショー」です。

ハワイ_コダック・フラショー1.jpg

ハワイ_コダック・フラショー2.jpg
(凄い体格のおばさん!)

ハワイ_コダック・フラショー3.jpg
(女性たちによる伴奏)

ハワイ_コダック・フラショー4.jpg
(スタンドの後ろから、観客のお尻を狙ったものです(笑))

 入場料無料ということもあって、大盛況でした。この時もスチールギターの入らぬ伴奏でした。

 
 「憧れのハワイ航路」の記事で、プア・アルメイダのライブを聴いたことを書きました。フラ・ショーが盛況だったにもかかわらず、こちらは実に淋しい入りでした。私の他に、アメリカ本土からやってきたと思われる爺さん、婆さんの一団のみ。しかし、彼らは音楽には関心がなかったようで、おしゃべりに夢中でした。あの有名なプアが演奏しているというのに・・・。頭にきた私は、「お前ら、畏れ多くもプア様が演奏されているのだぞ!おとなしく聴け!」と叫びたかったが、日本語以上に不自由な英語では黙っているしかなかった(悲)。

 その代り、ステージの真ん前に座り、まるで私一人が独り占めしたかのような贅沢な時間を持てた。サインまで頂戴したけど、あのお宝はどこに行ったのか・・・(悲)。

 ライブの行われたホテル名が分からず、記事の中には書けなかった。何となくは推定していたのだけど、自信がなかった。その後、「モアナ・ホテル」であることが判明した。現在は「モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパ」と名前を変えて営業しているらしい。こんなに長くては憶えられないなあ。当時から、ハワイで最も有名な名門ホテルだったし、あの「ハワイ・コールズ・ショー」を世界に向けて中継放送した場所でもある。

 そのホテルの写真も写っていた。間違いなく、「モアナ・ホテル」だった。

ハワイ_モアナホテル.jpg

 他にもハワイの写真はありましたが、写りが良くないし、お見せできるほどではありませんので、このくらいで終わりにします。
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2011年11月09日

出土品?

ハワイ.JPG
(画像の上でクリックすると大きくなりますが、次の画像の上でもう一度クリックすると更に大きくなります)


 私が初めて外国の土を踏んだのは、今から40年以上も前のことだった。現在だったら贅沢な旅と思うけど、外国航路の客船に乗り、約2か月間に亘って、東南アジア、ハワイ、アメリカ西海岸へと航海した。

 今と違って、当時は外国に行けるチャンスはほとんどなかったと言っていい。外国に行くことは、夢のまた夢だったのだ。新婚旅行でさえ、ほとんど国内旅行だったし、九州宮崎あたりまでの旅行だったら、「豪勢だ」と羨ましがられたものだ。グアムなんかに行ったら、「スゲー!」と、驚いた。

 そんな時代だったにもかかわらず、強運というのか、突然のようにチャンスが降ってきた。いろいろな条件や審査があったけど、それらにパスすれば、自己負担なしで海外に行けるという話だった。

 「こんなチャンスは滅多にないぞ」とばかり、その話に飛びついた。幸いにも、OKの返事をもらい、日本を出た。

 この時の思い出話は、カテゴリ「旅行記」に「憧れのハワイ航路」として記事にした。

 実は、記事を書きながら、「確か、写真があったはずだけど、どこにしまったかなあ」と、気にかかっていた。特にハワイでの写真は探したかった。しかし、整理・整頓の下手な私。家の中のあちこちに散らばっていて、探し出すことは困難だった。

 どういう訳か、フィルム(ネガ)だけは引出しの中にほぼ全部保管していたので、プリント写真を探すよりも、これらをスキャンして確認したほうが早いだろうと、つい最近、新スキャナーを購入したことは先日書いた。

 「半年かかるか、一年かかるか・・・」と覚悟しながら作業を始めた。所が運がいい。10本ほどのフィルムをスキャンしたところで、見覚えのある画像が出てきたのだ。

 横浜港を離れる様子、台湾や香港らしき画像、そして、ハワイの景色が現れた。36枚撮りフィルムが4本あり、一つの袋にまとまっていたので、一気に全部をスキャンした。36枚といってもハーフカメラで撮ったらしく、実質、36*2*4=256枚ものショットだ。

 「私の記憶もいい加減だなあ」と思った。てっきりカラーで撮ったものと思っていたのに、全部モノクロだったのだ。これは少々残念だった。色彩豊かなハワイのイメージが強く、勝手にカラーと思い込んでいた。それでも、40年以上も前のハワイの様子がうかがえて、面白い。

 そこで、全部と云う訳にはいきませんが、一部をお見せしようと思います。断っておきますが、ハーフカメラということもあって、画像は鮮明ではありません。

 冒頭に掲載した写真を見て、ハワイのどこなのか、分かりますでしょうか? 大変有名なスポットです。何度もハワイに行ったことのある方なら、ピンとくるかもしれません。ハワイに在住しているMATTさんなら、簡単かも・・・?


 とりあえず今回は、この一枚のみです。

 ところで、画像はパノラマ風になっています。思い出したのですが、後で複数の画像をつなぎ合わせてパノラマにしようと、端から端180度を約1/5づつ分割しながらカメラに収めました。帰国してから、一枚一枚の画像を合わせ、ハサミで切りながらつなげたものでした。しかし、今やデジタルの時代。編集ソフトで加工したら、見事に一枚のパノラマ写真になりました。5枚の画像を合わせたとは思えないでしょう?

 そんなことよりも、場所を当ててください。
posted by Boo! at 22:00| 東京 ☁| Comment(10) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月06日

ちょっと小旅行へ

Maezawa_4.jpg
(前沢集落周辺)


 都会の暑さから逃れるように那須塩原まで出かけ、昨日帰ってきた。2泊3日の旅だった。今年89歳になる義母と妻を連れての3人だ。

 義母はとても90歳近くの老人とは思えないほど、元気そのものだった。一人で温泉地に出かけたり、週に2,3回は仲間とのカラオケに興じたり、台所にも毎日立つ。さらには携帯も使いこなし、我々とメールのやり取りまでする、云ってみればスーパーばあさんだったのだ。ついこの間までは。

 だが、昨年の老人検診で大腸がんが見つかり、大腸のほとんどを摘出する大手術となった。なんと1.2Kgもの重さがあった。術後の回復力は驚くべきもので、医者、看護婦長もその年齢を確認しては、「すごいです」「こんな人はいませんヨ」と舌を巻いていたほどだった。

 しかし本人には伝えなかったが、実は既に転移の可能性が大であり、ゆるやかに進行、悪化していくということは、術前から聞かされていた。その見立て通り、3か月ほど前から食欲が落ち始め、めっきり体重が減った。ふくよかな表情だったのに、二回りも小さい顔になってしまったし、以前はビア樽のようだったおなかもほっそりとした。

 気丈なだけに弱音も吐かず、一生懸命毎日を生きている。それでも、今年の異常な暑さにはかなり参っていた。なんとか元気づけたいと思い、2泊程度の旅行を計画した。8月を予定していたのだが、余りの暑さだし、強行してもかえって体調を崩す心配があった。「もう少し涼しくなったら」と延期していたが、9月に入っても一向に暑さが収まらない。こんなことして待っていたら、益々体力が落ちて、本当に行けなくなってしまうので、思い切ってバタバタとホテルを予約し、出かけた。

 夏休みも終わったので、車が空いているのではないかと期待もした。期待通り、まずまず順調に走ることができた。高速道路に入っても出来るだけSAやPAに立ち寄り、義母の負担を軽くするようにした。

 ホテルに到着しロビーで受け付けを待ったが、目の前に滝が流れ落ちている。大きな樹木の枝葉がホテルに覆いかぶさるように繁っており、まるで深い森の中のホテルのようだった。義母も「わー、素敵!」と感激の面もち。この言葉を聞いただけで、「連れてきて良かった」と一安心。

 さすがに疲れたのだろう、部屋に案内されるとすぐに「一眠りする」といって、横になった。こんなことはかつての義母にはなかったことだ。「やはり体力が落ちているなあ」と可哀そうになった。そのままそっとして、我々はホテル周辺を散策した。綺麗な水の流れの川があり、妙連寺という名刹があり、歩いていても飽きることはない。

 のんびりとしたスケジュールを心掛けたので、翌日は1か所のみ訪れることにした。塩原から車で約1時間ほど山間に向かう。まだほとんど知られていないと思うが、「前沢集落」という古い民家が保存されている場所がある。以前から一度訪れたかったところだ。

 どんな所かはリンクを貼ったので、そちらをご覧になっていただきたい。ここでは詳しいことは書きません。せめて、ヘボ写真を何枚かアップします。


Maezawa_1.jpg
(前沢集落水車)


Maezawa_3.jpg
(曲家民家)

Maezawa_2.jpg
(不細工な被写体が邪魔か・・・)

 観光地ずれしておらず、素朴で懐かしい風景が広がる。もしこちら方面に出かけることがあったら、是非、訪れてほしい。



 ホテルの食事も美味だった。豪勢ではないが、一品一品の味が程よく、堪能できた。温泉地であるだけに、お湯も豊富で気持ち良い。露天風呂が最高で、目の前に広がる景色が素晴らしかった。人一倍温泉好きな義母もご満悦で、なんども入りに行った。ほんの一時かもしれないが、血色も良くなったようだし、元気を取り戻していた。10月にもなれば紅葉が素晴らしい。もう一度連れて来たいなと思ったが、体力が持ってくれるだろうか?

 3日目は早めにチェックアウトし、まっすぐ帰るのは勿体ないからと、「もみじライン」を通って、日光東照宮、中禅寺湖をぐるっと周って帰途についた。ここはさすがに凄い人出だった。山道が多く、義母の車酔いを心配したが、ケロッとしていた。

 あと何回一緒に旅行できるのかわからないが、一回でも多く連れて行きたい。実母のように、寝たきり状態になってはそれも叶わなくなるから、もう少し頑張って欲しい。
posted by Boo! at 22:12| 東京 ☀| Comment(4) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月17日

今年は旅行三昧か?

 私にも、人並みにいくつかの趣味や道楽がある。音楽を筆頭に、読書、写真、オーディオなどだが、とりわけ、楽器に触ることが大好きだ。

 若い時分はビリヤード(当時は玉突きといった)に夢中になったこともあったが、30歳を過ぎてからは全く離れた。もし再び始めたら、「40年ぶりのスチールギター」ではないけれど、没頭する恐れがあるので、目を瞑っている(笑)。

 麻雀も大好きだった。徹マンもよくやったけど、段々体力の低下とともにそんな無茶は出来なくなった。今では、親友家族とごくたまに囲むことがある程度だ。しかし、これほど不健康な娯楽もないなあ(笑)。

 日頃はランニングをしているのでスポーツ好きと思われそうだが、そういう訳でもない。単に、体力維持、健康のためという側面が強い。寝転がってTVのスポーツ中継を観るほうが好きだ。 

 だから、ゴルフもしない。貧乏育ちなので、そのようなブルジョア志向の強いものには縁がなかったこともある(悲)。といっても最近は、猫も杓子もクラブを振っているようだから、「ゴルフ=ブルジョア」という図式は崩れているようだけど。

 音楽の次に好きな趣味は、実は旅行だ。だがここ数年、ほとんど出かけてない。原因ははっきりしている。母の介護が始まってからだ。グループ・ホームから現在は療養型病院施設に入所しているが、いつ緊急の連絡が入るかもしれないのでおちおちと出かけられない。2年前、親友に強く誘われて、東北にある彼の別荘に行ったことがあった。所が着いた翌日、病院から携帯に連絡が入り、慌ててトンボ帰りする所だった。幸いに軽い症状だったので予定通り回ることができたが、気持ち的に楽しさが失われた。

 これだけが原因ではない。むしろ最大の原因は眼かも知れない。白内障になってから視力低下著しく、折角の風景もぼんやりとして満喫できない。「ワー、綺麗だ。素敵!」と妻が叫んでも、私にはよく見えないから、「うん、そうだね」と適当に相槌を打つだけだ(悲)。

 こんな状態で旅行しても楽しくないから、益々、遠ざかる。ましてや、海外旅行なんてとんでもない。10年ほど前まではほぼ1,2年毎に日本を脱出したが、もう夢のような出来事になってしまった。

 しかし気持ちの中ではいつも、「旅行に行きたい」と願っている。最大の障害である白内障も来月の手術で解決できる希望が出てきた。

 「以前のように、よく見えるようになったら旅行するぞ」と、今から決めている。この10年間の空白を少しでも埋めたい。
posted by Boo! at 23:59| 東京 ☀| Comment(21) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月21日

憧れのハワイ航路 40_番外

 この航海ではいろいろな珍しい食べ物を口にすることができた。最初の頃は、見たことも食べたこともない食事や果物が出てくるので、よく面食らった。

 特に果物は、我が家ではついぞお目にかかったこともないものが、連日のようにテーブルに載せられた。

 現在では農産物輸入が自由化され、世界中のありとあらゆる果物を目にする事ができるが、当時は、そんなものはほとんど入ってこなかった。パイナップル、マンゴー、サンキスト・オレンジ、グレープ・フルーツ、アボカド(アボガドではない)等々。バナナや缶詰のパイナップルを辛うじて食べたことがあったくらいで、この航海で初めて口にするものばかりだった。続きを読む
posted by Boo! at 22:34| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月16日

憧れのハワイ航路 39_後記

 当時の日本はまだまだ貧しく、とても経済大国といえるような国ではなかった。海外旅行など夢のまた夢で、それは余りにも遠い話であった。

 そんな状況下にありながら、幸いにも私は海外に行くチャンスに恵まれた。まともな手段で行ったのであれば、大変な費用がかかったはずだ。ごく普通のサラリーマン家庭である我が家に、そんなお金があるはずもない。

 厳しい関門(?)を突破して、費用のほとんどを負担することなく行くことができたのは幸運としか云いようがない。

 約2ヶ月の航路を終えて日本に戻ってきたのだが、実は、ここで終った訳ではない。この5日後には再び同じ船で、今度は台湾、香港、シンガポールの東南アジアに向かったのだ。

 この船会社が運行する海外航路には3つのコースが設定されていた。1つが、これまで書いてきたハワイ・アメリカ西海岸コース、2つ目が、台湾・香港・シンガポールの東南アジア・コース、そして3つ目が、ブラジル・チリ・アルゼンチンの中南米コースだった。

 私としては、東南アジアコースよりも中南米コースに乗りたかったが、私の行けるコースは既に決められていたので、残念ながら叶わなかった。

 東南アジア航路での話も沢山あるのだが、これはいつの日かチャンスがあれば書いてみたいと思っている。

 簡単な旅行記として、数回程度の記事で終らせる予定だったが、書いている内に、色んなことが思い出され思わぬ回数になってしまった。

 最初からお読みくださった方、お付き合い頂きまして有難うございました。
posted by Boo! at 21:46| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月11日

憧れのハワイ航路 38_ハワイから日本へ帰国

 ハワイ滞在もアッという間に過ぎ、いよいよ日本に向けて出港した。

 長かった航海(約2ヶ月近く)も、とうとう終わりに近づいた。およそ10日近くかかって、横浜港に到着した。房総半島、伊豆半島の陸地が見えてきた時は、さすがに感無量だった。

 長いようで、短い航路だった。色々なことがあったが、どれも私にとっては宝物のような思い出になり、一杯、心の中に刻まれた。

 面倒見の良かった船長を始めとして、船員、乗客との交流、ハワイでのプア・アルメイダ、アメリカでのジミー・スミスやT・ボーン・ウォーカーとの出会いなど、今でも走馬灯のように鮮やかにその時の情景が浮かんでくる。

 横浜港が近くなり、街並みがハッキリと目の前に現れた。やがて、船はゆっくりと桟橋に近づいた。甲板上から下を見下ろすと、一つの集団が目に入った。20人位いただろうか。近づくにつれ、彼らの顔・形がはっきりしてきた。

 なんと、友人や後輩たちが出迎えに来てくれたのだ。私は思わず大きく手を振り、声を張り上げた。

 何故だか知らぬが、自然と涙が出てきて、止まらなかった(・・鬼の目にも涙?)。彼らも気がつき、手を振りながら、なにか声を発していた。その中には、現在の女房である、美人妻の姿もあった。
posted by Boo! at 23:40| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月07日

憧れのハワイ航路 37_アメリカ西海岸: サンディエゴから再びハワイへ

 サンディエゴでしっかり社会勉強(?)した翌早朝、再び、ハワイに向けて出港した。もうこの先は、日本への帰国航路になる。

 日本から乗船した客もほとんど下船してしまい、私のように日本に戻る者は、私を含めて数人程度しかいなかった。だが、サンフランシスコ、ロス・アンゼルス、サンディエゴで、日本に向かう新しい客が乗り込んできた。それでも、日本を発った時と比べて、その数は激減し、30人程度にすぎなかった。

 帰りの航路では、日本を観光するのだと云っていたアメリカの白人青年と親しくなった。帰りの船中での話題も色々あるが、同じような話の繰り返しになる恐れがあるので、あえて書かないことにする。

 再び立ち寄ったハワイでは、1日目はワイキキ・ビーチで海水浴と日光浴をたっぷり楽しんだ。次の日は、せっかくハワイに来たのだからハワイアンのレコードを手に入れようとショップに行った。ところが、いわゆるトラディショナルなハワイアン演奏ものはほとんど置いておらず、がっかりした。

 当時、ハワイで圧倒的な人気を誇っていたのは、「ドン・ホー」というボーカルだった。ちょっとプレスリー風のルックスで、もっと甘い歌声で女性の心を掴んでいた。ほかにこれといったものがなく、仕方ないので彼のレコードを3枚購入した。それと、たまたま見つかった「ジ・インビテーションズ」のレコードを1枚手に入れた。

 すでにハワイでは、正調ハワイアン音楽が廃れ始めていたのだ。
posted by Boo! at 23:05| 埼玉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月03日

憧れのハワイ航路 36_アメリカ西海岸: ロスからサンディエゴへ(2)

 ドアを開けて中に入った。部屋というよりも、長い廊下のようになっていて、左右の壁には小さな窓がついていた。1m位の間隔でズラっと並んでいた。

 先客らしい数人の黒人がその窓にピッタリ顔をつけて、一生懸命中を覗き込んでいた。私も適当な窓を覗いて見た。だが、真っ暗で何も見えない。この店に案内してくれた船員が「コインを入れるんだ」と云った。なるほど窓の下にコインを入れる小さな穴があった。何セントだったかを入れて、再び覗いて見た。「なんと!なんと!なーーーーんと!」という映像が現れたではないか・・・って、わけ分らん?

 そう、それはまさしくポルノフィルム。しかも、完全無修正。余りのどぎつさに目が点になってしまった。しかし、1分くらいですぐ遮断されて、真っ暗になってしまう。もっと見たければ、コインを入れろということだ。

 純情で、潔癖症の私は、こういったものに嫌悪感を覚えるので、ためらわずに・・・・・・・・コインを入れた(なんのこっちゃ!)。まあ、アメリカでしっかり社会勉強しようという実に前向きな姿勢だ。

 しかし、ケチな私は、1分毎にコインを入れるのが勿体無くなってきた。それに同じような映像ばかりだから、余り面白くもない・・・といいながら、幾つも見たが(笑)。ほどほどにして店を出たが、例のおばさんと目が合い、ちょっと気恥ずかしかった。

 こんな事を書くと、アメリカは随分野放しの国かと思われそうだが、そんなことはない。むしろ、ケジメがちゃんとしていると思う。つまり、大人の世界と子供の世界がきちんと線引きされているのだ。おばさんが見張り番のように番台に座っていたのも、子供は絶対に入れさせないと目を光らせていたのだ。

 この事を再認識させられたのは、およそ15年位前のアメリカ旅行だった。ラスベガスの空港での事。待ち時間が少々あったので、ロビーのコインゲーム機で遊んだ。友人家族の小学生がそのゲーム機に近づいた途端、女性の係員がすごい形相で「子供は近づくな!」と怒鳴ったのだ。そして、「このラインから先は、子供を入れさせるな!」と強い調子で命令された。恐ろしいほどの剣幕だった。だが我々はむしろ、清々しい気持ちになった。
 
 日本ではどうだろうか?野放しもいい所ではないか。パチンコ、居酒屋に平気で子供を連れてくるバカ親。店も注意しない。本屋には、アダルト本が一般誌と一緒に並べられている。日本こそ、けじめのない、自由をはき違えた未成熟な国だとつくづく思う。自慢ではないが、私のスチールも未成熟だ。
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2007年03月29日

憧れのハワイ航路 35_アメリカ西海岸: ロスからサンディエゴへ(1)

 ロスの滞在もアッという間に過ぎ、3日目の朝、次の寄港地、サンディエゴに向かった。

 メキシコとの国境に近い町で、大きな海軍基地があり、当時は軍港として有名だった。ここでの思い出はあまりない。滞在が短かったせいもあるが(1泊2日)、いわゆる観光地ではなかったし、給油のために立ち寄ったものだった。次の日には、再びハワイに向けて出港する。

 アメリカ滞在最後の夜ということもあり、船員数人と連れ立って町に繰り出した。サンディエゴは軍港と同時に、世界中の船が寄港するので、それら船員たちを相手にする店が数多く点在していた。

 船員の一人が、「面白い所があるんだ」と言って、ある店に連れて行ってくれた。店先には本が沢山並べられていた。手にとってみると、なんといわゆるポルノ写真ばかりの雑誌。勿論、無修正だから、純情な私は、ビックリしてしまった。でも、目はしっかり見開いていたが・・・(笑)。

 店内の中央あたりに、日本の銭湯の番台のような所があり、そこに恰幅のいい中年のおばさんが座っていた。船員がなにがしかのお金を渡すと、おばさんは奥のドアを指差し、「入っていい」という顔をした。
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2007年03月26日

憧れのハワイ航路 34_アメリカ西海岸: ロス・アンゼルス(5)

 ハーモニカにはピックアップをつけ、アンプを通して大きな音を出していた。その音の良いことと云ったら・・・。ハーモニカでこんな音が出せるのかと耳を疑ったほどだった。

 当時、ハーモニカといったら、日本ではおなじみの「宮田のハーモニカ」程度の認識しか持っていなかった(笑)。だが、まるで別物の楽器だった。

 アドリブも自在に吹きまくる。そのフレーズの格好いいこと。いっぺんにハーモニカに対する認識を改めた。

 ハーモニカのソロの後、ギターがアドリブを引き継いだ。これがまた凄かった。ゴリゴリのブルースギター弾きだが、音が太く、暖かい。痺れてしまった。

 ハーモニカも良かったのだが、私は彼のギターにすっかり参ってしまい、内心、「アメリカには、無名でも、このように凄いプレーヤーがごろごろいるんだろうなあ。日本でこれだけの演奏をしたら、すぐに有名になるだろうに・・・」などと、考え込んでしまった。

 ステージのほとんがブルースものだった。乗りの良いシャッフル・リズムだったり、泣かせるようなバラード調のブルースだったりと、色々と変化をつけるので飽きさせなかった。

 感激した私は、ステージが終わるや彼らの所に行き、拙い英語で、日本から来たこと、演奏に感激したことを伝えた。そして、サインをお願いした。彼らは全員快く書いてくれた。

 書かれた彼らの名前を読んでも、私のまるで知らない名前だ。先ほど強く印象づけられたギタリストの名前を確認すると、「T-BONE WALKER」と書いてあった。「ふーん、面白い名前だな」
とその名前を頭にインプットした。

 所がこの10年後くらい、ラジオから流れてきたギターによる演奏がえらく気に入り、すぐにレコードを買い求めた。ジャケットをみると、「T-BONE WALKER」と大きくプリントされている。この名前、どこかで聞いたことがあるなあと記憶を手繰り寄せた。そして、「そう云えば・・・」と、やっと探し出したのが、あの時のサインだった。しっかり、「T-BONE WALKER」と書いてあるではないか。

 T-Bonewalker.jpg

 当時は私が無知だったに過ぎず、すでに大変なギタリストだったのだ。現在ではブルース・ギターの父とも云える伝説的な存在になっているようだ。勝手に無名にしてしまった(笑)。
ラベル:T-BONE WALKER
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2007年03月22日

憧れのハワイ航路 33_アメリカ西海岸: ロス・アンゼルス(4)

 ぼったくりの店から無事解放され、大事にならなくてよかった。

 翌日、楽しみにしていたライブハウスに行くため、お昼過ぎに出発した。「シェリーズ・マンホール」は昼間の時間帯でも、ライブ演奏しているということだったので、夜は避けたのだ。店までは、船長が車で送ってくれた。


Shelly's Mannehole.jpg


 店に入ると、昼間というせいもあったのか、客はまばら。あのハワイでの「プア・アルメイダ」のステージを思い出してしまった。あの時も淋しかったなあ・・・。サンフランシスコの「ジャズ・ワークショップ」での熱気とは対照的にしーんとしていた。

 しかし、店の雰囲気はすごく良かった。いかにもジャズライブの店という内装で、客席もゆったりとしていた。一緒についてきた女性船員二人と一緒に、前の方の席に座った。

 時間になると、4人の黒人プレーヤーがステージに上がった。リーダーらしき黒人は、なんとハーモニカを持っていた。ものすごい体格をしていた。ほかに、E.ギター、E.ベース、ドラムの編成だった。店の入り口に、その日の出演者名が書かれてあったが、私には、まったく心当たりのない名前だった。

 「えー!ハーモニカかよ・・」と少々、がっかりしたものだ。

 演奏が始まった。ブルースだ。

shelly's manne_2.jpg

 店のライブ案内。この頃はジャズメンに対してまだそれほど知識がなかったので、大して気にも留めなかったが、今確認してみると、そうそうたる人たちばかりで驚いた。

 Jimmy Smith(org),Mose Allison(P),Gabor Szabo(Gt),Les McCann(P),T-Bone Walker(Gt),The 3 Sounds等々。
ジャズファンであれば、よだれが出そうなプレーヤーの名前ばかりだ。


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2007年03月19日

憧れのハワイ航路 32_アメリカ西海岸: ロス・アンゼルス(3)

 「この店はやばいのでは・・」という私の予感は当たることになる。

 ボーイが注文を取りに来た。船長もやはり、不安を感じたらしく、警戒心がありありだった。それでも、頼まないわけにはいかないので、無難なものがいいだろうと、全員、ビールにした。

 しきりにボーイが船長に何事かを話しかけている。どうやら、女性達にも何かを飲ませろということらしい。船長は渋々、承諾した。

 その間、女性達は我々の手を握ったり、体をピッタリとつけてきたりして、挑発する。当時の私は、まだまだ純真・無垢(今だって、そうだが・・笑?)で、しかも学生の身だ。こういうことには慣れていない。心臓がどきどきして、平常な心ではいられなかった。早く、こんな店から出たいと思った。

 船長も「危なそうな店だから、飲んだらすぐ出よう」と小声で言った。そそくさとビールを飲み終え、席を立った。

 店側も驚いたに違いない。店に入ったと思ったら、すぐ出ようとするのだから・・・。船長に一生懸命「もっといろ」と説得していた。だがすぐ、あきらめたのか、請求書を出してきた。

 船長の顔色を見て、やはり法外な金額を請求されたなと、察した。しかし、そこは世界中を回ってきた経験豊富な船長だ。冷静に粘り強く交渉を始めた。30分くらいやり取りしただろうか。ついに店側も折れ、解放してくれた。それでも、かなりな支払いを余儀なくされたようだ。「ようだ」というのは、船長がほとんどを支払ってしまって、我々には負担をかけさせなかったからだ。

 危機的な状況の中でこそ、人間性が試されるというが、この時の船長は、まさに冷静沈着な態度だった。あの時、船長がいなかったらどうなっていただろうと思うと恐ろしくなる。

 帰りのタクシーの中で、船長は「変な店に連れていって、申し訳なかったね」と、しきりに謝っていたが、感謝こそすれ、文句など云える筈もなかった。
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2007年03月14日

憧れのハワイ航路 31_アメリカ西海岸: ロス・アンゼルス(2)

 ロスに着いた日の昼間は、船長の運転するレンタカーで市内をドライブしたが、夜の予定はなかった。翌日にライブハウスに行く予定だったから、ゆっくり船内で時間をつぶすつもりだった。

 夕食を終えた後、甲板に出てロスの夜景をぼんやりと眺めていた。誰かに肩を叩かれ振り返ると、この航行ですっかり親しくなった船員の一人が「船長が呼んでいるから、一緒に行こう」と云った。

 何だろうと思いながら船長室に行くと、「今夜は何か予定がありますか?」と訊いてきたので、「何もありません」と答えた。「これから僕とほかに3人、街に出て軽く飲みに行くのですが、一緒に行きませんか?」と誘ってくれた。勿論、喜んでオーケーの返事をした。

 船を降りると、既に手配してあったらしくタクシーが待っていた。全員で乗り込み、ダウンタウンに向かった。船長がよく知っているお店に行くのだろうと思っていたが、そうではなく、適当な処で車を降り、ブラブラしながらある店に入った。

 店内はいやに暗く、我々の他に客は誰もいなかった。すぐボーイが席に案内してくれたが、なにか怪しげな雰囲気。

 席に座ると、待っていたかのように3人の女性が我々の間に割り込んだ。若い白人女性だったように見えた。何しろ暗くてよく見えなかったから・・・。私は直感的に「この店はヤバいのでは・・」と心配になってきた。
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2007年03月08日

憧れのハワイ航路 30_アメリカ西海岸: ロス・アンゼルス(1)

 サン・フランシスコの港を出た船は、次の寄港地、ロスへ向かった。ロスまでは近い距離なので、普通に航行すれば、その日の内に到着するのだろう。だが、入港する日時が決まっていたからか、翌日の早朝に入港、接岸した。

 例の女優Nのお姉さんは、ここで下船、別れた。もう二度と会うことは無いだろうと思うと、少々、淋しかった。日本から乗ってきた乗客は、ハワイ、サンフランシスコ、そして、ロスでほぼ全員が下船してしまった。しかし逆に、日本に向かうために乗船してきた外国人も何人かいた。

 着いた日は、例のごとく、船長がレンタカーでダウンタウンを中心に案内してくれた。本当にこの船長は親切な方だったなあ。
当時の日本ではほとんど見ることのなかった高層ビルばかりで、その高さには圧倒された。「アメリカって、すごい国だな」と、実感したものだった。

 ロスでも、私はどこかのライブハウスに行きたかったので、案内書で調べた。その頃、ロスで最も有名なライブハウスは「シェリーズ・マンホール」(SHELLY'S MANNE HOLE)であることが分かった。人気、実力ともNo.1と云われたドラマーのシェリー・マンが経営する店だと書いてあった。シェリー・マンとマンホールを上手く掛け合わせた洒落た名前だ。

 もうここしかないと思い、船長に相談した。すると、次の日であれば、店まで連れて行ってくれること、また、サンフランシスコでのこともあるから、船員二人と一緒に行くように云われた。その二人は、接客を担当する女性船員だった。彼女たちなら、英語には不自由しないから、私も大助かりだ。それに、女性であることが何よりだ・・・て、なにを考えているんだか(笑)。

 なんの心配もなく行けることになり、次の日が待ち遠しかった。
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2007年03月02日

憧れのハワイ航路 29_アメリカ西海岸: サン・フランシスコ(9)

 港まで送ってやるからと、車に乗せてくれた親切な運転手は中年の白人だった。車中で、彼は私に色々と話しかけてきた。「ジャズ・ワークショップ」まで案内してくれた、あの黒人青年とは違い、流暢な英語で(笑)、しかも早口で話すのでなかなか聞き取ることができなかった。

 15分くらい走ると、港が近くなり、私の乗る船の姿が目に入った。港のゲートの前で車が止まったので、私は彼に深く深く感謝の意を示しながら降りようとした。すると彼の口から、「***ドル」と云ったように聴こえた。とっさの事で、意味が飲み込めず、聞き返した。「20ドル払え!」と云ったのだ。

 内心、「おい、それはないだろう。親切で乗せてくれたんじゃないのか?」と舌打ちした。それにタクシーではないし、20ドルは高すぎる。当時の1ドルはまだ360円の時代だ。単純計算で7200円にもなる。確か、大卒の初任給が2万円少しの頃だから、大金だ。

 だが幸いにというのか、私のポケットには6,7ドルほどしか入っていなかった。「そんな金、持っていない」というと、「幾ら持っているのか?」「5ドルだ」と答えると、ありありと失望した表情になり、「それでいい」といったので、渋々渡した。頭に来たので、今度は挨拶もせず、さっさと車を降り、ゲート内に走り込んだ。

 船に戻った私は、船長の所に行き、事の顛末を話した。船長もやはり心配していたらしい。「それはむしろ、ラッキーだったよ。一歩間違えば、どこかに連れて行かれたかもしれないから」と言われ、初めて自分の行動が軽率だったと反省した。

 翌日は、他の乗客数人と市内に出かけ、一人行動を控えた。ハワイと同様、サンフランシスコも2泊3日滞在し、3日目の早朝、次の寄港地、ロス・アンゼルスに向かった。
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2007年02月27日

憧れのハワイ航路 28_アメリカ西海岸: サン・フランシスコ(8)

 時間の経つのも忘れ、ジミー・スミスの演奏に陶酔した。ステージはいつ終わるのか分からないほど延々続き、事情が許されるのなら、ずっと聴き続けていたかった。だが、時計を見ると、大分遅い時間になっていた。船に門限はないが、余り遅くなると船長が心配するかも知れない。後ろ髪を引かれる思いで、ステージの途中で店を出た。
 
 店を出ると、ハタと困ってしまった。どうやって港に戻ればよいのか、全く検討がつかない。歩いて帰れる距離ではない。最初は、タクシーを拾って帰ればいいと、気楽に考えていた。要するに、日本にいる時と同じ感覚で、アメリカでも空車が走っているんだろうと安易に考えていたのだ。ところが、空車など一台も通らない。場所が悪いのかと思って、走る車を必死に見ながら、近辺を歩き出した。

 すると、私の横に自家用車が近寄ってきて止まった。運転手が窓を開けながら、何事か叫んでいる。英語には堪能な私(誰がじゃい!)でも、よく聞き取れなかったので車のそばに行くと、どうやら、「どこに行くんだ?」と質問しているらしい。「港に帰りたいが、道が分からない」と言うと、「乗れ」と言う。港まで送ってやると言うのだ。いやー、アメリカにも親切な人がいるもんだなと、「サンキュー」を連発しながら、車に乗り込んだ。

 今から思えば、なんと無防備なことか!
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2007年02月22日

憧れのハワイ航路 27_アメリカ西海岸: サン・フランシスコ(7)

 「ジャズ・ワークショップ」の入り口に近づくと、中から演奏している音が漏れてきた。どうやら、オルガンのようだ。

 その音が耳に入った瞬間、「かっこいい!」と思った。その日のスケジュール案内板を見ると、「ジミー・スミス・トリオ」と書いてあった。入場料2ドルだったか、3ドルだったかを払い店内に入った。

 場内は異様な熱気に包まれていて、タバコの煙がモーモーとしていた。7,80人くらいが入れるほどの広さで、ほぼ満席だった。空いている席に座ったが、聴衆はほとんど黒人ばかりだった。ステージの演奏に興奮し、あちこちから「いえーい!」だの「やー!」だのと掛け声が入り交じっていた。

 ステージを注視すると、ジミー・スミスのオルガンにギターとドラムの編成。日本では見たこともない、大きなオルガン(ハモンドオルガンだったのだろう)で、両手両足を、それこそ自由自在に操りながら繰り広げるアドリブは圧巻だった。その余りの素晴らしさには言葉もなかった。

 当時、私はジャズベースにも高い関心があったから、彼の足から繰り出されるベースラインは驚異的としか言いようがなかった。「お前は、千手観音か!」と云いたかったほどだ。

 メンバーのギターとドラムは、今から思えば、恐らく、かなりな実力プレーヤーだったのだろうが、そこまで関心が向かず、ジミースミスばかりに目が奪われてしまった。

 ジミー・スミスという名前は、すでに知っていた。この何年か前に、「キャット」というナンバーで世界的なヒットを出したからだ。この日、「キャット」を演奏したかどうかは記憶にないが、ほとんどブルースばかり演奏していたように思う。
posted by Boo! at 21:20| 埼玉 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月17日

憧れのハワイ航路 26_アメリカ西海岸: サン・フランシスコ(6)

 若者の黒人グループに近づいた私は、彼らに地図を見せながら「ジャズ・ワークショップを知らないか?」と尋ねた。彼らは顔を寄せ合いながら、地図を覗き込んでいたが、一人が「俺が知っている」と云いながら、さっさと歩き出した。まさか、案内してくれるとは思っていなかったから、ボーと立っていると、彼は振り返りながら、早く来いというように手招きする。他の仲間たちに「サンキュー」と云いなから後をついて行った。
 10分も歩かぬ近い所に「ジャズ・ワークショップ」はあった。その間、若い黒人はいろいろと私に質問をぶつけてきた。ところが、その英語たるや滅茶苦茶で、文法も何もあったものではない。まあ、私の英語だってひどいものだが、何故かその滅茶苦茶な英語がよく理解できたのだ。ネイティブな英語でないことが却って分かりやすかったようだ。可笑しかったのは、私の年齢を訊いてきた時だ。「何歳だ?」というので、「20ん歳だ」と答えると、どうしても信じない。「じゃ、お前は何歳だ?」と聞き返すと、18だか19歳だという。「お前より年上だ」というと、益々信じない。「俺が幾つに見えるんだ?」と問うと、「13、4歳だろう」という。それじゃ、まるで子供ではないか、と笑ってしまった。確かに、40歳ころまでは、実年齢よりも10歳くらい若く見られることが多かったが・・・。
 どこの国から流れ込んで来たのか知らないが、ブロークン英語を駆使しながら、アメリカ社会で生きて行こうとする彼の姿は逞しいと感じた。
 無事に「ジャズ・ワークショップ」の前に到着したので、彼に繰り返しお礼を述べた。店の中に入ろうとすると、彼が私を呼び止めた。「何か?」と云うと、彼は、手を差し出しながら、「チップを寄こせ!」と言う。「なんだ、親切心だけではなかったのか」とガクッとしたが、これがアメリカなんだと思い返し、1ドルを渡した。
posted by Boo! at 21:21| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする