2016年11月22日

いい加減にせんかい!

 今朝の地震には驚いた。まだ6時前だったが、起こされてしまった。ちょっと位の揺れでは起きぬ愚妻(最近、美人妻から格下げ)も飛び起きた。

 長い時間揺れた。そして思い出した。あの東日本大震災で経験した揺れとよく似ていたからだ。すぐにラジオをつけ、NHKの緊急速報に耳を傾けた。「震源地は福島県沖、震度5弱、マグニチュードは7.3」と、繰り返し流れてきた。そして「津波の恐れがあります。至急高台に避難してください。落ち着いて行動してください」と、何度もアナウンスしていた。アナウンサーの声に混じって、バックからは例の緊急警報音が鳴り響いていたが、あれは嫌な音だ。さらにアナウンサーの声が甲高く、余計に不安を駆り立てる。こういう時こそ、ゆっくりと落ち着いた声で呼びかけるべきだ。

 それにしても、M7.3とは大きい(その後7.4に訂正された)。今年起きた熊本地震より大きい。真っ先に津波を心配した。しかし、発生はしたものの大事に至らなくて良かった。5年前の大津波の記憶がまだ生々しい。恐らく現地の方々は、当時の恐怖が蘇り、すぐに避難行動を起こしたに違いないが、お気の毒だ。

 「地震国日本」に住む我々は、覚悟しているとは言え、「いい加減にせよ」と、自然を恨みたくなる。

 以前の記事で、「11月なのに、暖かい」などど書きましたが、「明後日はもしかしたら雪が降るかも」という予報が出てます。まだ楽観していて、冬用タイヤに交換してない。ま、必要になるような大雪にはならないでしょうが、このようなロクでもない予報は当たるかもしれないからなあ(笑)。
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2016年11月20日

おつきあい

 そろそろお歳暮や年賀状の準備にかかる時期になってきました。

 最近はお中元やお歳暮を贈る習慣が薄れているそうだ。それも相当な落ち込みで、デパートなどはピーク時に比べると三割の売上とか…最近の新聞記事にあった。

 昔と違って、公務員は民間業者から受け取ってはいけないし、学校の先生は父兄から受け取らない、会社だって、かつては上司に贈るのが当たり前の時代があったけど、現在そんなことを認めるような会社は時代遅れだ。当然とも言える。贈る贈らないで、出世に響くなんてどうかしている。しかし人間は弱いものだから、少しでも上司の心証を良くしたい気持ちは分かる。全体から見れば、虚礼廃止の傾向に進んでいるのだろう。

 人間は弱い一方で、卑しい部分も持ちあわせている。立場が変わり、偉くなったと勘違いすると、相手に期待する人間がいるのも事実だ。「タカリ」の根性だ。だから汚職なんて無くならない。いくら偉くなろうが、卑しい根性のままだと尊敬はされない。どこかの知事もそうだったような…。

 本当に贈りたい相手に絞って贈るのが本来の在り方でしょう。少なくとも私はそのように心がけている。

 贈るのはなにもお中元やお歳暮でなくてもよい。美味しい季節ものを頂くと嬉しいものだ。今年亡くなった秋田の従兄は毎年欠かさず新米を送ってくれたし、信州からは二十世紀梨が届いた。だが、「今年は秋田からの新米はない」と諦めていたのに、思いがけず別の従兄から届いた。

 二十世紀梨も昨年が最後になった。従兄が難病にかかり、栽培を断念したからだ。最高に美味しかったので残念だけど、致し方ない。散々お世話になったので、こちらからのお歳暮は続けたい。

 今年はどういう訳か、ミカンをよく頂く。豊作なのだろうか?静岡や広島の知人からダンボール一箱分届いた。さらにご近所の方二人から、「我家のミカンです」と、沢山頂いた。「あり余ってます」とも言えないので、笑顔で受け取った(笑)。

 贈ったり贈られたりはそんなに悪い習慣ではない。人間関係の潤滑油的役目もある。義理だけのやり取りするから負担に感じるのだ。

 そう言えば、母がその義理だけの付き合いにがんじがらめだった。「なんでそんな人にまで?」と、私には理解できなかったものだ。普段ほとんど付き合いのない方にまで贈るからだ。当然ながら相手からお返しが届く。するとお返しがあったからと、来年また贈る。引き出しの中には送った伝票が束になっていた。

 「相手は有難迷惑と感じているかも知れないんだから、ほどほどにしないと」と嫌味を言っても無視してくれた(笑)。それが証拠に、母が施設に入り、贈ることができなくなると、パタッと相手からもこなくなった。「ご機嫌伺い」の連絡すらなかった。ゲンキンというのか・・・。変わらず届いたのは、本当に母のことを気遣った近い親類であり、親しい友人からだった。





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2016年11月12日

今になって…(恥?)

 余り使ってなかったWネックのスチールギターを引っ張り出した。

 以前はこればかりを弾いていたが、弦が古くなり、酷い音になった。古くなったらさっさと弦交換すればいいのだけど、つい面倒臭くて、まだ張り替えて間もないトリプルに代えてしまった。

 確かに弦交換は面倒だ。8弦Wだと16本、トリプルになると24本も交換する。古い弦を外すだけでも大変だ。だから多少音が悪くなっても、つい我慢してしまう。

 だが今度はトリプルの弦が傷んできた。我慢の限度を超えるほどひどくなったので、弦交換をすることにした。しかし24本は気が重い。そこでWを引っ張りだした。16本なら8本も少ない。ここは少しでも楽したいから、トリプルにはお引き取り願って(笑)、Wの再登場となった。

 元々古かったWを数年前に手に入れた。色々調べたら1956〜1957年頃に製造されたものらしい。まさにビンテージだ。弾く私もビンテージ?ボディのあちこちに傷はあるし、金属部分は錆びていた。塗装も一度塗り直した形跡があった。

 学生時代、アマチュア奏者にとっては憧れの機種だった。当時使っていた国産のスチールギターとは余りの音の違いにショックを受けた。しかし貧乏学生には到底手の届かぬ高嶺の花だった。

 当時はバッキー調命といえるほど、バッキーさんを追いかけた。しかし足の短いバッキーさんなのに(笑)、逃げ足が速く、追い付けなかった(悲)。卒業と同時にスチールギターとは縁が切れ、二度と弾くことはあるまいと思っていたのに、ひょんなきっかけから再び触れるようになった。再開後は一転してアーシーやJ.バードを参考するようになった。以前の6弦のAmチューニングから、8弦のC13やB11に変更した。バッキースタイルで軽快にアドリブする魅力も捨てがたかったが、新鮮な気持ちで和音奏法を追いかけたくなったからだ。

 久しぶりに出したWはやはり汚かった(悲)。弦は黒ずんでいた。全弦取り外し、まずはクリーン作業だ。狭い隙間は楊枝や綿棒を使って掻き出す。綿棒には真っ黒な綿ホコリがびっくりするほど付いた。余り綺麗にはならないが、それでもボディ全体を布で磨いた。気分的には清々しくなった(?)。

 買い置きしておいた新しい弦を出し、張弦にかかる。弦の取替えで苦労するのは、ペグ回しだろう。何度も回すと指が痛くなる。しかも16本もあるから、苦痛だ。だが最近は、ワインダーという便利な道具が売られている。これを使えばかなり負担が軽くなる。というか、これがなかったら交換などしたくないほどだ。しかも一気に巻けるので、見た目にも綺麗に巻ける。

 所が、1ネックを終える近くになって、ワインダーの調子がおかしくなり始めた。回転する部分のネジが緩み、外れやすくなった。その都度、ネジをしめ直す。2ネック目に取りかかるとさらに悪くなり、頻繁に外れる。ワインダーの本体はプラスチック製だから、ペグを回す力に段々耐えられなくなったのかもしれない。「なんとか全弦張り終えるまで耐えてくれ」と祈りながら、作業を続けた。さすがに最後の1本になったらネジ穴がバカになり、使用不可能になった。残り1本で良かった。

 新しい弦はチューニングしてもすぐに狂う。何度か調整を繰り返し、試し弾きした。

 1ネックづつ確認した。2,3曲弾いては音を確かめる。ウーム、さすが新しい弦は音がよく伸びる。特に低音の伸びが気持ち良い。まるでアーシーになり代わったみたいだ(笑)。

 次にもう一つのネックに移った。このネックは一番良く使う。だが変だ。音がキンキンするし、痩せた音だ。音質を変えようとトーンコントロールを回した。柔らかくはなったが、こんな音ではなかった。ただ柔らかいだけではだめなのだ。芯のある太い音がほしい。余り回すとふやけたボケた音になるから、調整にも限界がある。

「おかしいな」と思いながら、先程確認した別ネックを弾いてみたら、やはり音が全然違う。各ネックにピックアップが装着されているので、「ピックアップの一つが駄目になったか?」と心配になった。

 我慢できる程度なら良いが、これでは使えない。修理できそうな人物を何人か思い浮かべた。まず阿羅漢さんだった。しかし良い部品は片っ端から取り去ることで有名だし、修理代もぼったくるから頼めない。

 接触不良も疑い、あれこれ触るが全く変化なしだ。

 ブリッジの側に丸いツマミがある。普段は上にカバーを装着しているからあまり見ることはないし、下手すると気がつかない。私は気がついてはいたけど、それは弦のビビりを防止するためのものだと勝手に思っていた。Eベースでも、1,2弦はペグの近くにそのような丸いツマミがついている。ツマミの下を通すように弦を張る。

 何気なくそのツマミに目が行き、触れた。ベースのツマミと違ってそれは指で回る。弦を押えるために高さを調節するのだろうと思った。グルグル回した。だがいくら回しても弦を押えているようにはみえない。「なんじゃ、これは?」と不思議なツマミに思えた。

 ほとんどあきらめかけ、もう一度音を出した。あら不思議!先程までのキンキン音とは異なり、迫力ある、しかもまろやかな音に化けていたのだ。

 ここでやっと気がついた。弦を押えるツマミと思っていたが、これは第二のトーンコントロールだったのだ。これで基本的な音色を決め、あとはボリュームツマミの隣にあるトーンコントロールで微調整するのだと、今頃になって気がついた(恥)。

 試しにツマミを回しながら音の変化を確認したら劇的に変わる。最初のキンキン音も簡単に再現できた。「こんな大事なツマミだったのか・・・。なぜ気づきにくくしているのだろう」と、メーカーの考えが分からない。もっとも新品を買えば、多分説明書には書かれていたに違いない。
  
 作業中、無意識につまみを回してしまったことで、音色が変わったのだろう。勉強にはなったけど、弦交換しなかったら、あるいは音色の激変に気がつかなかったら、多分いつまでも弦押えと思い続けたに違いない。

 ま、知らないということはこんなものだ。でも私以外でも気がついていない方は多いのではなかろうか?




2016年11月05日

秋のような、冬のような?

 東北の方は今が紅葉の見頃なのでしょうか?

 こちら関東圏、というか首都圏はまだのような気がする。ランニングする近くの公園の木々もちらほらと色づいているけど、余りパッとしない。くすんだ色で、鮮やかさがない。いつまでも暖かい陽気が続き、一気に気温が下がらないことが原因かと思う。

 11月というと昔は大変寒かった記憶がある。大学の文化祭は毎年11月初めだった。構内にあるちょっと小高い場所に臨時ステージを作り、音楽サークルの仲間が交代で演奏を繰り広げた。私のグループも勿論参加した。

 天気が良く穏やかな日であれぱ、実に気持ちよく演奏できたが、気温がグッと下がり、冷たい北風が吹くと震え上がり、演奏どころではなかった。とにかく手がかじかんでしまうので、下手な演奏が更にひどくなった(涙)。場所を変えて教室内で演奏するとホッとした。

 そういえば当時のこの文化祭模様が週刊朝日に取り上げられ、グラビア写真になった。1ページ大の写真で、しかも私のグループだったから、仲間と興奮した。まだ保管してあるけど、今見ると気恥ずかしい(笑)。

 最近は霜も余り降りなくなった。昨冬の初霜は確か今年1月ではなかったかな?かつては11月になれば、霜で車が白くなることは普通だった。やはり、温暖化の影響なのだろう。

 着るものにも迷う。「暑さ」と「寒さ」がはっきりしていれば良いけど、今のように、秋だか冬だかわからないような陽気は困る。出がけに天気も良く暖かいと、つい薄着で出てしまう。しかし帰る頃には気温が下がり、震えながら帰途につくこともあるし、逆に厚着で出たら、昼間は汗だくになったりするから、風邪を引きそうだ。車を運転すれば、一日の内にクーラーとヒーターを使い分けることも珍しくない。一日で夏と冬がやってくるようなものだ。

 こんな陽気では体調管理も大変ですから、皆さんも充分お気をつけ下さい。来週から本格的な寒さがやってくるそうです。

 明日日曜日は、知人のバンドでベースを頼まれた。泥縄だけど(いつものことで)、これからインスタント練習です(笑)。

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2016年11月01日

はや、11月!

 もう11月です。あと2ヶ月で来年になってしまいます。毎年同じことを書くようですが、月日の過ぎるこの速さは、「何とかならんか!」と思ってしまいます。

 気持ちの上では若い頃と余り変わらないようですが、しかし、確実に年を取り、体力も少しづつ落ち、記憶力の低下も自覚するこの頃です(悲)。変わらないのは依然として「美男子」であること、増え続ける財産でしょうか…バカを言ってるんじゃねえ?(笑)。

 友人の中にも、「あそこが痛い、ここが痛い」「ヒマだ、やることない」「俺がいると女房は外に出て行く」と、一人嘆く者がいる。「もっと前向きになれ」と言っても、「前を向いても後を振り返っても、俺は孤独だ」などと、こちらに同情を求める。知ったことか!

 ま、(精神的に)豊かな老後を送れるか、淋しい老後になるかは、我々世代にとっては一大テーマだ。しかしそれも本人次第でしょう。自分から行動しないことには、なにも変わらないものだ。

 遠く遡れば、子供時代から始まると思う。子供同士、遊びを通して他人との付き合い方を学ぶ。中、高、大学、そして社会人になり、付き合い方が変化しても基本的には同じでしょう。この一連の流れの中で上手く適応できないと、後々苦労することになるような気がする。こうして培った一種の人脈が老後に生きてくるのではと考える。仲間と集まってもゲーム機やスマホばかりに夢中になっている今の若者には危惧を覚えるけど・・・余計なお世話か(笑)。

 さて今月は、月初めから人と会う機会が多い。小学生時代の旧友から、「良い店を見つけたから飲もう」と誘われた。「他に誰か呼ぶの?」と聞くと、「我々だけ」と言う。子供時分はそれほど親しくしてなかったけど、クラス会を重ねている内に気心が通じ、時々飲むようになった。

 大学の学部で同クラスだった仲間との食事会もある。これは毎年で、すっかり私が万年幹事になってしまった。今回は12名の参加者だ。内、4名は女性だ。毎年会場を探すのも面倒になり、ここ3年は都内のホテル内レストランに決めている。

 高校もある。こちらは定例みたいなもので、隔月の第二金曜日と決めている。会場である店を固定しているので(亡くなった同級生の息子が引き継いだ)、事前の連絡は一切無しだ。「来たければ勝手に来い」というスタンス。だから参加者人数の波が大きい。毎回顔を出す者がいれば、1,2年に1回という奴もいる。これはこれで、自然体で良いと思う。

 更に高校創立70周年を記念する祝典に出席する予定だ。担任だった先生も顔を出すと聞いたので、無性に会いたくなった。当時の教師達のほとんどが亡くなり、担任の他に二人しかいない。恐らく担任に会えるのも、これが最後になるかもしれない。

 他には、義母の七回忌がある。身内だけで集まるから、7,8人か…。「もう七回忌か」と驚いてしまうが、来年は私の母が七回忌だ。そして次の年が父の二十三回忌なので、法要が3年続くことになる。

 残された者の務めとは言え、何やかや、追われる。
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2016年10月23日

思いもよらぬ・・・。

 新米の季節になりました。米屋の前を通ると、「新米入荷」の旗が立っている。新潟産、秋田産、宮城産・・・と、各県ご自慢の新米だ。

 毎日、毎日、口に入れるお米だけど、新米だけはやはり格別の味がする。香り、ねばり、甘さ、ふっくら感などが全然違う。

 何回か書いたことがありますが、毎年必ず秋田の従兄から新米が送られてきた。もう20年以上続いただろうか。しかも妻の両親の田舎である新潟からも届いたので、米を買う必要がなかった。幸せというのか、贅沢というのか、ありがたい贈り物だった。

 しかし義母が6年前に亡くなると(義父は40年以上前に亡くなった)、それを境に新潟からは新米が届かなくなった。義母との付き合いの延長で送ってくれたようなものだから、「もういいだろう」と思ったのかもしれない。妻に、「お前が薄情な付き合い方するから、向こうもやめたに違いない」というと、「そんなことない。冠婚葬祭があれば、ちゃんとご祝儀や香典を送っている」と口をトンガらがして反論した。「いや、そういう付き合いではないのだ」と言っても、よくわかっていないようだ(悲)。

 秋田からの新米だけになってしまったが、30kgも送ってくれるので、小食の我々には1年持ってしまう。その代り長期間保存できるように、玄米で送ってもらった。食べるたびに精米するから、いつまでも美味しくいただける。

 今年5月、従兄が亡くなった。そのため、昨年送ってくれた新米が従兄からの最後のプレゼントになってしまった。今年も新米の季節が近づくにつれ、「今年は届かないのかあ」とがっかりし、改めて、従兄の長年にわたる気配りに感謝した。

 その最後のお米もいよいよ底をつき始め、何十年ぶりかでコメを買う必要が出てきた。なにしろ米屋と縁のない暮らしをしてきたので、どこで買うか困った。スーパーに行けば、各産地の新米が並べられている。「スーパーのコメはあまり美味しくないよ」と言う人もいて、さらに悩ませてくれる。「ちゃんとしたスーパーならそんなことはないはず」と思い、2kgか3kg程度で良いから、とりあえず少量購入してみようということになった。

 「明日(本日のこと)は休みだから、一緒に買いに行くか」と、夕食を食べながら妻に訊いた。「そうだね」と同意したその時、「ピンポン!」

 チャイムの音だ。妻が応答する。「ゆうパックです」の声が聞こえた。「ん?誰からだろう?」

 妻が玄関ドアを開けた。その途端、「キャー!」と叫んだ。「何事だ」と思わず腰を上げた。最近、宅配便を装った強盗被害が増えていると聞いたことがある。「ノヤロー!」と、1億円もする豪華な金庫から拳銃二丁を取り出し「パンパン・・・」て、何をいってるんだか。

 妻がドアを開いて押さえていると、中年のおっさんがよろよろと大きな袋を担ぎながら中に入り、三和土にドサッと置いた。妻が再び喚く。「新米よ、新米よ」。なんだか「ナンマイダ、ナンマイダ」と聞こえた(笑)。

 そう、置かれた袋はまさしくコメの入った見覚えのある紙袋だ。興奮する手で、受取証にハンコを押した。「亡くなった従兄からはあり得ないし、今更新潟のコメが復活するわけない」。だが、ほかに思い当たらない。

 袋に貼られた送り状の文字を確認した。「秋田県・・・」とある。「えー、そんな馬鹿な」と名前を確認すると、なんと、従兄はいとこ、別の従兄の名前Bだ。亡くなった従兄の隣に住んでいる。隣といっても田舎のことだから、100mほど離れているけど。

 「それにしても、なんでBが・・・」と解せない。勿論この従兄Bとも大変仲が良い。一つ学年が上だけど、子供の時から同級生のように親しかった。ほかにもたくさんの従兄弟や従姉妹がいるけど、盆暮れのやり取りは亡くなった従兄とだけで、他とはあっさりとした付き合いに留めてきた。

 いままで一度も何かを送ったり送られたりがなかったから、お礼の電話のついでに訊いてみた。「いや、**さん(亡くなった従兄の名)から、毎年そちらに新米を送っていることを聞いていた。で、体が弱くなってきたとき、自分が亡くなった後はお前が送れと言われていたんだ」という。「最後の最後まで、そこまで考えていたのか・・・」と、話を聞きながら、涙が潤んできた。

 「そうか、だから玄米で送ってくれたんだ」と納得した。従兄から「玄米で送れ」と言われたのだろう。

 今年の秋田新米はなかったはずだった。それがこんな形で、また送られてきた。「**さんのお米も美味しかっただろうけど、今度は俺っちのコメを食べみてくれ」

 「ありがたく頂戴します」と何度もお礼をいい、電話を切った。
posted by Boo! at 22:53| 東京 ☀| Comment(5) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする