2007年11月28日

ダイエット O

 5月に入っても週3,4回のウォーキング・ペースを維持した、と書きたい所だが、丁度、4月末からゴールデンウィークに入り、いろいろと予定が詰まってしまった。お陰で、中旬ごろまで完全に中断してしまった。

 この状態をずるずると続けてしまうと、前回の二の舞になる恐れが多分にあったので、重い腰に鞭を打ち、再び歩き始めた。10日以上もサボってしまったから、足も重くなり、ペースも落ちるだろうと予想したが、意外にもそんな影響を感じることなく、むしろ快調なペースで歩くことができた。しかも、3月にウォーキングを再開してからのベストタイムまで出たのには驚いた。6Km:47分台そこそこだった。

 この日から、サボった分を取り戻すかのように、ほとんど毎日のように歩いた。サボったことが却って体を休ませることになり、体力の回復につながったようだった。歩くごとにタイムを更新し、5月の末になると、遂に46分台に突入した。

 体重の方はというと、中々、59Kg以下にならなかったが、下旬を過ぎる頃からやっと58Kg台に落ちた。時々、リバウンドして59Kg台に戻ることもあったが、6月に入ると完全に58Kg台に落ち着いた。続きを読む
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2007年11月25日

鬼の霍乱?

 2,3日前からどうも鼻水が出るし、くしゃみもする。「やばい!風邪かな?」と案じていたら、やはり風邪だ。

 熱はないので苦しくはないが、気分が鬱陶しい。単なる風邪のようで、インフルエンザではないらしいので救われた。

 私の場合、インフルエンザにかかると、間違いなく高熱に襲われて、完全にダウンしてしまう。しかし、なにもやる気が起きず、折角の連休だったのに、家でボーとしていた。

 少しスチールの前にも座ったが、鼻水がダラダラとフレット上に落ちそうになるのでやめたし(キッタネーナ!)、ブログの記事も、頭が働かないのでサボってしまった。

 ムダに起きていてもしょうがないので、もう寝ますわ!明日の仕事も休めないし・・。

 皆さんもお風邪にはくれぐれもお気をつけなさって下さい。
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2007年11月09日

ダイエット N

 3月から再び始めたウォーキングは週に3,4回のペースで続いた。ウォーキングを始める直前の体重は約60Kg。私の身長は165Cmだから、理想体重を計算すると、59.9Kgらしい。と言うことは、理想に近いはずだ。

 だが私の骨格は全体に細く、数字では理想体重であっても肉や脂肪が全体にバランスよく納まってくれるわけではない。ほとんどお腹に集中して脂肪が貯まってしまう傾向がある。お腹だけ出て、他はほっそりではみっともないといったらありゃしないのだ。美人妻からも非難を浴びる。このお腹をなんとかしたくて、始めたようなものだ。

 歩き始めてから週に1回くらい体重計に乗り、計測した。始めたからといって、すぐに減量できるわけではないこと位は承知していた。しかし、人間がせっかちなものだから、心の隅では即効を期待していた。

 1週間後の計測では58.4Kg。「おー。1.5Kgも減っている!」と喜んだ。「1週間で1.5Kgなら、1ヶ月では6Kgも減るではないか!」と単純に計算した(笑)。

 2週間後、再び計測。「今度はどのくらい減っているかな?」と期待しながら体重計に乗った。なんと、なんと・・・減るどころか、逆もどりして、60Kgジャストを指しているではないか。乗り方が悪かったかなと2,3回計りなおしたが、勿論、60の数字に何ら変わりはなかった。これでは効果ゼロではないかと落胆した。1ヶ月後の体重は59.4Kg。歩く前とほとんど変わらない。 

 体重だけではなく、歩くスピードもなかなか向上しなかった。初回は53分台だったが、10日後でもやっと51分台後半。その後、少しは短縮されたものの、1ヶ月後でも50分台を維持するのがやっとだった。

 4月に入っても、週3,4回のペースは守り続けた。1ヶ月を過ぎるとさすがに足取りも軽くなり、疲れ方が少なくなった。4月の前半は依然、50分台だったものの、中旬を過ぎると突然のように48分台に跳ね上がった。月末になると更に速くなり、47分台に突入した。

 だが体重の方は相変わらず変化しない。結局、4月の1ヶ月間はずっと59Kg台で推移した。2ヶ月間もウォーキングを続けた結果が、たったの数100グラムの減量では効果がないに等しいではないかと恨めしかった。

 女房は女房で、「2ヶ月も歩いた割には、全然お腹が凹まないね。本当に歩いているの?」と嫌味を言う。「バーロー!今に見ておれ!」と舌打ちした。

 体重はともかく、タイムのほうは確実に縮まっていたので、めげずに続けようと、気持ちも新たに5月に入った。
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2007年10月29日

ダイエット M

 中断してきたウォーキングを再び始めることにした。

 今年、三月に入るや思い切って公園に出向いた。まだ冬の寒さが続いており、上下ウィンドブレーカーで身を固め、スタート地点に立った。ストップウォッチを押し、歩き始めた。2Kmコースを三周する6Kmだ。

 前回まで続けていたウォーキングでは、6Kmをおよそ43分台で歩き通すことができた。これはウォーキングのスピードとしてはかなり速い方に属すると思う(自慢!)。チンタラ、チンタラとジョギングしている人を追い抜くことも珍しくなかったし、追い抜くと、よく「速いなあ」と感嘆されたものだった(再自慢!)。

 しかし何年もの間、ブランクを開けてしまい、体もすっかりナマってしまったから、無理せずに適当な速さで歩こうと決めていた。

 真冬の寒さにもかかわらず、2Kmを過ぎるあたりから体が暖かくなり始め、段々、汗ばんでくるのが感じられた。思いのほか快調で、足取りは軽やかだった。ブランクがあっても、前回のウォーキングの貯金がまだ残っていたのかなと思ったほどだった。銀行の貯金はどんどん目減りしているが・・・(笑)。

 体が暖まると、無意識の内にスピードアップし、ペースが上がってきた。だが、5Km付近になると息が乱れ、足も重くなりペースが落ちた。

 三周し終え、ゴールすると汗がビッショリ。額からも滴り落ちた。ストップウォッチを押し、タイムを確認した。全盛時(?)の43分台は無理としても、50分は切っただろうと予測したが、何と53分台で、少々がっかりした。10分も遅くなっていたからだ。

 やはりサボると、体は正直なんだなと痛感した。これはスチール・ギターにも全く当てはまることだ(笑)。何事も継続は力なりで、続けなければレベルは維持できないのだ。

 それでも久しぶりのウォーキングは気持ちよかった。とりあえず、週に3回程度を目標に続ける決意を新たにした。

 帰宅しシャワーを浴びた後のビールは相変わらず上手い!・・・これではなんにもならないか(笑)。
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2007年10月17日

ダイエット L

 母がホームに入ったことで、我々の日常も平静さを取り戻した。

 我が美人妻もやっと自分の時間を取り戻すことができたので、それまで封印していたテニススクール通いを始めた。元々、運動神経が良いので(その代わり、無神経だ)、遅いスタートにも拘らず、みるみる上達し、すでに10年以上も続けていた彼女の友人を1年足らずで追い越してしまった。最初の頃は、その友人が得意になってコーチをしてくれたようだが、すぐに歯が立たなくなり、すっかり気を悪くしてしまって、一緒にはやらなくなってしまった(笑)。

 入門者クラスから入ったのだが、あっという間に中級の上クラスまで上がってしまった。そのクラスのほとんどが学生時代からの経験者ばかりなので、妻のような存在は異色らしい・・・と勝手に自慢している。

 お陰で、あちこちのグループから声を掛けられ、週に5日はテニス三昧の日を送っている。私が汗水たらして働いているというのにだ。

 母の異変以来、私のウォーキングは中断したままだった。「そろそろまた始めないとなあ」とは思ったが、一度中断すると中々、再開できないものだ。

 一年くらい前から、妻の私を見る目が心なしか冷ややかになってきた。そして、しげしげと私のお腹を見ながら、「またお腹が出てきたよ。みっともない!」と罵倒した。

 そんなことは言われなくとも、薄々感じてはいたのだ。体重計に乗るのもなんだか恐ろしくて、しばらく無視していた。だが、ある日、思い切って乗ってみた。何と、61Kg近くを指していた。

 数年前まで、ウォーキングの努力により、56Kg台をキープしていたのに、これでは元の木阿弥だ。ズボンもかなりきつくなり、バンドの穴も二つ移動した。

 母の異変が私のダイエット作戦を台無しにしてしまったのだ。しかし今は、その作戦を阻害するものはない。もう言い訳はできない。「よし!」と、今年の3月、遂に二回目のダイエット挑戦をすることを決意した。場所は以前と同じく、近くの公園。2Kmコースを3周。つまり6Kmを歩くことにした。前回と全く同じ設定だ。歴史は繰り返す(?)。

 ああやっと、タイトルの記事に戻ることが出来た(笑)。
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2007年10月06日

ダイエット K

 無事、グループ・ホームと入居契約を結ぶことが出来た。

 母が少しでも快適に過ごせるようにと、上体の起こせるベッドを買い求め、身の回りに置く整理タンス、テーブル兼用のコタツ、時計といったものは、長年使い続けてきたものを実家から運んだ。出来るだけ、以前生活していた状態に近くして、混乱が起きないように配慮したのだ。

 いよいよホームに入居したその日のことは、今でも忘れない。

 ベッドを設置し、コタツも配置し、準備万端整え母を部屋に入れた。怪訝な顔をしていた。どうやら、病院に入院したと勘違いしていた。「私はどこも悪くないのに・・・」とぶつぶつ文句を言っていた。

 やがて、夕食の時間になり、食堂に呼ばれた。既に他の入居者全員がテーブルに座っており、母をじろじろ見ていた。職員が「***さんの席はここですよ」と母の手をとりながら座らせた。

 我々もそろそろ失礼しようかと思ったが、まだ母の様子が心配だったので、しばらく様子を見ることにした。

 「今日から入居された***さんです」と母を紹介した。そして、「***さん、簡単に自己紹介できますか?」と促すと、母は我々がビックリするほどの大きな声で「***です。お世話になります」とはっきりと挨拶した。

 全員から大きな拍手が起きると、母はそれがとても気分が良かったらしく、みるみる顔が晴れやかになり、食事をしながら冗談まで出るほどだった。大きな笑い声に包まれ、心底、「ああ、良かった」と胸をなでおろした。

 食事が終わり、お茶になったが、母のおしゃべりは止まらなかった。元々、話好きだったから、水を得た魚のようだった。時間も遅くなり、我々は母に「じゃ、また来るから・・」と帰る旨を告げると、「あっ、そう。じゃーね」と一瞬振り返っただけで、再び、おしゃべりに夢中になっていた。「俺が苦労して苦労して、やっと、母の居場所を見つけたというのに・・・」と、苦笑してしまった。

 以来、4年近くが経過した。幸いにも、これといった病気にもならず、なんとか無事に過ごすことができたことは有難い。これも、ホームの職員の方々の献身的なお世話のお陰と感謝している。

 さすがに、食欲は少し落ちてきたようだが、寝たきりにもならず、トイレにも自分の足で行ける。認知症の進行を止めることはできないが、安定した毎日が送れることが何よりと思っている。

 時々、私のことを自分の弟(つまり、私の叔父)と勘違いするが、訂正しても意味がないので、苦笑するばかりだ。90歳にもなる叔父と間違えるなよ・・・ったく!

 母が安定したことで、我々の毎日も平穏を取り戻した。この状態が一日でも長く続くことを願っている。
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2007年09月22日

ダイエット J

 母の症状は益々悪化した。ヘルパーの派遣も介護保険の利用限度枠一杯まで増やしてもらったが、それでも我々の負担が軽くなるわけではなく、むしろ、心の負担が重くのしかかってきた。

 と、ここまで書いてきて、いつまでもこのような一家庭内の悩み事を細々と書く必要があるのだろうかという疑問が湧いてきた。ダイエットの話からどんどん離れて、すっかり介護問題の話に移ってしまった。脱線することは得意だからお許しを・・・。

 実際に、或いは現実にこのような問題に直面している方以外は、きっと面白くもない記事でしょう。書いている本人が面白くないのですから、当然です(笑)。

 この話を早く切り上げるためにも、その後の展開をさらっと(?)要約します。

 一人で母を実家に置いておくことは難しくなった為、我家に引き取ることになります。その間、約一年近くかけて老健施設、特養ホーム、民間ホーム等々を回り、入居手続きに奔走します。この間の母との同居生活は言葉では言い表せない苦しさでしたが、詳しくは書かないことにします。

 あちこちの施設を回ったものの、どこも満杯状態で(数百人待ち、中には1000人以上待ちもあった)、半ばあきらめかけていた。そんな時、親友の母親が「グループ・ホーム」に入り、大変快適な生活ができるようになったという話を聞かされた。

 「グループホーム」の何たるかも知らなかったので、詳しく問いただすと、認知症になった老人の世話をしてくれる施設で、出来るだけ日常生活に近い毎日を送ることで、認知症の進行を遅らせることが目的の施設ということだった。単に体が弱ったとか、病気といった理由では入れないらしい。医者からの認知症の診断書も必要だ。

 どうも母の状況にぴったり当てはまる。私の住む市内にも「グループホーム」はあるのだろうかと調べてみた所、4箇所見つかり、一つは車で15分程度の近い所にあった。

 正月が明ける早々、訪問してみた。より詳しく話を聞いてみようと思った事と、我々の状況を誰かに打ち明け、相談に乗ってくれたらという思いだけで、入れるとは全く考えもしなかった。

 一時間近く私の話をじっと聞いていた施設長が「実は、今月末に一人の方が退去する予定です。もしよかったら、来月からでも入居しますか?」と言ってくれたのだ。予想もしないことで、ビックリしてしまった。どうせ何百人待ちだろうと思っていたから、「天からの贈り物か」と感謝したほどだった。

 実際、先に申し込まれている方が何人かいたようだが、入居条件を完璧に充たす方はなかなかいなかったらしく、まさにラッキーそのものだった。

 入居してからもう4年近くになるが、すっかり母の精神状態は安定し、食欲もしっかりあり、同じ入居仲間の部屋を出たリ入ったりして仲良く暮らしている。とは言え、認知症が緩やかに進行しているのは止むを得ない。母にとっても私共にとっても良い選択だったと思っているし、これ以上の良い選択肢はなかったとも言える。

 家族が親の面倒を見ることは当然のことだが、それはなにも同居して介護することが全てではない。親にとって少しでも快適な生活、安定した暮らしができるようにしてあげることが大事なのであって、世間体や親類の顔色ばかりをうかがって苦しい思いをしながら面倒みることほど悲惨なことはない。親だって、身が細る思いだろう。

 先の見えない介護ほど家族を苦しませるものはないだろう。一時的な病気や入院とは問題が本質的に異なるからだ。ここの所を混同している方がまだまだ多いような気がする。かつて、某国会議員が「親の面倒を家でみるのは当たり前だ」と声高に叫んでいたことを思い出す。無性に腹が立ち、「お前が親の面倒をみたのか!」と食って掛かりたかった。

 親類からもこのようなことを説教がましく電話してきたことがあった。だが、こんなことを偉そうに忠告するものに限って、介護なんかしたことがない。また、幸運にもそのような立場にないから、無責任なことがいえる。こういう時の私は黙ってはいられない。猛烈な反発心が起きやすいタイプなので、二度とそんなことは言わせぬように反論する。そんなことで「もう付き合わん」と言われても平気だから絶対に折れない。こういう所は頑固なのだ(笑)。

 半年でも一年でも介護を続けた経験のある方は、まずこのような言葉は出ないはずです。その半端ではない大変さが身にしみているからです。

 私も、友人や知人から相談されると、絶対に自分たちだけでなんとかしようとは思うなとアドバイスします。自分たちの生活が立ち行かなくなるような介護なんか、どう考えてもおかしいのです。実にお粗末な福祉国家(?)の現状ですね。

 長々と書いてしまいました。気持ちが暗くなった方、ハワイアン音楽でも聴いて気分転換を図って下さい(笑)。


 次回は、本題である「ダイエット」に戻れるのか・・・?

 
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2007年09月10日

ダイエット I

 (お色気ジャケットの次は、再び暗い記事です・・・スミマセン。) 


 ヘルパーさんからの電話は我々の先行きの不安を増大させるものだった。

 なんでも、朝、訪問した所、ガス台に鍋を置いたまま火が点けっぱなしになっていて、真黒こげになっていたというのだ。このような事態になることを一番恐れていたから、母には、「毎日、ヘルパーさんが来てくれるから、自分で食事の用意をしないように」と何度も念を押してあった。だが、そんな私の言葉をすっかり忘れてしまって、台所に立ったらしい。何十年も台所に立ってきたのだから、無理も無いことではある。

 ただ、火事にでもなったら大変なことだ。近所に多大な迷惑をかけることになる。その日から、ヘルパーさんには外のガス元栓を締めて帰ってもらうことにした。屋内の元栓では自分で開けてしまうからだ。

 しかし、これがまた母を混乱させてしまうことになる。どうしても自分で火を点けようとする。しかし勿論、点くわけがないから点火スイッチをひたすら押し続ける。揚句にはパニック状態になってしまう。

 ヘルパーさんが来るようになって、やっといくらかの落ち着いた生活が戻ったと思ったのに、再び突然のように重苦しい塊のようなものが目の前に現れた。

 またある月の水道料金の領収書を見て驚いた。常に、5000円以内で推移していたが、いきなり、4万円近くの料金が引き落とされていたのだ。ビックリして水道局に問い合わせると「どこか、水漏れしているかもしれませんね」と言って、すぐに調査に来てくれた。

 しかし、どこにも異常はなく、調査員は「水を出しっぱなしにしたことがありませんか」と言った。そういわれると、「そういえば、トイレの水を流しっぱなしにしたり、よく蛇口の栓を緩めたままジャージャーと水が出ていたことがあったな」と思い当たった。

 水はどんなに出しっぱなしにしようが、火事になる心配はないけれど、しかし、母の状態は、段々、限界に近づいていることを認識せざるを得なかった。
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2007年08月31日

ダイエット H

 いよいよ、ヘルパーさんによる訪問介護が始まった。最初のプランでは、週に3日、午前中の2時間をお願いした。母の症状もまだ軽かったから、とりあえずは、この程度で充分だろうと考えた。

 最初に訪問してくれたヘルパーさんは、大変明るくて優しい方で、母もすぐに安心して受け入れるようになった。我々もほっとした。幸いにも大きな問題も起きず、なんとか半年ほど続いた。

 しかし、ヘルパーさんが来るようになっても、我々の心の重荷が軽くなることはなく、むしろ、日が経つにつれ益々重くのしかかってきた。

 週に3日来てくれても、あとの4日は我々がなんとかしないといけない。妻と曜日を決め、交代で実家に通った。妻だけに押し付ける訳にはいかない。私には仕事があるから、平日はまず無理だ。そこで土、日を私が受け持った。これはなかなか辛いものがあった。益々、ウォーキングどころではなかった。

 介護制度を利用すれば相当に助かるのだろうと期待していたのだが、楽になったという実感は全くなかった。このままでは、我々の身が持たないので、再び、ケア・マネージャーに相談した。

 新しいプランでは、毎日来てもらうこと、午前中と夕方の2回に分けて訪問してもらうことに変わった。この変更でかなり精神的に救われた。やはり、毎日来てもらうことが大きい。

 仕事が早く終った日は、実家に立ち寄って母を安心させる余裕も出てきた。土、日は妻と二人で顔を出した。

 毎日の訪問になったことで、3人のヘルパーさんが交代で来てくれた。彼女たちは仕事が終ると、必ずその日の仕事の内容や母の様子などを細かくノートに書き込んでくれた。

 その日誌の内容も月日の経過と共に、母の行動が段々おかしくなりつつある様子が伺えて来た。

 ある朝、ヘルパーさんから電話が掛かってきた。
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2007年08月24日

ダイエット G

 事業所の一覧表を広げながら、役所の担当者を問い詰めた。

 何も分らぬ利用者が一覧表を元に、手当たり次第に電話を入れて事業所を見つけ出すことがどんなに大変なことか、それに、こんなやり方は余りにも非能率でしかなかったから、「もっと実情に沿ったアドバイスをするのが貴方たちの仕事だろう」みたいなことを訴えた。

 担当者は神妙に聞いていたが、「確かにその通りですね」と言いながら、どこかに電話をかけた。そして、「役所が管轄している施設のケア・マネージャーに連絡をとりましたから、そちらに相談してください」と言った。そのまま電話を変わり、マネージャーと会う約束を取り付けた。

 何のことはない。役所の担当者も介護サービスがスタートしたばかりで、余り良く理解していなかったのだ。

 マネージャーと面会し、いろいろと話しをしたことでやっと介護システムの内容を掴むことができた。実際にヘルパーさんに来てもらうには、いろんな手続きを経ないといけないらしい。介護度の認定、ホームドクターの選定、事業所の決定、ケア・プランの作成等々、一つ一つクリアしないといけない。

 こちらは一日でも早くサービスの提供をして欲しいので、かなり急いで手続きを進めたが、それでも実際にヘルパーさんがくるまでに1ヶ月以上かかった。

 この時の手続きが教訓になり、友人や知人から介護について相談されると、真っ先に「何はさておいても、介護申請しろ」と言う。まだ必要がないと思っても、親が高齢であったり、先行きに少しでも不安があるのなら、とにかく申し込みだけでもしておけとアドバイスしている。

 いざ必要になって、あわてて申請してもすぐにはサービスは始まらないからだ。

 皆さんにもこれだけは強くアドバイスします。

 ところで、ダイエットはどこへ行った・・・?
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2007年08月16日

ダイエット F

 こうバカ暑い日が続くと、ダイエットの記事を書くことにも気が引けるが、気にせず書き続けたい(笑)。

 母親の介護が始まり、悪戦苦闘の毎日が続くようになる。丁度、介護保険制度の運用がスタートしたこともあって、早速、役所の福祉課に行き、申し込み手続きをした。しかし、制度そのものへの理解が全くなかった私は、申し込んだらすぐにでもサービスを開始してくれるものと考えていた。所が、それは大変に甘い考えであったことを思い知らされる。

 申し込みをすると、介護サービスを提供する事業所一覧が書かれたコピーを渡された。利用者が自分で適当な所を選んで手続きするよう言われた。だが、そこに載っている事業所は都内に所在する全てだから、大変な数だ(現在では更に増えているだろう)。その中からどうやって良さそうな事業所を選べばよいのか、皆目、見当がつかない。

 それでもとりあえず、母の住所に近いと思われる事業所をリストアップし、電話を入れた。するといづれも、個人に毛の生えたような規模であるらしく、とても手が足りず、新規に派遣する余裕がないと言われてしまった。

 初めのうちは、良い制度が出来たものだと喜んでいたが、申し込みの段階からこのつまずきで、制度そのものに対して不信感が出てきた。

 そもそも、この介護制度を利用したいと申し込む時は、かなり追い詰められた状態であり、だからこそ、今日、明日からでも助けて欲しいと切実に願っているのだ。迅速に対応してこその介護・福祉だと思う。

 それがどうだろう。役所の係りはコピーをポーンと渡しただけで、後は勝手に自分で手続きしろと言わんばかりの態度だった。

 その一覧表を元にあちこち連絡すれば、どこも手一杯で余裕がないという。見つかるまで片っ端から電話しろということかと、この思いやりのなさに猛然と腹が立ち、温厚であるはずの(?)私の闘争心に火が点いた。

 一覧表を手に、再び役所に出向いた。


 なんだか、ダイエットからどんどん離れていくようだな(笑)。
posted by Boo! at 21:24| 埼玉 ☀| Comment(2) | 健康・運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月07日

ダイエット E

 親父が体調を崩し入院したことで私の生活は一変し、ウォーキングどころではなくなってしまった。

 やがて父は入院の甲斐もなく、そのまま帰らぬ人となってしまった。そうすると私の肩には、更に色々とやるべき事が積み重なり、益々、ウォーキングから遠ざかった。

 肉親が亡くなると、その事後処理は想像以上の大変さで、約一年間はその後始末、各種手続き、遺産相続申告、法要、納骨等々、次から次へと処理しなければならなかった。母も高齢だから、一人っ子である私が全てを片付けなければならない。

 その気になって時間をとれば、ウォーキングする位のことはできたのだろうが、精神的に参ってしまい、そんな気持ちにはなれなかった。

 一周忌を終えた頃からやっと、落ち着きを取り戻すことができた。しかし、すっかりウォーキングへの関心が失せてしまい、以前のように、体を動かさない生活に戻ってしまった。時々は「そろそろ歩かないとなあ・・・」と気にかかることもあったが、人間一度怠け癖がついてしまうと、中々戻れないものだ。

 その内今度は母が体調を崩し、数ヶ月の入院を余儀なくされた。幸いにも無事に退院したものの、今度は認知症の疑いが出てきた。最初は半信半疑だったが、明らかに言動や行動がおかしくなり、目が離せなくなった。

 症状は徐々に進行し、母の介護の為に我々の生活は完全に振り回されるようになる。
posted by Boo! at 22:22| 埼玉 ☔| Comment(6) | 健康・運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月31日

ダイエット D

 最初に書いたように我が美人妻から、私の「体の変形」・・つまり腹が出てきたことを指摘され、やむなくダイエット挑戦の為にウォーキングを始めた。

 歩き始める直前の体重は60Kg超。学生時代は50Kgそこそこだったから、10Kg以上も増えたことになる。この60という数字は結構、インパクトがあった。

 私に対して罵詈雑言を浴びせやがった・・・失礼、浴びせた妻を見返すためにも、ここは頑張らねばならなかった。

 最初の一ヶ月は、体重にほとんど変化はなかった。しかし、二ヶ月を過ぎる頃から段々減り始め、その後は一ヶ月毎に約1Kgづつ減っていった。そして半年を過ぎると体重はついに55Kg台に突入した。

 歩くスピードは一段と速くなり、6Km45分台が普通になった。もう公園では敵なしだ。ちょっと遅めのジョッギングの方とほとんど変わらないスピードだ。

 ズボンは明らかにゆるくなり、バンドは穴二つ分細くなった。お陰で、きつくなってあきらめていた何年か前のズボンも楽勝にはけるようになった。

 妻の見る目も変わってきた。着替えをしていると、「随分、おなかがへこんだね!」とここまでは良いが、続けて「自分でおなかをへこませてないでしょう?」と、まだ疑っていた。二つ減ったバンドの穴を示すと、「へー!凄いね!」と目を丸くしていた(ザマミロ!)。

 自分でも鏡で確認すると、あれだけ出ていた腹が上から下までストーンとほぼ垂直になっており、思わずその美しいスタイルに見とれるほどだった(ウソつけ!)。体脂肪率も13-14%。実に理想的な数値だ。

 折角ここまで落としたのだから、この努力を無にしないように、更に努力を続ける必要があった。油断すれば、すぐにリバウンドしてしまうからだ。

 その後も、歩く頻度は少し減ったものの、5-6年間は続けた。体重を55Kg以下にすることにはちょっと抵抗があったので、55Kg台をキープすることを心がけた。

 所が、10年ほど前に親父が病に倒れ入院すると、がらりと状況が変わってしまい、ウォーキングどころではなくなってしまった。ほぼ毎日のように、仕事の後、都心の病院に通い、更に、一人残った母も心配だったから、実家にも顔を出すという生活になってしまい、家に帰ったら疲れてしまって、すぐ寝るような生活になってしまった。
 
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2007年07月20日

ダイエット C

 足の痛みが完全に無くなるまで、3週間ほどかかった。しかし痛みが取れると、思い切って歩けるので快調な速さになり、2周4Kmでは物足りなくなってきた。そこで、1ヶ月を過ぎた頃から、もう1周延長して、3周6Kmにした。

 6Kmにしたことで、運動量が全然違ってきたように感じた。汗の量も格段に増えた。体重計に乗るのが楽しみになり、毎夜、風呂上りに確認した。所が、最初の1ヶ月はほとんど変化なし。59Kg台をキープし続けた。6Kmに延長したし、当然効果が上がるものと期待したのに、2ヶ月近くになっても、依然、59Kgを割ることは無かった。

 「なんで効果がでないのだ!」と、いささか失望した。しかし、体脂肪率は、最初の頃の20から18に減った。これで少しは救われた。

 体重は中々減らないものの、足取りは益々軽くなり、6Km:52分台から48分台にスピードアップした。これは結構速い方で、もう後ろから抜かれることはなくなった。今や、「公園のウォーキング・チャンピオン」なのだ(笑)。

 3ヶ月を過ぎる頃から、体重にも変化が現われ始めた。ある日突然のように、59Kg台から58Kg前半に落ちたのだ。しかし喜ぶのも束の間、3日間歩かないとすぐに59Kgに戻ってしまう。それでも、段々、58Kg台を示す数字の方が多くなり、更には57Kg台に突入した。体脂肪率も16〜17%に減少した。努力は報われるのだなあ。
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2007年07月11日

ダイエット B

 歩き始める前は、「運動不足だし、段々、体が慣れてくるまでは無理するまい」と考えていた。まず目安として、2周・4Kmを歩くことにした。

 普段歩くスピードよりも、少し早めに歩を進めた。元々、速足なので、チンタラ、チンタラと歩いているおばさん達や、年配、中年のオッサン達をすぐに追い抜いてしまう。

 一周を過ぎると、汗ばんできた。意外と疲れず、気持ちよい。更にスピードが上がった。無理な速さで歩くまいと思っても、前を歩いている者がいると、つい抜きたくなってしまうのだ。

 それでも、時々、追い抜かれることもあったが、出来るだけ気持ちを押さえてペースを変えないようにした。

 二周を歩き終え、時間を見ると、およそ35分近くかかった。汗が頭からも流れ落ち、下着もぐっしょりになった。久しぶりの運動による汗が快感だった。こんなことならもっと前からやるべきだったなと思ったくらい。

 帰宅し、シャワーを浴び、汗を流し、その後飲んだビールの上手いことといったら・・・。しかし、折角消費したカロリーも、ビールで帳消しになるかもしれない(笑)。

 翌朝起きた時、足や体の筋肉が突っ張って痛いかなと心配したが、全く問題なく、元気に仕事に出た。自信を持った私は、3日続けて歩いた。心なしか、体も軽くなってきたような気がした。

 所が、1週間を過ぎた頃、足の裏、甲、脛あたりに痛みが走るようになった。一歩踏むたびに、ズキンと痛みが伝わり、思うように足が前に出なくなった。仕方なく、痛みを避けるようにゆっくり歩くことにした。何のことはない、おばさんのスピードになってしまった(笑)。
posted by Boo! at 22:08| 埼玉 ☔| Comment(4) | 健康・運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月06日

ダイエット A

 美人妻から「腹が出た!」だの、「みっともない!」と激しく罵られたとあっては、いつまでも無対策を続ける訳にはいかない(年金問題の社会保険庁ではないのだから・・)。

 自分でも日頃の運動不足を痛感していたから、ウォーキングを始めることにした。

 近くには立派で広大な公園があり、その中に一周2kmの専用コースが設けられている。まず手始めに、二周、つまり4Kmを歩くことにした。

 仕事に出かける前に歩くには、かなり早く起きねばならない。しかし、それでは時間に追いまくられるようで、とても続けられる自信がない。それに、仕事の前に歩き疲れてしまったら、仕事どころではなくなるから、帰宅途中に公園に寄って歩くことにした。

 折角始めても、長く続かなければ意味がない。そこで、自分なりに長く続ける方策を考えた。

 1.絶対に無理をしない 2.毎日歩こうとは思うな 3.週に2,3回歩けば上等だ 4.雨、雪が降ったら中止 5.寝不足、二日酔いも中止 6.休みの日も中止etc.

 何のことはない。楽することしか考えていない(笑)。

 さて、ウォーキング初日。
 新しく揃えたジョギング・シューズを履き、スポーツウェアで身をつつみ、軽快な格好で公園に行った。

 2Kmコースの所まで行くと、もう既に多くの方々が、ウォーキングやジョギングをしていた。

 軽く準備体操をし、スタート地点に立った。ストップウォッチを押し、歩き始めた。
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2007年06月27日

ダイエット @

 私が20代の頃、体重は大体において50〜52kgをキープしていた。身長は165cmだから、やせっぽちの部類だ。ウエストも細く、ズボンは70cm位で丁度良かった。

 どちらかというと小食だから、そのため太らないとも云えるが、母方のDNAを引き継いだことも大きいと思う。母は勿論、母の両親、姉妹弟、甥や姪等の姿を思い浮かべても、一人も肥満者はいない。皆、ほっそりとしている。

 そんなやせっぽちの私だったが、結婚を境にして少しづつだが体重が増え始めた。

 私の貧弱な体格を、なんとか並程度にしようと考えたのか、我が美人妻、せっせ、せっせとカロリーの高い食事を毎日のように出してくれた(私は、フォアグラか・・・!)。お陰で、低所得者なのに、エンゲル係数が異常に高かった(笑)。

 それに、仕事上の付き合い酒、不摂生な生活、運動不足が加わり40代に入ると、55Kgを超えた。

 それまで、55kgを超えたことは一度もなかったので、むしろ、嬉しかったくらいだ。ズボンもきつくなり、さすがに70cmは無理。72〜73cmが丁度よくなった。

 更に40代も後半になると、遂に60kgを突破した。さすがに「これはまずいぞ」と警戒感を持つようになった。妻からも「腹が出てきた。みっともなーい!」と罵詈雑言を浴びせられた。

 「お前のカロリーの高い料理のせいだろうが・・!」と反論したかったが、後の報復が恐ろしいので、泣く泣く言葉を引っ込めた。

 「よし、それならば・・」と一念発起。

 まず、ウォーキングを始めることにした。
posted by Boo! at 21:49| 埼玉 ☀| Comment(4) | 健康・運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする